今年の夏は、10年ぶりで勝手気ままに夏休みを過ごすことができた。翻訳原稿(『顧客資産のマネジメント』)のチェック以外はほとんど原稿を書かずに、休息のためにフルに時間が使えた。
日本全国、北は東北地方の秋田・青森から、南は沖縄の那覇・西表島まで、ほどんど毎週どこかの地方都市に足を運んでいた。地方の風景を眺めること、現地の人たちと話をすること、そして、静かに温泉(海水)に浸かることが目的であった。
学部長になる直前の2月から、東京都心にある26階建ての大学ビルに”籠もっていた”。半年ぶりに地方の風に吹かれることができたので、固まりかけていた心身がすっかり伸びきってもとても心地がよかった。
中国上海から帰ってからの8月中旬以降は、法政大学の父母懇談会(学部長講演)、元気な地方企業(回転鮨の制御機器メーカー「石野製作所」)の取材などを通して、楽しい取材旅行ができた。これからの数回は、遅まきながら本HPで、「夏休みの日記」を公開することにしたい。
第一回は、「元気な沖縄」である。父母懇談会に出席するために沖縄を訪問したのは、8月28日~9月2日であった。本島と石垣島、西表島を旅行したときの印象記である。
沖縄は「基地の島」である。第2次世界大戦中、そして、戦後・米国統治下での歴史的な経緯から、沖縄経済は国の補助金なしには成り立たない状態にあった。沖縄県花き農協「太陽の花」の存在を知るようになってからの15年間、しばしば農業分野に限らず、商業・観光関係の調査研究や取材、県の審議会委員として沖縄を訪問してきた。そこから知り得たわたしの沖縄に対する印象は、つぎのようなものであった。
沖縄県人の発想の根底には、基地問題を抱えることへの当然の対価として、しごく当たり前のように補助金を要求する傾向がかいま見られる。善し悪しは別にして、本土の人間たちは、だからといって沖縄のこうした体質を非難できない。しかし、そのことは、沖縄の未来にとって決して幸せな状態とは言えないのではないか? これでは、沖縄の将来展望が見えてこない。
沖縄には、とくに特色のある製造業があるわけではない。ベンチャー企業を核とした専門大学院を沖縄本島に! そうした話題は出ているようだが、沖縄県の産業基盤は、基本的に農業と商業・観光業である。サトウキビと果樹(マンゴー、パパイアなど)・野菜(ゴーヤ、島らっきょうなど)を中心とした農業は、島の重要な産業である。しかし、サトウキビ栽培はすでにかなり以前から国際競争力を失っている。「環境保全」という観点からでしか、サトウキビの生産を沖縄で継続することは正当化できない。
ほぼ10年ほど前に、サトウキビの生産額を追い抜いた花き類も、温室や集出荷設備の建設など、実はさまざまな補助金で成り立っている。沖縄の花き産業の強みは、3月のお彼岸時期の小菊生産である。亜熱帯性の気候条件を利して、小菊の主産地として愛知県に対抗することはできているが、それだけでは経済的な自立が不可能である。年間を通して出荷ができないからで、沖縄農業を支える基幹産業として約2000戸の花農家を支えることは困難になりつつある。
ところがである。沖縄人は、いまや自分たちの足で歩きはじめているのである。昔を知る人(沖縄県人はのんびりだなと考えている人たち)は、いちど那覇市街や石垣港のみやげもの店の周辺を散策してみるとよい。人なつっこくて親切な沖縄人に・・・たしかに、いまでもその根本は変わらないが・・・どこか商売に対するかすかな熱気のような気配を感じ取ることができる。
筆者は、沖縄県の「ブランド・プロジェクト/2000年」(これも!国の補助金事業)の専門委員であった。2年ぶりに今回沖縄を訪問して強烈に感じたのは、過去の県民性が変わり始めているという印象である。本土への経済的な依存体質は、しだいに消失しかけている。法政大学の父母会の皆さん、タクシーの運転手さん、マーケットの店員さんや地元の経営者の方たちと話をする機会を得た。わたし自身が感じたほど、沖縄県人には明確な自覚がないらしいが、この印象はけっこう強烈であった。沖縄のひとたちは、いまとても元気である。
その根底には、沖縄文化への自信があるように思われる。もともと沖縄には、文化的に見るべきものがたくさんある。ここ数年、音楽や映画の領域で沖縄文化が脚光を浴びてきてきている。さらには、破壊されていない自然(西表島など)やヘルシーな食文化(ゴーヤなどの島野菜)など、観光資源やコマーシャル素材には事欠かない。
全国でいちばん帰県率が高いのが、沖縄県である。それと対照的に、一度出たらなかかか故郷に戻れないのが、北海道・東北地方である。もともとそうなのか、思っていてもなかなか帰れないのかはわからないが、統計上は故郷に戻ることはむずかしいことになっている。
沖縄は、経済が良いときも悪いときも、昔から北国とは逆であった。島の経済が不調な時は、たしかに人口過多が雇用を圧迫していただろう。ところが、観光産業が栄えて、地場で加工した移出品が売れ始めると、話は別である。労働集約的な産業には、ひとの供給がじゅうぶんにあることはプラスに作用する。
故郷への思いが、そして島への愛着心が、沖縄経済にとっては朗報なのである。すべてが良い方向に回り始めている。そんな思いで沖縄から帰ってきた。