本HPの7月19日号に、「しまむらの楽しみ」(小川町物語)というコラムを書いた。ご記憶の方もいらっしゃると思う。
院生だったころ、偶然に発見した小川町出身の2つの企業「ヤオコー」と「しまむら」(現在は東証一部上場企業)とわたしとの個人的な出会いの瞬間についてである。
その後、ダイヤモンド・フリードマン社の千田編集長(『ホームセンター』)と石川編集長(『チェーンストア・エイジ』)に、「小川町物語を書きたい!」と折に触れて懇願してきた。一昨日、長年の願いが叶って、わたしの提案が社内で通ったらしい。ヤオコーとしまむらは、群馬県鬼石町で出会ったのは、小さな食品スーパー(一階)と小さな衣料品店(二階)のコンビネーションNSC(近隣型SC)であった。
両社がまったく無名の八百屋と呉服店から出発した姿を、この目で確かめた経験があることは、いまでもひそかな自慢である。ヤオコーの川野会長には、この企画がはじまることをすでにお伝えしてある。「久しぶりで、インタビューの時間をとって欲しい」と、元ゼミ生の塩原君(現在、ヤオコーの事業部長)に一昨日頼んである。川野会長には、今春(3月)に出版した『有機野菜の流通とマーケティング』(農文協)を一冊寄贈させていただいた。出版後に、川野会長自らが自社の青果バイヤー向けに数冊購入してくれたらしい。そのうちの一冊が、塩原君に回っていった。「お前さん、ゼミの先生が書いた本なのに・・・どうせまだ読んでないんだろう!」と一冊手渡してくれたとのこと。ありがたいことである。
この企画のおかげで、しまむらの藤原会長にお会いする機会を得ることになる。楽しみである。しまむらについては、9年前に、無印良品と一緒に物流システムを取材させていただいた。そのときの記事は、MJに掲載されている。フォローアップではなく、ブランドと海外事業のことについて伺いたいと思っている。
小川町出身者には、藤原会長、川野会長以外に、もうひとりの事業家がいる。有機農業運動のリーダー、金子美登(よしのり)氏である。さきほど、農水省にいる奥様の智子さんとお話をさせていただいた。本日8時過ぎに、ご本人と連絡をとらせていただくことになっている。
しまむらもヤオコーも、今を去ること30年前、量販店の出店攻勢から逃れるために、現在の生き方の原型(県道沿いの二等立地)を開発した。それは、開発というよりも、生存のために選んだ賭けであった。偶然がいまの成果なのか、それとも企図しての結果だったのか。30年前にはじまった「ファッションセンターしまむら」も、「マーケットプレイス」を標榜するヤオコーも、生きんがための立地とMDを求めていった結果ではないかと私自身は考えている。真実はどちらだろうか?
商業誌が、「2二特集」という名目で、約20ページの自由な物語スペースをわたしに与えてくれたことになる。個人的には、この機会を小説家デビューのステップにしたいと考えている。尊敬する故城山三郎氏、現存の荒井伸也氏(安土敏)や高杉良氏のように、企業小説家に届く準備の作品としたいものである。