わたしがしばしば受ける質問の一つが、「マーケティングの小川先生が、なんで花の研究をはじめたのですか?」である。つぎに出版される本「花を売る技術」のあとがきに、その答えを書くことにした。
単純明快な答えは、つぎのようなものである。
<あとがき>
花の仕事に関わるようになってから、来春で記念すべき20年目を迎える。大阪で花博が開催された1990年より少し前のことである。当初は、フラワービジネスに新規参入してきた企業(キリンビール、サントリー、ダイエー、イオン、西友、住友商事など)を取材して、その記事をマーケティングの事例として流通専門誌『流通産業』(流通産業研究所)に連載していた。「花と緑の流通革新」(1990年)という10回のシリーズ連載企画であった。それ以外にも、『農耕と園芸』の姉妹誌『フローリスト』に、メールアドレスとして今でも使用している”huko”(ふ~こ)というペンネームで、ほぼ2年半、<巻頭コラム>を書かせていただいた。
そうして書きためた取材記録や散文をまとめて、最初の単著『世界のフラワービジネス』を1991年に日刊工業新聞社から刊行した。そのときは、研究者仲間や大学の同僚には驚きの目で見られた。典型的な反応のひとつは、いまでも忘れることができない印象的なものである。慶応大学ビジネススクールの池尾助教授(当時)からは、丁寧なお礼状をいただいたのだが、お礼の言葉とともに、そこには「小川孔輔はふたりいるのかと思った!」という短いコメントが残されていた。その頃のわたしは、米国の大学院への留学キャリアや研究業績から判断して、純粋なアカデミシャン(研究者)と見られていたからである。
時代はバブルの絶頂期であった。取材をさせていただいた花業界の人たちからも、「小川さんのようなマーケティングの先生が、どうしてフラワービジネスに関心をもったのですか?」という質問をしばしば受けた。繰り返し同じ質問責めにあうのでちょっと辟易するが、わたしの仕事のやり方(本業のマーケティング分野では、つぎつぎと取り組むテーマを変えていく)を知っている人たちからは、「いつまで花を対象に仕事を続けるつもりですか?」という質問をいまだに受けたりする。
その都度、相手の顔を見ながら適当に答えてきたが、本音を言えば、以下の説明が、なぜわたしが「花の産業」を当初から自らの主たる研究領域として選び、いまだに理論を実践する場とし関与し続けているのかに対する回答になっているはずである。
<花の産業は研究者がライフワークとして取り組むだけの価値がある>
一般人は不思議に思うかもしれないが、研究対象や自らのテーマに対して、心底惚れ込んでいる研究者は意外に少ないものである。わたしにとって、花産業は取り組みはじめてから19年後の今でもエキサイティングな研究対象であり続けている。マーケティングの分野には、4つのP(製品、価格、販売促進、販売経路)という概念がある。
どれのPをとっても、花は研究対象としてとても興味深いアイテムである。あらゆる商品(Product)の中で、切り花はおそらく「鮮度保持」がもってもむずかしい。物的流通を含んだ販売経路(Place)は、他の商品と比べても未成熟・未発達である。したがって、花小売業には将来性がある。テレビや雑誌の媒体を利用した宣伝(Promotion)はごく限定的であるが、例えば、切り花の販売は、書籍やチケットの販売と並んでネット企業にとっては注目度の高い商品である。価格(Price)は、プレミアム価格から低価格商品(ディスカウント花店)まで幅が広い。しかも、関連販売、バンドル販売など、価格付けと関連して多様なバリエーションが考えられる。
というわけで、わたしは今後も花の産業に関して研究と実践を続けていくつもりである。実践の場は、言うまでもなく、JFMA(日本フローラルマーケティング協会)が中心である。