翻訳作業が順調に進んでいたブラットバーグ他著「Customer Equity」(2001)が同書名で出版されることが決まりました。
法政大学産業情報センターのブランドマネジメント研究会のチームが、翻訳作業を行いました。
ダイヤモンド社から、初版刷り5,500部、単価2,800円で発行することを予定しています。9月9日には書店に並びます。とりあえず、内容を推測していただくために、さきほど完成した「監訳者はしがき」をDWにアップします。
<監訳者まえがき>
マーケティング研究者や実務家が、「カスタマー・エクイティ」(顧客資産)という言葉をしばしば耳にするようになったのは、1996年以降のことである。それは、本書の著者のひとり、ロバート・ブラットバーグ教授(ノースウエスタン大学ケロッグビジネススクール)が、共同研究者のジョン・デイトン教授(ハーバードビジネススクール)と一緒に、’Harvard Business Review’(July-August 1996)に発表した一編の論文”Manage Marketing by the Customer Equity Test”がきっかけとなっている。
発表後、実務界からも大いに注目を浴びることになったデイトン教授との共同論文「カスタマー・エクイティ・テストによるマーケティング・マネジメント」(邦訳:『ダイヤモンドHBR』1997年5月号、本書に補遺として収録)は、企業経営、とくにマーケティングを計画し実行するうえで、関係性資産としての「顧客」を軸とすべきであるという立場を明確に表明したものであった。これ以降、デービッド・アーカー教授(元カリフォルニア大学バークレー校)やケルビン・ケラー教授(デューク大学?)に代表される「ブランド・エクイティ派」(ブランドが企業にとってかけがえのない資産であるとする立場)に対抗する学派として、「カスタマー・エクイティ派」がマーケティング研究者の中心勢力のひとつとして躍進することになった。
本書でも説明がなされているように、ブランド・エクイティ派とカスタマー・エクイティ派のうち、どちらの立場が正しく、どちらの考え方が誤っているということではない。マーケティングを考えるうえでの軸足を、顧客とブランドのどちらにより多くを置くかという点のちがいだけである。取り扱っている製品カテゴリー、ターゲットとして設定されている主要顧客、企業が置かれている競争環境などによって、ブランド志向の経営をするのか、それとも顧客を中心としてマーケティング活動を展開するのかを判断すべきである。採用すべき最適な経営戦略が、市場特性や顧客類型や競争環境に依存して決まってくるのとそれは同様である。
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カスタマー・エクイティ派に属すると見なされる研究者のグループには、ふたつのタイプがある。ひとつのグループは、サービス・マーケティングの研究者たちである。
その成り立ちから、サービス業は本来的に顧客を中心に組織されている業種である。とりわけ、サービス業では、高い顧客満足(CS)や顧客との親密感(カスタマー・アフィニティ)を創り出すことが何よりも大切である。CSや親近感をベースに良好な顧客との関係性(リレーションシップ)を構築し、高い顧客ロイヤリティを獲得して、さらにはリピート顧客を増やしていく「維持マーケティング」の仕組み作りが、サービス業では経営上の中心的な課題になる。
サービス・マネジメントの枠組みと研究上の蓄積を踏まえて、サービス・マーケティング研究者の側から顧客マネジメントについて生み出された成果が、’Customer Equity’(邦訳:ローランド・ラスト他/近藤隆雄訳(2001)『カスタマー・エクイティ』ダイヤモンド社)である。本書の約一年前に米国で出版され、翻訳本はわが国でもよく読まれている。同書の著者たちは、ローランド・ラスト教授(メリーランド大学)をはじめとして、バレリー・ザイタムル教授(ノースカロライナ大学)やキャサリン・レモン教授(ボストンカレッジ)ともに、サービス・マーケティング研究では著名な学者である。なお、名誉のために断っておくが、「顧客資産」の概念ならびに「カスタマー・エクイティ」という用語を創案したのは、ブラットバーグ教授である。
もうひとつのタイプは、小売業における顧客マネジメントを主たる研究領域として来たグループである。ブラットバーグ教授は、こちらのグループに属している。本書が誕生することになった学問的な背景とビジネス環境は、小売マーケティング(有店舗とダイレクト小売業の両方を含む)とそこで実行されてきた顧客データ分析の流れからであることがわかる。以下では、この点をもう少し詳しく説明することにする。
小売業の分野で顧客を分析するニーズには、2つの種類がある。ひとつは、カタログ通信販売のようなダイレクト・マーケティングの業務である。ダイレクト・マーケターたちは、当初からマスマーケティングを志向する必要がなかった。なぜならば、通販会社のマーケティン部門が対応すべきユニットは、一人ひとりの顧客だったからである。自社のマーケティング活動に対して消費者がどのように反応するのかを観察し、購買履歴データを分析してその後の対応を考えることが彼らの仕事である。個々人のカスタマー・エクイティの価値を最大化することは、ダイレクト・マーケターにとっては常識であり、当然の前提条件であった。本書で提案されている標準的な手続きは、「顧客獲得」「顧客維持」「追加販売」というマネジメント・プロセスである。この枠組みは、ダイレクト・マーケターたちが発明し洗練してきた仕組みそのものである。
小売業の実務で顧客資産アプローチを採用しているもうひとつの領域は、FSP(フリークエント・ショッパーズ・プログラム)のような顧客ロイヤリティ・プログラムの開発とマネジメントの仕事である。言うまでもないが、FSPの登場とその普及は、小売店舗へのPOSシステムの導入がきっかけとなっている。POSで収集した顧客データを扱う場合、コンピュータで大量のデータベースを処理しなければならない。分析作業には、時間と根気が必要とされる。しかも、単なるデータ分析力だけではなく、事実やデータに基づいてマーケティング上の知見(インサイト)を導き出す「仮説構築力」が同時に求められる。
ブラットバーグ教授の周辺に統計学の素養を持ったマーケティング・サイエンスの研究者やビジネスコンサルタントが多いのは、そうした理由から来ている。実際に、たとえば、共著者のゲイリー・ゲッツ氏とジャクリーン・トーマス氏のふたりは、そのようなバックグラウンドを持った研究者と実務家である。また、最近では、高度な統計手法を習得したり、複雑なデータマイニングに関して深い知識を有することが必須になってきている。カード会社やコールセンターを運営しているダイレクト・マーケティングの会社も、同様なノウハウを必要としている。
以上をまとめると、カスタマー・エクイティは、ダイレクト・マーケティングの実務のなかから生まれ、サービス・マーケティングと顧客データベース管理が高度化していく過程でその概念が精緻され、有効性が実践の場で鍛えられていったと言える。概念として整理されたのはごく最近のことであるが、実務のうえではかなり長い歴史を持っていることがわかる。しかも、データベース・マーケティングやサービス業が隆盛を極めるなかで、カスタマー・エクイティ・マネジメントの応用範囲は、今後ますます広がっていくと予想できる。
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最後に、本書を翻訳することになった経緯について述べておきたい。
本書の翻訳チームは、法政大学産業情報センターが組織している「ブランド・マネジメント研究会」のメンバーで構成されている(担当章は別掲)。ほぼ同じメンバーが、2年前に『グローサリー・レボリューション』(同文舘出版)を一緒に翻訳した経験がある。用語の統一、訳出する標準規則、データ転送法などのテクニカルな面では、翻訳のノウハウとスキルの蓄積があった。われわれのチームワークは万全である。
監訳者のひとり小川が、たまたま昨年秋、『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』から「マーケティングの未来を探る」(2001年10月号)という書評原稿の依頼を受けた。そのことが、本書を翻訳することになる直接のきっかけであった。その時点で、本書は米国ですでに出版されていた。そのことを知っていたので、そしてまた、本書の下敷きになっている記念すべきブラットバーグ/デイトンの共同論文が、日本でも4年前に同誌に翻訳され、2001年に再掲載されていた。そこで、出版されたばかりの本書を同じダイヤモンド社から出版できないかという提案を佐藤和子編集長にさせていただいた。
話しはトントン拍子に進んで、すぐに版権が取得できることがわかった。2001年12月から集中的に研究会を開催し、2月初旬までに下訳を終えた。各自の電子ファイルでの訳出が3月末で完了し、監訳者ふたりが約1ヶ月半をかけて文章の修正と用語を再統一する作業を行った。そうしている間に、法政大学ビジネススクールと共同でブラットバーグ教授を日本に招聘し、産業情報センターの主催で出版記念特別セミナーを開くことが決まった。本書の出版日は、9月10日のブラットバーグ教授のセミナー講演にあわせて、9月9日に設定され、今日に至っている。
かなり急いで仕事を終わらせたために、もしかすると意味が取りにくい文章があるかもしれない。また、誤訳がある可能性を否定できない。しかしながら、翻訳の品質責任はすべて、監訳者の小川と小野にある。15人のチームワークで完成した翻訳作品が、ふたたび世の中に出ていくことに協力してくださった皆さん、とくに、法政大学産業情報センターの倉林浩昭事務主任とダイヤモンド社の佐藤和子編集長には心より感謝したい。
2002年7月吉日
訳者を代表して 小川孔輔(法政大学)
小野譲司(明治学院大学)