大きな親切: 京浜急行 お客様担当(遺失物窓口) 榎本青年のこと

 午前11時すぎのことである。
 トヨタ自動車の海外事業部が電通と共同で、7月12~14日に実施した「北京・広州グループインタビュー記録」のサマリーを読んでいた。京浜急行の車内・シルバーシート、お客さんはわたしひとりである。午後のミーティングのための準備資料である。


新橋駅で京急線(都営地下鉄浅草線)を降りて、東海道線に乗り継いだ。行き先は新横浜駅。とたんに、車中に手帳を忘れてしまったことに気付いた。色つきのシールで約束事がひとめでわかる「生産性手帳」である。無くなったらとても困る代物である。アポイントがすべて書いてある。
 「しまった」と思ったが遅い。12時前には、新横浜のドラッグストアCFS(旧ハックキミサワ)本部にたどり着かなければならない。経営学部の学生を同社に預けてある。インターンシップの研修第一日目である。とりあえず、横浜線経由で横浜から新横浜駅までは行くことに決めた。手帳の紛失はあとで届け出すればよい。金目のモノは入っていないし、盗まれることはないだろう。
 新横浜駅で東海道線を降りてから、104の番号案内を聞いた。京浜急行線の忘れ物対応係(お客様相談室)に電話を入れた。まだ11時半前である。「特急久里浜行き」は、まだ終点には届いていないはずである。
 電話口には、榎本さんという若い男性が出た。「どこにお忘れになったか?覚えていらっしゃいます」「資料を見るので精一杯で、たぶん前から2~3両目のシルバーシートのあたりだったかな?」(わたし)。どうも自分の記憶には自信がない。いつもの乗る線とはちがうので、乗っていた号車も忘れた場所も不確定である。
 それでも、この係の青年は、コンピュータでチェックしてくれた。「まだPCにはデータがあがっていませんね」。「名前がわかるのですから、一生懸命さがしてみます」との対応。遺失物係で「一生懸命にさがしてみる」とう表現ははじめて聞いた。こちらが「また電話しますから」に対して、わざわざ携帯電話の番号を聞いてくれて、「見つかったら、こちらから連絡入れますから」。これもびっくり。直感的に、きっと見つかるような気がしてきた。
 研修生が勉強しているCFSの会議室を訪問して、こちらの挨拶が終わった。本部ビルから出たとたんに電話が鳴った。残念ながら、これは別件だった。やはり見つからないか・・・とりあえずは、午後になっていたので、学生とはランチを食べずに、時間が遅くなっていたので、新幹線で品川まで戻ることにした。1300円で自由席切符を購入して、ホームで「のぞみ」か「こだま」が来るのを待った。結構わたしのように、一駅だけ乗る人が多いので意外だった。
 「のぞみ」が来て、デッキに乗り込むとふたたび電話が鳴った。今度は待ち受け画面に「非通知」が表示された。今度こそ可能性は高い。榎本さんが出た。「小川様ですか?お忘れになった青い手帳、ごさいましたよ。ただし、見つかった電車は本日は「三崎口行き」になっておりまして、いまどちらにいらっしゃいますか?」「新横浜から品川に向かっていますが・・・」「それでは、本日は特別な扱いにはなりますが、三崎口から品川駅まで手帳を送る手はずを整えます。運転免許証かなんか、お名前を確認できるものはお持ちですか?」
 いったん電話が切れて、また折り返しで電話があった。「5時すぎになりますが、よろしいですか? 高輪口のインフォーメーション・センターの窓口にお越しください」
 わざわざ三崎口に手配をしてくれて、品川まで手帳を回送してくれた。お恥ずかしい話、財布や鞄(運動系のバッグが多い)やカメラやPCを置き忘れることはしばしばである。自慢ではないが、このような場合は、遺失物は終点まで取りに行くことに決まっていることはよく知っている。もうこれから失うだろう数時間を計算していた。お~助かった! 終点までいかなくてすんだぞ。夕方、品川まで取りにいくことに。「本日は運がいいぞ!」
 考えてみると、最初から手帳をなくさなければ、まったくこんな問題はないのに、それでも「ついてるな~」は楽観的なわたしのことである。馬鹿みたいである。今日は最高の日、なんだかお得な気分になっている。
 しかしである。榎本青年ありがとう。8月まで三島で、息子が東海道新幹線(JR東海)の車掌研修中である。「しっかりやれよ。まつぎくん。京浜急行の榎本くんのように」にね。
 夕方6時に窓口に手帳を引き取り行った。榎本青年がそこにはいなかったので、住所を聞こうとしたら、担当者は「あ、彼に伝えておきますよ・・」
 う~ん、京浜急行、なかなか従業員教育が行き届いていて、社風がいいぞ。