『新潮45』(2017年1月号)に自分の論考(ローソン対セブン)が掲載されている。それはそれとして、その他の記事がじつにおもしろい。とくに驚愕したのが、橘玲さんの「『知能』と人種のやっかいな関係」。『言ってはいけない:残酷すぎる真実』の特別篇として掲載されている。
言ってはいけないことのひとつに、知能と学歴の正の相関がある。頭のいい人(種)は、経済的にも成功する。この仮説の正しさは、みなさんがなんとなく感づいているが、人前で口に出していけないタブーだ。科学的な証拠もあるらしい。『言ってはいけない』の著者によると、米国では、「白人のIQ=100、黒人=85、ユダヤ系=115、東アジア系=約105」というデータあるらしい。
出典がきちんと書かれていないので、にわかには信じがたい。ただし、米国留学時代に、周囲にユダヤ系の学者や友人が多かった。名前と風貌で、人種についてはだいたい見当がつくものだ。ユダヤ系の学者は、その他(白人)の研究者より明らかに優れていた。学会のシェアでみるとそれほど数は多くないが、引用回数が多い重要な論文のシェアでは群を抜いている。MITのL教授、スタンフォード大学のV教授など、、、
彼らに接した経験からいくと、ユダヤ系のひとたちの静かな性質や、合理的な思考傾向も納得ができる。ユダヤの遺伝子はそのあと、民族的な抑圧の歴史の中で、論理的な思考の正確さ数学的な計算能力のすばらしさが研ぎ澄まされていった。それなりに狭い世界なのだが、リターンの大きな金融界や学会に居場所を求めたのは、ごく自然な成り行きからだったのだろう。もともと優秀なDNAが、環境によってさらに個体選別されていったプロセスが想像できる。
中国南部、とくに福建省や広東省から世界に放たれた華僑の歴史にも、その痕跡がうかがえる。橘さんによると、華僑経済の世界制覇も、ユダヤの遺伝子保持のパターンと同様に説明ができるという。
つまりは、もともと華僑の先祖(中国南部の人々)は、優秀な形質を持った民族だった。ところが、自国では自然的な環境に恵まれず、北部の支配階層(北京経済圏の漢民族)に蹂躙され、貧農の身分に落ちぶれていた。それが、移民として海外に移住するや、移住先の住民との比較で知能が高かったおかげで、経済的な支配階層にのし上がる。
この仮説のおもしろいところは、日本と韓国においては際立った華僑財閥が存在していないことが説明できることである。日本人と韓国人は、華僑の先祖とほぼ同等な知能を持っている。なので、移住先で華僑は優位に立てなかったのだと。たしかに、そうなのかもしれない。ベトナムを除く東南アジア諸国では、マレーシア、タイ、インドネシアで、華僑系の財閥がその国の経済を支配している。だから、ベトナム人の遺伝子は、そもそも華僑に近いことが推論できる。
個人的に興味深かったのは、日本人の遺伝子が、初期(縄文期)は北方から日本列島に渡り、後期(弥生期)は朝鮮半島を経由して南から九州地方に流入したことだ。この事実は、「下戸遺伝子」(アセトアルデヒドが分解できない「飲めないくん」)の分布から説明されている。日本の中心部(関東地方から関西地方まで)に広く分布していて、東北地方(秋田)や九州・四国地方(高知)では密度が薄い。
そこから、わたしは、著者の説明にない別の仮説を思いついた。下戸遺伝子を持たない縄文人の血が、日本の近代化に多大な貢献をしたという仮説だ。坂本龍馬を擁する土佐藩、大久保利通と西郷隆盛を生んだ薩摩藩、伊藤博文の長州藩は、佐竹藩(秋田)やひ津軽藩(青森)と並んで、酒豪が多いことで知られている。これは、縄文人の遺伝形質の発現である。
北から海を渡ってきた縄文人の末裔は、太平の世(鎌倉幕府から江戸時代まで)は、農耕社会に向いた遺伝形質(S型セロトニン・トランスポーター遺伝子)を抱えて朝鮮半島から渡ってきた弥生人に支配されていた。安定した社会で支配層に上り詰めていたのは「飲めないくんたち」だった。彼らの武家社会を壊したのは、狩猟民族の血を絶やさなかった「飲めるくんたち」の末裔だったのではないのか。
タブー=差別的な言説からはじまる論考ではあったが、遺伝科学的な考察が歴史の一断面を説明できるのは、けっこうおもしろかった。とはいえ、知能だけで世界のすべてが説明できると考えるのは、早急すぎる展開のような気もしないではない。集団のダイナミックスが働くからだ。そうなると、ちがった歴史の見方も出てくるのではないだろうか?