JFMAの事務局から、高橋俊介さんの訃報が届いた。言葉を失った。12月10日、40歳の若さでの旅立ちだった。喪主は父親の勝巳さん(東園生花社長、元JFMA理事)。本日、仙台市太白区の「清月記」で執り行われるお通夜に参列することにしている。午後の東北新幹線で、松島事務局長と一緒に仙台に向かう。
高橋俊介さんは、若い理事の中でもJFMAの活動にとりわけ熱心だった。リモートの理事会やフローラルイノベーション(展示会)などへの出席率が高かった。わが家族も、俊介君のことをよく覚えてくれていた。JFMAの欧州ツアーなどで、かみさんと一緒することがあったからだと思う。
大学を卒業後には、彼はいまや好業績で”顧客満足№1”となった某食品スーパーに勤務していた。わたしは、日本生産性本部でCS関連の調査設計を担当していたので、このSMのことを高く評価していた。ところが、実際に社内で働いたことがある俊介さんの評価は、かなり手厳しかった。
「先生、あそこはブラックな会社なんですよ」と、彼はわたしに実際のところを笑って話してくれた。俊介くんとは、二度とそんな話ができなくなってしまった。残念でならない。
それにしても、父親の勝巳さんが子供(俊介君)の喪主を務めなければならないことは、なんともつらいことだ。奥様の気持ちを察するに心が痛む。昨年、JFMAのトップインタビューで、仙台の閑静な住宅地にある高橋家にお邪魔した。奥様が手塩にかけて育てている植物が植わっている素敵なお庭だった。
お昼は、奥様手作りのランチをごちそうになった。東日本大震災で流された一本松の近くに、高橋さんご家族が経営するショップがある。ランチ後にはその店舗を視察した。震災後に開発されたショッピングモールの中にある店で、全国放送のテレビでも紹介されていた。俊介君もその店で働いていたはずだった。
まじめで一生懸命、仕事に取り組む若者だった。あまりの早逝だった。黙祷。