辻幸恵・梅村修『アート・マーケティング』(★★★)

 本を読んで「ああ、得した!」と思うのは、自分がこれまで知らなかったことを、理路整然と解説してもらったときである。


「海の日」の本日、辻幸恵・梅村修『アート・マーケティング』白桃書房(2006)を読んだ(いつも献本ありがとうございます)。
 辻・梅村の組み合わせは、前作『ブランドとリサイクル』リサイクル文化社(2005)に続くものである。両著者の役割分担も同じである。梅村氏の博識にはいつも驚嘆させられる。とくに、第一部は、読み応えがあるアート(作品)の歴史解説本である。
 内容は次の通りである。敢えて、以下では、私流の解釈で表現することにする(原文では、表現が異なっていることもあるので注意のこと)。
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 江戸時代から現代に至るまで、日本のアート(芸術作品)は、マーケティングを強く意識して作られてきた。江戸時代の浮世絵も掛け軸も、その後に作られて海外に輸出された陶器(ノリタケ)も漆器(ジャパン)も、同じ土俵で市場性を判断されてきた。日本においては、宗教性や芸術性を意識しながら、これらのアート作品が制作されてきたわけではない。よりたくさん売れる商品として、日常の便利さや素敵さを意識したデザインをもったふだん使いのモノとして、職人達はデザイン要素をアート商品にすり込ませていただけである。
 当時の著名な職芸人(アート・クリエイター)たちのこの割り切りが、日本の庶民アート制作の根底にあった。版画による大量制作システムなど、江戸時代にすでに日本特有のアート制作体制が構築されていた。江戸時代の印刷文化を担った版元チーム組織(葛飾北斎に対する版元・西村与八、写楽の全作品を刊行した蔦屋重三郎の存在など)は、アート作品の制作だけでなく、その販売チャネルの開拓をも意識した秀逸なマーケティング組織そのものである。梅村氏の説明がおもしろい。
 対照的に、西洋社会では、キリスト(神)と美術(アート)が密接に結びついていた。そのため、「庶民的なアート」といった概念は存在していない。世俗的なアートというものが、それ自体がありえなかったわけである。アート作品は、基本的には王侯貴族を対象にしたものである。芸術作品ではあっても、マスマーケティング(大量販売)の対象ではなかった。
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 ここからは、梅村説を敷衍したわたしの解釈である。そうだとすると、日本人は、ある意味では、アート作品の組織販売に関しては、もともと天才的なマーケティング集団だったことが納得できる。江戸期から大正時代にかけての日本人は、商売や顧客ニーズを強烈に意識してアート(単に「アート」といわずに、「アート作品」あるいは「アート商品」と呼んで欲しい!)を制作してきたことになる。日常的なアート商品の流通に関しても、日本は特異な歴史を持っていたことがわかる。
 アートの量産体制を確立することに長けた日本人の特質は、現代日本のアート作品(アニメ、漫画、キャラクターなど)から派生して生まれてくるアート商品の制作に引き継がれている。港屋絵草子の竹久夢二は、オタク文化のカリスマ芸職人、村上隆の作品に系譜的につながっている、梅村の説明は実に見事である。
 最後に、ひとつだけ注文。願わくば、特異な人物像(とそのしごと)の紹介に終わるのではなく、現代日本のアートビジネスの仕組みを、もっと詳細に解き明かして欲しかった。江戸版画の制作現場を、あれほど見事にシステムとして解説できているわけである。現代版アニメ制作の現場とマーケティングの現実を、江戸時代と対比(類比)させてほしかった。聞かなくても分かる学生消費者調査ではなく、できれば現場の企業人にアートビジネスについてインタビューすべきである。繰り返しになるが、この点がとても残念だった。