けっこう強気とみられている経営者が、「これはちょっと・・」と言いたくなるようなインチキ教祖様(例えば、コンサルタントの船井幸雄氏)に帰依しているのを見かける。トップの仕事に対する責任はずいぶんと重たいのだなと、それを見て思ってしまう。
それほど大切な場面ではないにしても、物事を自分の意志で決めることにはつねに不安がつきまとうものである。だから、安心で頼りになるひとを相談相手にもつとか(判断の委譲)、場合によっては、やたら縁起を担いだりすることがある。そういえば、「セキュリティ・ブランケット」というのがあった。
皆さんよくご存じの・・・ピーナッツ・ファミリー(スヌーピー一族)のライナース坊やが、床を引きずって歩いているあの汚れた毛布である。「安心のためのもの」と英語辞書の訳語にはのっていた。甲子園初出場の若い監督さんで、試合に負けるまでは(優勝するまでは)ひげを剃らないひとがいる。マラソンランナーの高橋尚子は、おばあちゃんのお守りを肌身離さず持っていて、42.195キロを走っている。
ひとそれぞれに、セキュリティ・ブランケットがある。安心感を維持するためにそばに置いておかなければならない物品である。「物」と書いたが、ひとによってはクセだったり、習慣的な行動だったりする。かくいうわたしも、正直に告白すると、いつも同じ手続きで繰り返す行為の中に、安定感を求めようとする傾向がある。大事な講演があるときには、必ず乗換駅(JR浅草橋駅)の改札口脇のトイレに寄ってから出かけるとか・・・。
そうしてみると、人間は本能的に変化に対して抵抗する動物であるという本質を持っているように感じられる。「安心のための毛布」は、逆に触っていないと何となく不安になる代物である。だから、そこから離れるができなくなる「鎖」や「碇」に転化してしまう弊害もある。
わたしは、皆さん(ゼミの卒業生、仕事先、経営者、学会仲間、同僚など)から、「安心の毛布」と思われている節がある。世のため、人のためには役に立つ存在のようで、「困ったときの小川先生」、あるいは、「安心の先生」と言われているらしい。順調なときは沈黙をしている彼らが、転職、離婚、病気、その他よろずの困りごとが起こったときに突如、「実は・・・」という電話をよくかけてくる。ふだんから「晴れがましい席には呼んでもらわなくてもいいから」と言いすぎているせいだろうか。
なぜそうなのか、とゼミの卒業生に問うたことがある。それは、わたしが存在としては不変だからというのが答えらしい。そのことに最近になって気がついた。本人は日々進歩していると思っているが、久しぶりで私と面会したOB(OG)連中は、頭がはげあがったり、えらく太ったりしている。絶対的に大いに変化しているのである。
私はといえば、極めつけの不変人間である。「小川先生、10年前と驚くほど変わっていなかったよ!」とOB会に出席できなかった元学生たちは電話やメールでやりとりしているらしい。そう聞いている。だから、きっと安心なのだろう。
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昨日(10月1日)、日経広告研究所主催の「ブランド連想と広告戦略」セミナーがあった。わたしは、基調講演とパネルの司会を務めることになった。「強いブランドはこうして創る」がシンポジウムのテーマであった。パネラーには、大正製薬の船橋誠・宣伝広告部長とサン・アドの若林覚社長(元サントリー)をお迎えした。おふたりの結論は単純明快で、強いブランドとは「売れつづけて利益をあげている商品である」と定義された。そのための条件は、
(1)明確なUSP(Unique Selling Points)をもっていること、
(2)ネーミングが優れていること(わかりやすい、覚えやすい、魅力的)、
(3)美しい「顔」(広い意味でのパッケージデザイン)をもっていること、
であった。それに加えて、
(4)コミュニケーションがすばらしいこと。
大正製薬のリポビタンD、サントリーのウーロン茶、ウイスキーの「山崎」など、広告メッセージが20年から40年にわたって不変である。確かに、「何も足さない、何も引かない」(山崎)、「ファイト一発!」(リポD)のキャッチコピーは、マンネリと言われながらも変わっていない。当面は大正もサントリーも、この路線を変えるつもりはない。
ブランドは、もしかすると、消費者にとって「セキュリティ・ブランケット」の役割を果たしている側面もあるのではないか。とくに嗜好品の要素が強い食品・飲料カテゴリー、安全が重要な製品要素である医薬品の分野では、広い意味での「セキュリティ要素」がブランドにとっては大切である。司会をしながら、昨日はそう思って皆さんの話をうかがっていた。