本日、世界中で「格差是正を求めて大規模なデモの呼びかけが行われる」と報道されている。オバマ大統領も、デモ行動に同情的であった。まっとうな政治家ならば、現状をどうにか変化させたいと考えるだろうが、どこを見渡しても、格差解消のための具体的な提言は見あたらない。
わたしたちが暮らしている政治経済体制は、「混合経済システム」である。「ミックスエコノミー」とは、(1)政府による公共財政政策と(2)民間の自由資本市場が併存している体制である。資源の最適配分は、自由市場が決めて、所得の再配分ついては、政府がその役割を果たす。
もちろん政府の役割はそれだけではないが、富める者(haves)と貧しい者(havenots)との間で、豊かさを分かち合う(シェア)をすることで、社会全体を安定させ、将来を設計するのが政治と官僚の仕事である。
ところが、所得再配分という目的のために、政府と官僚組織は、有効に機能していないと思われ始めている。世界を覆い尽くそうとしているデモンストレーションと、日本の政権交代の本当の理由は、そうした不平等に対するプロテストであると考えられる。
現状の混合経済体制では、産業システムの革新と経済的な効率を達成する役目は、自由市場が担っているはずである。ところが、オリンパス事件(疑わしい海外の企業買収事件)、大王製紙事件(創業家による企業支配)などを見ると、インサイダー取引や不正経理などの規律の喪失が、企業社会の規律のなさを暴露してしまっている。企業や市場に対する信認が問われている。
一方で、市場が解決できない問題は、政府による公的支出によって、豊かな人から貧しき人へ所得が移転される。公共部門(官僚組織)が、その役割を担っている。しかし、全世界的に財政が破綻しつつある中央政府のあり様を見ていると、政府が実効ある所得再配分を達成できるとは、とうてい考えられない。公共政策が出口を失っているのである。
ベルリンの壁が崩壊して以来、おそらくはじめて、自由世界の政治体制が危機を迎えている。中心的な課題は、各国の財政破綻でない。むしろ、政府の役割、すなわち、混合経済体制の一翼を担ってきた「政府による所得再配分の機能低下」に問題がある。そのようにわたしは考えている。
ギリシャの財政破たんを立て直すことは容易ではない。しかし、あの状況は、EUだけの問題ではない。たまたまギリシャとイタリアがいま、危機が目の前に迫っているだけなのである。根底にある原因は、世界中でひとつの例外もなく、官僚制度が自己規律を失ってしまっていることにある。
官僚制度は、それ自身で「自浄作用」が働かなくなってしまっている。深刻なのは、そのことを知っていながら、それでもなお、親も子供も、「生活が安定しているので、やっぱり公務員だよね」と、自分たちが問題手だとしている制度を結果として擁護する。既存の制度が、望ましい変化の方向に対しては、最大の桎梏=障害になっていることを知っていながらである。
日本のいまを見てみよう。現実はといえば、公務員に対する第三者的な評価と、自分の子供の職業選択に対しては、矛盾に満ち満ちた発言と行動をしている。
日本には、100万人以上の富裕層(総資産1億円)がいることが分かっている。その一方で、若者たちはまっとうな職にありつけていない。そして、彼らが働き口を見つけたとしても、すぐに自立して生活ができない。だから、親元で暮らすか、親の援助を受けざるをえない。
知らないうちに、日本の社会は、国際的にみても、所得の不平等度が高い社会に変わっていた。かつては、分厚い中間層によって、消費経済が支えられていた。いまや、親が金持ちでない家庭は、所得格差の底辺層から、二度と浮上できないのだ。
わたしたちが、戦後に作ろうとした理想社会は、そのような社会だったのだろうか? 若者が未来に希望を持てない社会は、ただひたすら荒んでいくだけである。
現状の政治経済システムでは、この事態は救えないように思う。寛容な納税者ではあっても、自分たちが納めた税金が、有効に使われていないことを腹立たしく思っているだろう。安定的に暮そうとしている公務員や官僚、その周りの仕事に無駄に税金が使われてしまっていることを知っているからである。
そろそろ、政府(税金)に代わる「所得再配分」の仕組みを考案することが必要なのではないのか。古く宗教団体が行ってきた「寄付」や「ボランティア」の制度を、政府の活動に対する補完・代替システムとして、考えてみてはどうだろうか?
その場合は、大学の制度が、とくに、欧米の大学運営組織などが参考になる。アメリカの一流大学の研究教育活動は、80%が寄付金でまかなわれている。その基金を提供しているのは、社会的な成功者や卒業生である。組織の運営資金を、市民に依存しているのである。
わたしたち日本人研究者の活動も、現状でも、一部は民間の補助金(奨学金)によって支えられている。それならば、たとえば、若者たちの教育・研修や経済的な支援を、政府以外の組織が担える枠組みを作ってみてはどうだろうか?
裕福な年寄りの金を、若者に移転する税金以外の仕組みをである。たとえば、大学のような「慈善組織」にである。
東日本大震災の復興基金などは、そのモデルになりうるのではないだろうか。3月11日のわずか一カ月で、数千億円のお金が集まった。その目的と救われる対象が明らかだったからある。
民主党の子ども手当が大ブーイングを受けたのは、集票のためのばらまき政策だったからである。正しく実行されれば、必ずしも悪い提案ではなかった。特定のニーズ(たとえば、職種が決まった職業教育や地域を確定した育児補助など)と資金の出し手(寄付者)が結びつけられれば、政策に対するような批判は噴出しなかっただろう。
政治(支出)と資金提供(徴税)が、無関係な現行制度の欠点が、官僚制度に対する庶民の敵愾心を煽っている面がある。だから、それ以外の方策を探ってみればよいだろう。
その原型は、宗教団体やボランティア活動の資金集めにあるのではないだろうか。あるいは、大学のような公的な教育団体の成り立ちにあるように思う。中央政府の仕組みを完全に代替できないにしても、それを補完することで、機能不全になりかけている徴税の仕組み(まともに金が集められない政府と税制度!)を代替できるのではないだろうか。