先週の土曜日(5月26日)に、IM研究科で客員教授(プロジェクトアドバイザー)をお願いしている安井敏雄先生ご夫妻と一緒に、平塚の浜田バラ園さんを訪問した。
安井先生に浜田さんのバラを紹介したところ、奥様がお花好きなことを知ったのがきっかけであった。
安井先生は、2年前に㈱ソレクトロンの取締役を最後に退職し、音楽ボランティア活動と法政の客員教員生活で、悠々自適の老後となるはずだった。ところが、急遽、イー・アクセス社長にスカウトされ、「社会復帰」してしまった人である。
「あてがはずれた!」(本人)とのことだったが、いまは来春予定されている日本で4番目の携帯電話サービスをはじめる準備を進めている。鎌倉にお住まいなので、土曜日の2時に平塚の南口で待ち合わせた。楽しい半日であった。夕方からは、3人で横浜ランドマークタワー70階のレストラン・シリウスで食事をさせていただいた。以下は、そのときの会話である。
* * *
安井先生の奥様、理子(みちこ)さんは、母上が米国生まれの日系2世。父親が戦前、徳島から米国コロラド州ボールダーに移民として移住。開墾・農作に従事したあと、終戦前に徳島に帰国。戦後カーネーションやマスカット・ブドウの栽培を習い、徳島県で初めて栽培、ビシネスとして成功させたそうです。理子さんは安井社長と結婚。結婚式の一ヶ月後には、米国の大手IT企業の社員だった安井さんと渡米。在米中に、ふたりのお子さんに恵まれることになったが、心理学の学位があったことで、帰国後にはインターナショナルスクールで、カウンセラーを長い間勤めることになった。
インターナショナルスクールには、世界各国の大使館関係者、米国人の日本駐在員、軍人の子弟が入学してくる。外国人の子供であっても、問題児が多かった。その教育に、理子さんは、アボガドを利用していたという。題して「アボガドセラピー」。いったいなんだと思いますか?「皮剥きでヒーリングです?」。いやいや冗談を・・・ちがいます。
アボガドの種って、ごぞんじでしょうか? アボガドの種は堅くて大きいのです。梅干しの種の大きい感じ。カウンセラーの理子さんのところにやってくる子供に、1個ずつアボガドの種を与えるのだそうです。問題を抱えている子どもの特徴は、理子さんによると、「我慢ができない。あるいは、だれかに責任を押しつける傾向がある」のだそうです。
それぞれのアボガドに、自分(子供)の名前を付けて、ミチコ先生の部屋においておきます。アボガドは、発根するまでに2~3ヶ月、芽が出るまでにさらに数か月かかります。しかし、芽が出た途端に、急に勢いよく茎がぐんぐん伸びて行くのだそうです。毎日毎日、なかなか出ない命の動きをじっと我慢して待つことを教えるためなのです。
理子先生の部屋には、学内の授業・勉学問題、家庭の問題などで苦しんでいる子供たちが来てアボガドの種を観察しています。たくさんのアボガドに名前がついていますから、多くの友達がやはり問題を抱えているのがわかります。たいへんなのは自分だけではなく、みんな芽が出るのを待っていることを知ります。まわりも苦しいことを知り、みんな我慢をしているんだと分かると、子供たちの気持ちがだんだん楽になっていくのだそうです
わたしも実際に試してみたいと思っています。ほんとうに、植物の力を借りて教育するのは悪くないと思います。アボガドセラピーは、理子さんのオリジナルです。ちなみに、お子さんのひとり(長女30歳)は、ニューヨークで人権弁護士を5年経験。現在は、サンフランシスコに戻って弁護士として活躍しています。「マイノリティの権利を擁護するあまり金にならないしごとをしている」そうです。この母ありてのお子さんです。「父親(安井さん)はほとんど家庭におらず、母子家庭だった」とは理子さんの言葉でした。安井先生も苦笑い。
スクールカウンセラーは子供さんと日本にもどってきてからのこと。資格なしで始めて、サブ教員として調布のIスクール勤務から。日本人として、インターナショナルスクールのカウンセラーになったのは初めての事例だそうです。
理子さんは、いまは62才。19才でNY留学。帰国後に20代半ばでアリコジャパンの課長。突如のお見合いで安井さんと結婚。米国駐在が決まっていた安井さんと即渡米となりました。お見合いは、両親からのプレッシャーがあったからだそうです。
「いまの時代ならば、きっとお見合いをしないでしょうね(淡々と笑って)」