日本人のビジネスマンよ、おうちに帰ろう!

『ダイヤモンド ホームセンター』からの依頼原稿である。次号の特集に解説的に使われることになっている。


われながら、自虐的な内容とタイトルではある。というのは、なかなか「自宅に帰らない本人」が書いているからである。
 正式なタイトルは、「モノばかり溢れてコトのない日本市場では、高い粗利益の住関連小売業は成立しえない!」である(2007年10月号)
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 創業以来27年、いま、無印良品のホームページを覗くと、つぎのようなメッセージが目に飛び込んでくる。題して「無印良品の未来」(http://www.muji.net/message/future.html)

 (前略)現在、私たちの生活を取り巻く商品のあり方は二極化しているようです。ひとつは新奇な素材の用法や目をひく造形で独自性を競う商品群。希少性を演出し、ブランドとしての評価を高め、高価格を歓迎するファン層をつくり出していく方向です。もうひとつは極限まで価格を下げていく方向。最も安い素材を使い、生産プロセスをぎりぎりまで簡略化し、労働力の安い国で生産することで生まれる商品群です。
 無印良品はそのいずれでもありません。当初はノーデザインを目指しましたが、創造性の省略は優れた製品につながらないことを学びました。最適な素材と製法、そして形を模索しながら、無印良品は「素」を旨とする究極のデザインを目指します。(後略)

 「中道戦略」(高すぎもせず、安すぎもせず)は、”stuck in the middle”(中間に挟まれて、価格・品質面でどっちつかずになる)という理由で、マーケティング戦略としてはあまり推奨されない。しかし、無印良品のアプローチはその例外である。低価格ブランドでもなく、さりとて高付加価値のゴージャスなブランドでもないが、コアなユーザーをきちんとつかまえ、独自のライフスタイルを提案しながら約30年間よく生きてきた。自らはブランドではない(無印=ノーブランド)と自己規定してはいるが、ブランド・パーソナリティで表現すれば、おとなしめの真面目なブランドとして認知されている。MUJIのコア顧客は、もしかすると良い意味でやや“ヒッキー”かもしれない。無印の店内で流れている音楽のように、静かではあるが豊かな時を楽しむことができる生活者を、MUJIブランドはイメージさせる。
日本の住関連小売業を眺めてみると、ライフスタイル提案型の小売業は、アフタヌーンティー・リビング(サザビー)、フランフランなど、都市型SCの中にややニッチなポジショニングで存在している。ある水準以上の上質なライフスタイルを享受している顧客層に対して、すてきな商品提案ができる人気業態として確固たる地位を築いてきた。また、新しい生活雑貨アイテムを販売する小売業としては、東急ハンズやLOFTのような店舗業態もある。ただし、すばらしい店作りではあるが、展示されているのは、煎じ詰めるとモノ商品である。
 一昨年、日本に再上陸したIKEAは、マスの顧客を一網打尽に刈り取ろうとするほど、日本市場の攻略について攻撃が大胆である。今年の一月に、わたしたちがイケア・ジャパンのLars Petersson社長を法政大学に招いたとき、講演を始めるなり開口一番に彼が発したメッセージは、衝撃的であった。「日本のビジネスマンの皆さん、おうちに帰りましょう!(Japanese businessmen,go home!)」であった。家にいる時間が長くなれば、滞在生活に必要な商品アイテムを低価格で提供しているIKEAの販売の場面は大きく広がる。そうした意味での扇情的なスピーチであった。スウェーデンの小売業が、日本人が忘れていた財布のポケット(家で過ごす時間という資産)に手を入れたのである。 

 <モノがあって、コトがない日本>
 ホームセンターの売り場を歩いていてつくづく感じるのは、日本の住生活の貧しさである。近くにホームセンターがあれば、それでもまだましなほうなのかもしれない。住生活全般を担うはずのHCの売り場には、例えば、家族と一緒に楽しい時間をすごすための方法について教えるパネル展示ひとつ見かけない。夏のバーベキューやガーデニングのキットは並んではいるが、屋内で楽しめるコトに関連した提案のデモは見かけたことがない。そこにあるのは、ペット用の砂や熱帯魚の藻や水槽や、押入れから抜け出してきたコジャレタ収納用家具である。そうした売り場では、店内の時間が静止している。
 いや、止まった時間が悪いというわけではない。日本人の庶民の時間のすごし方を遡っていくと、むかしは、楽しみとしてのたくさんの事柄があった。お茶やいけばな、お月見や庭遊び。季節の遊びとお祭りの道具。カルタや信仰心に結びついたさまざまな戯れごと。その周辺にインテリアや遊び道具があった。食に結びついた商品アイテムも数と種類の上ではばかにならないくらいあったような気がする。鍋や釜、お箸や漆器にしても、独特の色合いのデザインのものであったし、地方産品の素材が用いられていた。その中心には、たしかに紙と木の文化があった。
 住生活に関連する雑貨や家具やインテリア用品が、画一的でおもしろくないのは、米国式の住宅とホームセンターの商品構成に原因があるのではないか?HC業態と一緒に、米国から導入した洋風の家での生活スタイルがよくないのかもしれない。わたし自身が某メーカーが設計したプレファブリックの家に住んでいるので、まじめにそんなふうに考えることがある。画一的な商品で充分だとなると、原産国がどこであろうがメーカーが誰であろうが同じである。安さだけが調達のポイントになる。
それとは反対に、ひとびとの自宅での滞在時間が長くなり、暮らしそのものについても他者と差異を求めるようになれば、日本のホームセンターの売り場は根本的に変わっていくだろう。自らの価値観に合致した商品が必要になれば、衣料品小売業のように、それを提供する「住のセレクトショップ」(本誌、2006年?月号)が生まれる道筋ができる。多様なライフスタイル、例えば、「和風の生活回帰」などに消費者が反応するようにでもなれば、住居周りの関連分野に、デザイナー的な企業家が生まれる可能性もある。現状では、例えば、創造的なデザインを作り出す庭師(ガーデナー)には具体的な活躍の場がない。それは、住宅が画一的だからである。
 低い販売管理費、低い粗利(PB商品をつくった場合は高粗利)でオペレーションができるウォルマートやカインズのようなディスカウント小売業が絶対的な優位性をもっている。しかし、一段上の住生活の豊かさを喚起できる商品やサービスは、その売り場には存在していない。翻って、食品小売業のトレンドはすでに、最適国際調達から離れようとしている。地方の食文化を重んじ、食材の調達に関しても「地産」(ローカル)に目が向いている。住宅関連小売業でも、商品デザインや素材(資材)が「地産」であってもおかしくないだろう。そうであれば、日本人は、多少の価格高を住生活の豊かさとトレードオフしてくれるはずである。そのとき、高付加価値業態の開発とプレミアム商品の提案は、日本人がめざす新しい生活イメージとセットになる。