「食は「ファースト」から「スロー」の時代に:
勝ち組マクドナルドが抱える成長の不安要因」
『チェーンストア・エイジ』(ダイヤモンド・フリードマン社)
2001年12月1日号 法政大学 小川孔輔
<アジアの優等生:日本マクドナルド>
創業経営者・藤田田(でん)社長が率いる「日本マクドナルド株式会社」(本社:東京都新宿区)は、世界中のマクドナルド・エリアフランチャイズ企業の中でダントツの優等生である。米国を除いた先進国中で(世界119カ国に出店)、日本はもっとも大きな売上高(4311億円)と高い成長率(年率11%)を誇っている。2000年12月末の店舗数は3598店。2001年7月には、ジャスダックに念願の店頭公開を果たした。このままの勢いが続けば、売上高で1兆円、店舗数で1万店を近い将来超えてしまうことも夢ではない。
雇用創出力という点でも日本マクドナルドは抜きん出ている。正社員5852名に加えて、パートタイマーが延べ10万1747名(直営全店:2000年末)。しかも、従業員に対するサービス教育訓練のために、米国の制度に習って「ハンバーガー大学」という特別のトレーニング施設を持っている。世界標準の同じおいしさを提供・維持する努力(Quality:品質)、マニュアルに基づく丁寧な顧客サービス対応(Service:サービス)、店舗・厨房の清潔さを徹底的に追究する(Cleanliness:清潔)など、サービス標準を遵守しようとする姿勢は、日本マクドナルドが世界でナンバーワンと言われている。
マクドナルドの一号店(銀座店)が銀座三越の1階にオープンしたのは、1971年7月のことである。銀座店が開業したとき、ハンバーガーの値段は一個80円、ビッグマックが200円であった。ちょうど30年後の現在、平日メニュープログラムでは、ハンバーガーが一個65円、チーズバーガーが80円で提供されている。この間にインフレがあるから、当時に比べてハンバーガーの実質価格は大幅に下がっている。その結果、1993年から1994年にかけて短期的な停滞の時期を経てからは、「ハンバーガーを日本の食生活に定着させる」(藤田語録)というカリスマ経営者の信念と指導力もあって、日本マクドナルドの大躍進が続いている。ハンバーガー業界におけるマクドナルドの推定市場シェアは約70%。ロッテリアとモスバーガーを遠く引き離して、日本マクドナルドがひとり勝ちの状態にある。
しかしながら・・・会社の寿命は30年。どんな企業にもいつか衰退のときは訪れる。飛ぶ鳥をも落とす勢いにある「藤田マクドナルド」ではあるが、絶好調のいま、ハンバーガー文明はすでに曲がり角を迎えていると筆者は感じている。以下では、「マクドナルド文化」が終焉を迎えつつあるとする根拠を整理して述べてみたい。
企業が衰退するときの原因は、成長を支えてきた要因を反転させることで説明ができる。マクドナルド、とくに、日本マクドナルドの場合は、これまでの成功要因が近い将来には反転しそうな気配がみえる。常勝軍団の死角は、(1)「為替レートの反転」、(2)「高齢化社会の到来」、(3)「食文化の和風回帰」、(4)「後継経営者の不在」と「安価で良質な労働力の確保」である。そして、マクドナルドを中心としたファーストフード企業にとっては、それ以上にもっと決定的な逆風が吹き始めている。すなわち、(5)「スローフード運動と食の安全性についての懸念」である。
<死角#1:為替レートの反転>
マクドナルドのこれまでの大躍進は、消費者に対して価値(V)のある商品を提供してきたことに尽きる。V=Q/P、すなわち、商品の価値(Value)は、品質(Quality)を価格(Price)で割ったものである。品質を一定とすると、価値の上昇は価格の低下によってしかもたらされない。短期間で品質を大幅に向上させることは容易なことではないが、変動相場制下で幸運に恵まれれば、価格を低めに誘導することはわりに簡単である。
30年前を思い起こしてみよう。銀座三越の1階で売られていたマクドナルド・ハンバーガーは、一個80円であった。そのときのドル為替レートはといえば、固定相場で1ドル360円である。現在、平日ハンバーガーは一個65円で売られているが、為替レートの方も1ドル120円前後で推移している。数年前には、1ドル=90~100円という時期もあった。
円高のおかげで、ハンバーガーの値段が現在のような低い水準に落ち着いているのである。ちなみに、ドルで表示した各国のビッグマックの価格は、「ビッグマック指数」と呼ばれている。<表1>に示したように、ビッグマック指数(1998年)は、国の経済状態に関わらず比較的安定している。1(ドル)以下の国はどこにもなく、5(ドル)を超えているのはアイスランドだけである。おおむね2~3(ドル)の幅に収まっている。通常のハンバーガーでも同じことが成り立つはずである。
このことの意味するところは重要である。円が対ドル相場で3倍近く高くなったことで、名目価格がほとんど変わらないまま、日本人が食べるマクドナルド・ハンバーガーの価値はこの30年間で3倍以上にも上昇したのである。マクドナルドのような多国籍企業は、国際標準価格(ドル建て価格)で食材などの調達を行っている。その結果、各国の商品価格は、ローカルの賃金や地価などを適当に織り込みながら、基本的には食材の国際標準価格にさや寄せして決定されていく傾向がある。
日本マクドナルドの基本戦略は、円高を利して競合企業を市場から駆逐していく「浸透価格戦略」だったのである。日本の消費者も円高メリットを充分に享受してきたが、経済の屋台骨が揺らいでいる現在、もはや原材料の輸入価格が低下することを期待することはできない。食材の価格は、ふたたび反騰に転じるはずである。そして、日本マクドナルドは、価格と競争に関する基本戦略を見直さざるをえなくなると予見する。
<死角#2:高齢化社会の到来>
米国マクドナルド本社の事業経営が揺らぎはじめている。米国内の店舗数は、2000年末で1万2800店を超え、一店舗当たりの支持人口が2万人を割り込んだ。ドライブスルーでハンバーガーをテイクアウトさせる既存のファーストフード業態では、新規の出店余地がほとんど無くなってきている。飽和した米国市場では、2000年において売上高がわずか4%しか増加していない。
しかし、より根本的な問題は、人口ピラミッドの動態的な変化にある。数の上でもライフスタイルの面でも、これまで最大のターゲットだった戦後生まれのベビーブーマー世代が高齢化し、ハンバーガー離れを起こしているからである。ハンバーガーは、基本的に若者の食べ物である。手頃な価格、歩きながら食べられる手軽さ、適度なボリューム感、どれをとってもハンバーガービジネスは若者向きに作られている。ところが、あまり値段を気にせず、ゆったりと席に座って、ボリュームよりは味を楽しむ老人たちが主役の社会が到来すると、真っ先に売上が先細ってしまいそうでもある。
先行きの困難を見越して、米国マクドナルドは、過去において幾度となく新しいメニューの開発に着手したり、ハンバーガー以外の新規業態の開発に挑戦してきた。しかし、90年代に2度に渡ってチャレンジした非ハンバーガー系レストランの試みはもののみごとに失敗に終わっている。また、ハンバーガーとフィレオフィッシュ以外のメニューで現在まで残っているのは、マックシェークとチキンマックナゲットくらいである。いずれもサイドメニューでメインディッシュではない。
日本マクドナルドも、ローカルで新規メニューの開発に努力してきた。1991年の「マックチャオ」(中華メニュー)、1992年の「ビーフカレー」「チキンカレー」(ライスメニュー)などが記憶に新しい。「月見バーガー」(1993年)、「ベーコンレタスバーガー」(1994年)など、つぎつぎと新商品を市場に投入してきたが、大ヒットにはなっていない。1995年以降は、どちらかといえば、価格訴求に走る傾向が見られる。モスバーガーなどの同業他社が品質とメニュー開発に向かっている間に、マクドナルドの市場シェアが70%を超えてしまった。価格訴求のみでは、もはや市場シェアを拡大することができない。
およそ5年後に、日本のハンバーガー市場は飽和点に到達するであろう。年率10%で出店を継続していくと、2005年には一店舗当たりの支持人口が米国と同じ2万人を切ってしまうからである。そのころには、マクドナルドの中心顧客層を構成する団塊ジュニア世代(1975~1980年生まれ)がハンバーガーから離れていくことが米国の経験からはっきりしている。日本マクドナルドが、若い世代に依存する経営から脱却できるかどうかが鍵になる。「ブロックバスター」(レコード店)での失敗を「トイザらス」(おもちゃ店)で取り返しはしたが、今度はフードビジネスで新機軸を打ち出してほしいものである。
<死角#3:食文化の和風回帰>
世界中いつでもどこでも、同じ味を同じ値段と標準化されたサービスで提供できることが、マクドナルドの強みである。しかし、物事にはかならずプラスとマイナスの両方の側面がある。標準化された均質な味を提供するために、マクドナルドが失ってしまったものがある。それは、食べ物が本来的に持っている自然なおいしさと鮮度である。
マクドナルドのハンバーガーには、砂糖と油脂と人工調味料が多量に使用されている。若者好みのこってりと甘い人工的な味付けは、素材が持っている本来の旨みを消してしまう。しかし、本当に犠牲になっているのは、実は日本の若者たちの味覚なのかもしれない。マクドナルドが使用している食材の中心は、冷凍保存の加工品である。そこには、おいしく食べるために”鮮度”を維持するという発想はない。
冷凍保存された食材を一度解凍し加熱調理して作った料理は、いったん冷めてしまうと急速においしさを失ってしまう。マクドナルドでは、コーヒーやフレンチフライなど、作り置きしてから一定の時間が経過すると、きわめて短時間で商品を廃棄処分してしまう。これは、料理をおいしく食べるための正しい処置であるが、およそ10%とも言われる商品の廃棄ロスを生み出してしまう。貴重な資源の無駄遣いは、コンビニエンスストアなどにも見られる、米国流ファーストフードビジネスのオペレーションが抱えている固有の社会的問題である。
健康な食文化への熱狂は、世界の人々をアジアに回帰させているように思える。とくに、食材の鮮度を重視する調理法と健康な食文化を提供する「和食」に、世界の人々の関心は向かっている。寿司、豆腐、天ぷら、味噌、醤油、季節の野菜。最低限の加工しか施さない和食は、フレッシュで低カロリーである。高齢化社会を迎えた日本では、戦後一貫して続いてきた洋食志向が薄れ、ヘルシーな和食に回帰する傾向が見られる。世界を見渡しても、肉を食卓の中心に据える文化は後退しかけている。
<死角#4:後継者の不在と労働力の確保>
日本マクドナルドは、「藤田商店」と米国本社とのフランチャイズ契約で成り立っている。個性的な業界リーダーとして30年間に渡って日本マクドナルドを牽引してきた藤田田社長も来年で77才を迎える。年齢的に、経営の第一線から引退するときが間近に迫っている。日本マクドナルドは株式公開を果たしたが、単に企業の運営形態を変えることでは、カリスマ経営者の指導力を補う根本的な解決策にはならないだろう。
労働力確保にも先行き問題がある。これまで日本マクドナルドは世界最高水準のサービスを提供したきた。その背後には、安価で良質なパートタイマーの存在がある。少子化が進んでいくと、高校生・大学生を中心としたアルバイト労働力の確保は今後むずかしくなる。また、女性の社会進出が進むことを見通すと、主婦層にファーストフードビジネスの労働力プールとしての機能を期待することはできそうにない。かといって、アジアからの移民によって労働力不足を補うことは、法制度上から当面はむずかしいと考えられる。
労働力の質的な側面にも問題が山積している。きちんと挨拶ができない若者がめだって増えてきている。皮肉なことに、そうした教育水準の子供たちに頼らざるをえないサービス業の現実がある。マニュアル通りの作業手続きを遂行することさえ危ぶまれる職場がすでに登場している。
<死角#5;スローフード運動と食の安全性>
結論を急ごう。素早く手軽な食事を安価に提供する「ファーストフード」の概念は、20世紀を代表するサービス業における経営プロセスの革新であった。しかし、21世紀が幕を開け、食文化のトレンドは「友人や家族と一緒に時間をかけてゆっくり楽しく食べる」(岩田弘三氏、ロック・フィールド社長)に移ってきている。時代のキーワードは、ファーストフードと反対概念の「スローフード」である。
「スローフード協会」なる非営利組織がイタリアで産声を上げ、ヨーロッパ一円で会数員が10万人を超えたと伝え聞く。しかも、いまフードビジネスで勢いのある企業を選んでみると、新鮮な食材を加工するプロセスを顧客に演出して見せる「プロセス重視」の食ビジネスが主流になってきている。調理のプロセスを顧客に見せるサービスは、二重の意味を持っている。
ひとつには、食材の調理加工プロセスを演出することで、食事という「劇」に臨場感を与えることである。そのためには、おいしい食事にふさわしい空間と十分な時間を確保することが必要である。ところが、ファーストフードビジネスは、時間節約型のシステムである。もちろん、カウンターでの対応の機敏さは、マクドナルドのセールスポイントではあるが、基本的には時間多消費型の食事の演出方法とは対立する概念である。
もうひとつは、スローフード運動の背後にある「食の哲学」に関係した要因である。おいしい食事をとるための一番の近道は、「力のある食材を使って、自然な形で調理することである」(岩田社長)。力がある材料は、いつも新鮮である。そして、食べる直前まで、できれば不自然に加工しないことである。たとえば、自然に近い農法で作られた野菜や果物を使ったサラダがそうである。いつ誰がどこでどのように作った食材であるのかがわかれば、食の安全性は確保できる。同時に、われわれの健康に対する食の不安を解消できるはずである。
狂牛病や口疫病への不安・恐怖は、マスコミが煽っている側面がないこともない。とはいえ、根っこのとこにあるのは、「食に対する市場主義」(ある程度は安全を犠牲にしても、安くて早いフードを選択する仕組み)に対する庶民の反発である。もっとも、ある時代において、人々はマクドナルドや吉野家の商品とサービスを支持していたわけである。だからこそ、ふたつのフードチェーンは、「食のディスカウント時代」における覇者になることができたのである。しかしながら、だからこそ、食の安全性を問われるいま、きびしい逆風にさらされる運命にもある。
そのとき、ファーストフードビジネスはどこに向かうことになるのか? 時代の風潮にあわせて、マクドナルドは自らを変身させるべきなのか? 1955年の創業以来培ってきた自社のコアコンピタンスを失わずに、成長を持続することは可能なのだろうか?
追記:
(1)以上のテーマについて、マクドナルドが店頭公開を控えた2001年3月28日に、ゼミ生たちとクラス討議を行った。わたしの期待に反して、「マクドナルドの危機と衰退」という筆者の立場を支持してくれた学生はわずか2人だった。残り25名は大のマックファンで、「マクドナルドは永遠である」との意見が多数を占めたことを付け加えておく。
(2)なお、最後のパラグラフの一部を除いた原稿は、日本マクドナルドが店頭公開をする以前の2001年3月初旬に執筆されたものである。
表1 「BIC MAC指数」
出典:小川孔輔(1999)「コラム:ビッグマックの法則」
『ゼネラル・マーチャンダイザー』3月号をデータ修正
表2 「過去の業績:日本マクドナルド(1971~2000年)」
出典:マクドナルド・ジャパン(http://www.mcdonalds.co.jp/corporation/company.html)