「(仮)マーケティングの未来を振り返る」(下)

<マーケティング研究の3つの流れ>
 マーケティング研究の方法には、「ケース・メソッド」「歴史的アプローチ」「マーケティング・サイエンス」という3つの流派(スクール)がある。


ハーバード大学のビジネススクールに教育法の起源を持つ「ケース・メソッド」では、個別企業や特定商品についての記述を経営トップやマーケティング・マネジャーの視点から整理する。本誌に掲載されている論文や記事に意味を与えているのは、多くの事例を知ることで顧客や市場、競争についての共通ルールが抽出できるからである。事例によって鍛えられた経営者やマーケターは、現実に対処できる知恵を一通り、分析道具として「自分の引き出し」にしまっておくことができる。
 理論構築のために、マーケティング活動に関する事実を丹念に調べあげるという点で、「歴史的アプローチ」と「ケース・メソッド」の間にそれほど大きな違いはない。両者を分けているのは、分析の時間軸(長/短)と事例の使い方(個別事例/事例の一般化)の差違である。
 ケース・メソッドでは、マーケティングの「現在」と「未来」が問題になる。リハーサルされる「過去」は、どちらかといえば置き去りにされる。マーケティング史などの「歴史的アプローチ」が、大切な研究領域として存在する意義がそこにある。

<マーケティング・サイエンス派:論理実証主義の限界>
 ところで、事例を基礎にした2つのスクールに対して、マサチューセッツ工科大学に研究の起源を持つ「マーケティング・サイエンス学派」では、自然科学の方法をマーケティングに応用しようとした。サイエンス派がスクールとして認知されるようになったのはごく最近のことである。それは、コンピュータによる大量データ処理とソフトウエアの利便性が高まってから後である。
 1980年代に入ってからPOSデータが急速に普及したことで、サイエンス派の地歩はより確かなものとなった。マーケティング・サイエンティストたちは、大量データに基づいて理論モデルを構築し、統計モデルにデータをあてはめて「未来」を予測する。ほぼリアルタイムで販売データが入手できるようになったことで、客観的なデータに基づいて意思決定を行うことが、マーケティングの実践的な枠組みに採用されるようになった。
 しかしながら、マーケティング・サイエンスの方法は、ふたつの弱点を持っている。
 ひとつは、自然科学に特有な方法の問題である。マーケティングに典型的に見られるように、社会科学が対象とする現象は、基本的にまったく同じイベントが繰り返して起こることがない。過去のデータに対して当てはまりがよかった理論モデルを使って、将来を予測することには自ずと限界がある。未来を正しく予測するためには、競争構造や環境条件などについて、質的な変化を読み切る必要がある。POSデータは過去情報である。予測すべき未来は、単なる過去の延長線上に存在してはいない。
 ふたつめは、POSデータがもたらしたマネジメント上の副作用であった。POSデータは行動の結果を反映したデータであって、そこから消費者の意識を直接的に知ることはできない。逆に、POSのような販売実績データだけでブランドをマネジメントしようとすると、マーケティングにとってもっとも大切な創造性が失われてしまう。
 実際に、大手小売チェーンがメーカーとの商談にPOSデータを利用するようになってから、店頭では価格プロモーションが常態化するようになった。その結果、頻繁に値引きされたメーカーブランドのイメージが大幅に低下した。メーカーだけでなく小売業にとっても、長年の間に蓄積してきたブランド価値に傷がついたことは不幸な出来事であった。

 <人の眼:ブランド・エクイティ論のパイオニア>
 デービッド・アーカー教授が書いた『ブランド・エクイティ戦略』は、何よりも、傷つけられたブランドを復権するという意味で、大手消費財メーカーから大いに歓迎された。80年代を通して、流通業者からの値引き要求とディスカウント攻勢にさらされてきた消費財メーカーにとって、アーカーが提起した「ブランドへの回帰」は福音であった。折りしも、M&Aブームに沸いていた欧米のビジネス社会には、ブランドの資産価値を会計的に評価しなければならないという実務的な要請もあった。
 1991年に出版された『ブランド・エクイティ戦略』には、まったく類書が存在していなかった。マーケティングにとって新しい地平を切り開く著作として、実業界だけでなくアカデミアからも高く評価された。それには、明白な理由があった。
 マイケル・ポーター以来、経営戦略論の中心課題は、いかにして競争優位を築くかにあった。「製品差別化」が重要であるという認識はあったが、産業組織論をベースにした戦略論では、価格戦略やサプライチェーンの構築、あるいは技術標準や特許戦略などに理論の展開が向かっていた。製品に固有な付加価値を生み出す具体的な源泉については、ほとんど言及されることがなかった。マーケティング研究者が、戦略論の枠組みの中で独自性を発揮できるチャンスがそこにあった。
 アーカーの最大の功績は、付加価値の実体が「ブランド」であることを明確にしたことである。そのうえで、ブランドの無形資産価値に、コンセプトとして実にわかりやすい「ブランド・エクイティ」という名称/ラベルを与えたことである。彼のもうひとつの貢献は、ブランド・エクイティを構成する要素が、消費者行動論の理論的な蓄積を踏まえて、「ブランド知名」「ブランド・ロイヤルティ」「知覚品質」「ブランド連想」「その他の要因」の5つから成り立っていることを示したことである。

 <世界的なブランド論を先導する>
 アーカーの研究者としての特徴は、いち早く隣接する専門分野の動向をキャッチして研究テーマに取り入れ、誰よりも早くその理論的な成果を世間に問うていったことである。
 『ブランド・エクイティ戦略』の続編として、アーカーは1996年に『競争優位のブランド戦略』を、2000年には『ブランド・リーダーシップ』を発表している。3部作の第一弾『ブランド・エクイティ戦略』に対する「概念的で操作性に欠ける」という批判を意識したのか、2作目では、「具体的に強いブランドをどのように創るか」に焦点がおかれた。3作目では、マス広告によるコミュニケーション以外にブランド価値を創るマーケティング手段(店舗、イベント、口コミ、ネットなど)について言及がなされている。ブランド選択に影響を与える要因として、「店舗でのブランド体験」に焦点を当てているのはさすがにアーカーである。
 20世紀最後の20年間を回顧してみると、最初の10年間は、激しい小売競争と価格プロモーションがブランド価値を傷つけた時代であった。続く10年間は、マーケティングへの関心がマス媒体によるブランド構築に向けられた。長く続いた米国の好景気を支えてきたのは、もしかすると付加価値を重視した「ブランド・マーケティング」の成果だったのかもしれない。21世紀に入る直前から、ネットとリアルな店舗という場におけるブランド選択とブランドイメージの構築/維持に関心が移ってきている。
 それでは、そこに至るまでの100年間、ブランドはマーケティング理論が成立するプロセスの中でどのように取り扱われてきたのだろうか? 最後に、時間の軸をもって長くとって、「歴史的アプローチ」の代表作品であるリチャード・テドローの労作『マス・マーケティング史』(ミネルヴァ書房)を解読してみることにする。

 <鳥の目:マーケティング思想家の理論的貢献>
 テドローの理論的な貢献は、マーケティングの発達段階を、「分断の時代」「統合の時代」「細分化の時代」の3つに截然と括り直したことである。
 テドローによれば、ほぼ120年前まで地域的に分断されていたアメリカ市場は、大量生産、大量販売、大量広告という「マス・マーケティングの技術」が登場することによって、ひとつの全国市場に統合されていった。単品大量生産に基礎を置く20世紀初頭のマーケティングは、その段階でカテゴリーごとに強力なブランドを生み出していった。
 自動車産業では「フォード」、飲料業界では「コーク」、食品小売業の「A&P」、総合小売業の「シアーズ」である。テドローの著書の原題は、’New and Improved: The Strory of Mass Marketing in America’である。「New=新しい企業/ブランド」とは、1930年ごろまでに新興産業のリーダーとなった巨大ブランド群のことである。
 つづいて第2次世界大戦を境にしてはじまる「細分化の時代」において、先駆者であった「New=新しい企業/ブランド」は、「Improved=改善された企業/ブランド」から激しい挑戦を受けることになる。フォードに対する挑戦者は「GM」、コークに対するチャレンジャーは「ペプシ」、A&Pには「クローガー」、シアーズには「モンゴメリー・ウォード」であった。
 挑戦者たちの戦略は共通していた。彼らは、ひとつの商品ブランドで市場全体をカバーするのではなく、市場をいくつかに分けて特定顧客層に焦点を絞り込む戦略を採用した(ターゲティング)。あるいは、異なるニーズに対しては複数のブランドを用意することで、後発企業は先駆者の牙城を切り崩していった(マルチブランド戦略)。
 チャレンジャー・ブランドは、広告コミュニケーション戦略に際だった特徴を持っている。「ペプシ世代の発見」(若者というターゲット)に典型的に見られるように、20世紀後半に登場した挑戦者たちは、商品の「機能性」に焦点を当てるのではなく、ブランドが持っている「情緒性」やシンボリックな「意味性」を広告のなかで強調している。

 <マーケティングの未来:ふたつのシナリオ>
 テドローの「鳥の眼」は、マーケティングの未来についてふたつの代替的なシナリオを提示している。
 ひとつのシナリオは、細分化の時代のつぎに来るのは、第3段階「細分化の時代」の延長線上にある(消費者ニーズの)「超細分化」(hyper-segmentation)であるという予見である。この選択肢が実現可能であるためには、消費者のニーズを効率よく伝えるための「高度な情報システム」と、情報に対して柔軟に対応することができる「伸縮的な製造技術」が必要である。もうひとつの可能性としては、一番目の選択肢とは対極にある商品/ブランドの「逆細分化」(de-segmentaion)が考えられる。これは、ふたたび第2段階の「メガブランドの時代」に戻ることを意味している。テドローは、どちらがより実現しそうなシナリオなのかについて述べていないが、筆者の見解は以下の通りである。
 マーケティングの標準化とグローバリゼーションの流れは、後者の「メガブランド」が優勢になること支持している。たとえば、ネスレのような多国籍企業は、ネスカフェやブイトーニのような基幹ブランドについては、グローバルにブランドを統合しようとしている。積極的に海外展開を推進している日本企業、たとえば、ソニーや資生堂なども標準化の方向を志向している。
 他方で、情報技術の進展と伸縮的な生産システムは、「超細分化」の方向を示唆している。さらには、メディアの細分化や商品の調達手段の多様化も、現状では消費者とブランドの接点を断片的なものにする方向に作用している。しかしながら、消費者への対応が超細分化に向かっていく場合においても、ブランドに関しては一層の統一感を与えるような方向で努力がなされるだろう。というのは、多メディア時代においては、もし何もしなければブランドは求心力を失ってしまうからである。
 企業にとって、ブランドがビジネスの生命線であることに変わりはない。アンダーヒル氏が観察データで繰り返し示しているように、訴求力がないブランドは小売店の棚に埋まって沈んでしまう。そうした状況を打破するためにも、消費者の五感に訴えかけることができる強烈な個性がブランドには求められる。