【優秀作品紹介】 「2018年度ビジネスイノベーター育成セミナー」(初回レポート優秀作品)

 今年度も、「ビジネスイノベーター育成セミナー」の第一回レポートは、次の課題だった。マイケル・キートン主演『ファウンダー:ハンバーガー帝国のひみつ』を視聴した後で、「マクドナルド兄弟とレイ・クロック、どちらをマクドナルドの創業者と考えるか?」。(そのあとで、「企業家としてのレイ・クロックをどのように評価するか?」が二番目の質問であった。

 

 昨年度(2017年度)は、マクドナルド兄弟とレイ・クロックの支持傾向(どちらを創業者とみなすのか?)をブログで紹介した。今年度は、レポート提出者の中から、わたし(小川)が主観的に優れていると考えた院生の評価レポートを紹介してみたい。

 優秀作品の4本は、木村健一さん、野本義弘さん、小林正明さん、阿部克年さんによるものである。「どちらを創業者とするのか」は、論旨の評価には関係がない。それぞれが、なかなか興味深い視点を提供してくれている。

なお、文章の一部を編集してある。お許しを!

 

 

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ビジネスイノベーター育成セミナー レポート課題

18W0111 木村 健一
「マクドナルド兄弟とレイ・クロックのどちらが創業者か?」
  
 はじめに
 授業時間内に、マイケル・キートン主演の映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」を鑑賞させていただきました。テーマは、本稿タイトルのとおり、マクドナルド兄弟とレイ・クロックのどちらが創業者なのかについて筆者の見識を本稿にて述べることにあります。
 さっそくですが、筆者の見識を述べます。創業者は「マクドナルド兄弟」です。その考えに至った経緯を以下に記します。なお、僭越ながら、一部、筆者のビジネス経験を踏まえつつご説明をさせていただきます。ビジネススクールでの気づきをもとに自分自身の振り返りをすることも勉強と思っているのでご容赦ください。
   
 筆者の経験から、マクドナルド兄弟とレイ・クロックの立ち位置を考える
 筆者は前職の富士通勤務時代には「コンセプター」として社内で認識されていました(実際の肩書きはデザイン戦略チーフディレクター)。筆者が退職前最後にコンセプトディレクションの指揮を執ったのは、担当役員から直接仰せつかった「RoboPin(ロボピン)」というコミュニケーション・ロボットのプロジェクトでした。当該プロジェクトにおけるコンセプターとしての筆者の仕事をひと言で表現すると「どんなロボットをつくれば、富士通のどんなシーズが活かされて、顧客に対してどんな価値を提供できるか?を定義すること。そしてそれをプロトタイプとしてアプトプットする(具体的に実行可能かつ効果を期待できるものとして周知させる)こと」です。これは、マクドナルド兄弟(以下、「M兄弟」と記す)がつくった「マクドナルド」と同義に思えました。すなわち、M兄弟は実務の伴った「コンセプター」として理解できます(…筆者とはスケールが違いすぎるので大変僭越な喩えではございますが、そこはご容赦ください)。
 そして、そのRoboPinは、私が退職した今、新規に創設された部署によって拡販策を計画・実行され、先日、東京オリンピック2020の公式パートナー(コミュニケーション・ロボット分野では唯一)に選出されました。拡販への重要な試金石を獲得したとのことですが、そこに至った努力は、レイ・クロック(以下、「レイ」と記す)の行動に近しいと筆者は認識しました。すなわち、レイは「実務家」です。
      
 今のマクドナルド・ビジネスの確立と成功に至った両者の影響力の大きさを考える
 上記のとおり、「コンセプター」と「実務家」という切り分けで筆者はM兄弟とレイの存在を仮定して、そこから「創業者」が誰なのか?の考察を深めたいと思います。
 正直、筆者はこのざっくりとした「コンセプターvs.実務家」という分業の仮定だけからでは創業者を決めきれません。よって、映画から知り得た情報を活用して、まずは両者の影響力の大きさを考察してみます。
 レイの凄さに共感したポイントは大きく2つあります。それは「ゴールデンアーチ」をフィーチャーする行動、そして「ファミリー」という概念と施策を合わせた言葉を用いたことです。
 前者「ゴールデンアーチ」をフィーチャーすることの何が凄かったかと申しますと「星条旗や十字架しかないアメリカの風景を変える魅力がある」という言葉で、M兄弟を口説き落としたことです。
 そして、後者「ファミリー」の凄さですが、これは、フランチャイズを成功させるために必要であり、且つ、M兄弟の悩みでもあった「品質」への具体的な改善施策とともに、フランチャイジーの気持ちを上手に掴む口説き文句を作ったことです。
この2つは、実務家としてレイが成功した大事なポイントでしたが、同時に、レイがコンセプターとしての仕事も成し遂げたことを意味していると筆者は考えます。ゴールデンアーチもファミリーも、マクドナルドのコンセプトを語る上で重要なエッセンスであり、それらはレイによって磨かれたからです。  
 映画の中からはレイの実務家としてのセンスを随所に見られましたが、キーポントとして挙げた上記の2点にさらに付け加えると、「マクドナルドという言葉がアメリカのシンボルになる」とM兄弟にダメ押しのように言い放ったことの大きかったです。レイのこの言葉は、マクドナルドのコンセプトを確実に昇華させたという自負と言えます。両者の影響力の大きさは、ここで完全に勝負が決まったように思えます。
    
 「創業」とみなす筆者の基準
 そんな策士として優秀(冷酷?)なレイにも、「ファウンダー」としてのプレゼンスを追い続ける葛藤と覚悟を垣間見た瞬間が映画の中に2箇所ありました。ひとつは、フランチャイジーご夫妻からシェイクの素を提案してもらう会食のシーンで「創業はいつから?」と訊かれた際のレイの答えです。レイは、一瞬躊躇し、言葉に詰まりながら「1954年」と答えました。つまり、この時点ではマクドナルドの創設者はM兄弟であるという認識を持っています。
 そしてもうひとつは、映画の終盤のシーンで、レイが講演に出かける直前に自宅で鏡に向かってスピーチ練習をしていたシーンです。彼は前者の「創業年」を言い換えました。その覚悟ができた理由は、レイがM兄弟に言い放った「成功要因は『画期的な生産プロセス』ではない」という言葉にも顕れています。当初はその生産プロセスに感銘を受けながらも、レイは、自らの実務家兼コンセプターとして、その原点を「上書き」できたという確信を持ったのでしょう。不動産ビジネスが大きかったことは言うまでもありません。
 要するに、レイは、自分は本来の創業者ではないということはわかっているのですが、persistence(根気)によるマインドチェンジによってファウンダーを自負できたのです(筆者ならpersistenceは『固執』と翻訳したいです)。前述のとおり、M兄弟のこれまでの活動を超える「コンセプター」と「実務家」の両者をひとりで実行した結果、M兄弟の原点を上書きできたと考えます。
 しかしながら、上書きされる前の「画期的な生産プロセス(モノ)」「新たな食文化づくり(コト)」のコンセプトとそのビジネス、フランチャイズ、すべての道筋の基本をつくったのはM兄弟です。すなわち、0を1にしたということであり、筆者はこれを「創業」とみなします。その時点の取り組みで「不動産」がなかったことは事実ですが、ゴールデンアーチにしてもM兄弟が考案したことであり、レイはあくまでもそれをフィーチャーした立場ですし、またフランチャイズ成功のキーとなった「ファミリー」にしても、それは成功に至る有効な施策のひとつであったと考えることが自然であり、どれも1ができた先に描いたストーリーです。
  
 むすび
 上記のとおり「コンセプター且つ実務家」であり、0を1にする活動を実践できた人を創業者と定義してよいと筆者は考えました。M兄弟もレイもどちらもその2つを実践しました。今のマクドナルドビジネスの確立と成功への貢献レベルが高いのはレイではありますが、小さくても「コンセプター且つ実務家」としてモデルを考案し、それを「最初に」実践した人はM兄弟です。また、レイの偉業である「不動産業」を第2創業と解釈することもできますが、オリジナルの創業者はマクドナルド兄弟です。    以上
  
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ビジネスイノベーター育成セミナー2 レポート
im18w0121 野本義弘
 課題:レイ・クロック評(どちらが創業者なのか)
 マクドナルド兄弟とレイ・クロックのどちらが創始者かという評価に際して、ドラマでは手続き的な怪しさや、人間性に関してバイアスがかかりすぎていて、正当な判断を難しく見せている。わざと、という印象がする。わざと見せると言うことは、実際はその逆に真実があるのでは、と考えると、レイ・クロックの方に軍配が上がりそうである… そこで、私は、別の、事例を使って考えてみることにした。別の事例とは、ノーベル賞を受賞された中村修二教授と日亜化学工業の青色発光ダイオード事件である。
 青色発光ダイオード事件は、職務発明規定のもとで、当該発明を為しえた中村修二氏(当時、従業員)と、その発明をもとに大成した日亜化学工業間で、相当の対価を求めて争った民事裁判であるが、要は、当該発明をもとに商品化し、多額の収益を得るに当たって、どちらのコントリビューションが多大であったかという判断に帰着すると言って良い。
 そのアナロジーは、マクドナルド兄弟が中村修二教授、レイ・クロックが日亜化学工業に位置づけられる。中村教授の主張点は、その発明なかりせば、そもそも多額の収益など生まれるはずがない、ということである。一方で、日亜化学工業は後日、敗訴の後でもウェブサイトに掲載したように、多額の収益は、中村修二教授一人の努力によるものでなく、社内で一丸となって、製造、企画、販売まですべてを動員し、その成果として為しえたものであって、その価値が評価されてしかるべきだ、という要旨である。なるほど、どちらにも一理ある。最終的にこの事件は、仲裁により決したため、巨額の支払いが認められなかった。つまり、日亜化学工業の半勝である。
 この裁判の場合、課題と異なる要件がある。一つには、職務発明規定という事前の定めがあることである。これにより、中村修二教授には抗しがたい壁があったといえる。また、日亜化学工業にとっては、「相当の対価」という算定基準のない金額を払わなければならなかったという事実がある。これは、レイ・クロックが、マクドナルド兄弟に白紙小切手を提供したシーンに被るところがある。
   
 さて、このアナロジーのポイントは、日亜化学工業で無くとも、商品化できたかどうかにかかっていると考える。日亜化学工業で無くとも高い商品性を提供できたのであれば、中村修二氏の発明の価値が極めて大きかった事を意味する。
 また、逆であれば、発明の価値は、たとえ売れていたとしても、その発明そのものの力に起因していないと言える。
 ここに至っての私の結論は、創始者がレイ・クロックとされたことを排除しない、ということである。確かに、マクドナルド兄弟の基本アイデアは秀逸であるし、その結末の悲哀をもって、創始者であるべきという心理は残る。しかしながら、基本アイデアが秀逸であったとしても、それが全国レベルで通用するか否かは別問題である。
 現在のマクドナルドがマクドナルドである所以は、このシステムを世界中に広めることに至ったその過程にある。その過程における倫理性については別の議論があるにしても、目標を高く掲げ、そのために必要なことを行ったが故に、目的を達成できたと考えれば、やはり、レイ・クロックの成したことは偉大と考える他はない。なお、レイ・クロックの創始者としての呼称は否定しないけれども、好意的で無いのは確かである。
以上
  
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ビジネスイノベーター育成セミナー        
課題レポート1                         
18W1007 小林 正明
 テーマ:映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」
■マクドナルド兄弟とレイ・クロックのどちらが創業者か?
 端的に答えると,創業者はマクドナルド兄弟であると考える。
 なぜなら,レイ・クロックはマクドナルド社(1955年)の設立者,そしてフランチャイズ経営による全国展開から世界的ブランドに成長したマクドナルド王国の創設者ではあろうが,マクドナルドのハンバーガー店事業は紛れもなく兄弟が始めた(1940年)ものだからである。クロックがいなければ,確かに現在のマクドナルドやそのビジネスモデルはなかったと言ってもよいだろう。だが,兄弟がいなければ,そもそもファストフードのサービスモデルによるハンバーガー店が誕生しえなかったのではないか。
 創業者とは,あくまでも当該の事業を始めた者であり,事業が拡大したか,成功を収めたかとは別次元で定義するべきではないか,というのが私の見解である。
 
■起業家としてのクロックをどのように評価するか?
 クロックは,偉大な起業家であり成功者でもあるがイノベーターではない,というのが私の評である。メニューは三つのみ,テーブルも給仕も皿もフォークもないが,客を待たせない画期的な“レストラン”を編み出したマクドナルド兄弟こそイノベーターであり,「スピード・サービス・システム」はまさに破壊的イノベーションの産物であったと言えよう。フランチャイズ化に関しても,既にケンタッキー・フライド・チキン(KFC)が数年前から展開しており,クロックはこうしたモデルを知っていたのではと推察する。なお,クロックと対照的に,KFCの創業者は誰かと問われれば,誰もがカーネル・サンダースであると答えるのではないか。
 クロックの人物像を象徴する言葉は,本人が「これさえあれば無敵だ」と語っているとおり,「根気」と「信念」であろう。「根気と信念さえあれば結果はついてくる。人生は心の持ち方で変えられる。」と夜な夜な啓蒙レコードを聞きながら自らを奮い立たせる姿に,彼の起業家としての原点,言い換えれば成功要因があったと考える。しかし,50代となってなお衰えない「根気」については恐らく誰もがリスペクトしうると思われるが,「信念」に関してはビジネスに徹する向上心と相手を顧みない強引さの両面が混在するがゆえに,賛否は分かれるところであろう。
 彼の「根気」を支えチャンスに導いた素質の一つとして,並外れた行動力が挙げられるのではないか。一度に8台ものミキサーの注文が入った時,彼は単に品物を送るに止まらず,店を直接見に行った。近場ならともかく,地元イリノイ州から3,700km余りも離れたカリフォルニア州までである。しかも空路ではなく,かのルート66を車でという点に圧倒される。さらに,既にフランチャイズとして展開されていたフェニックスの店舗に例のゴールデンアーチが設置されていることを知ると,これまた実際に見に行った。夜でも眩いばかりに輝くアーチを目の当たりにした瞬間,彼のなかで着想が確信に変わったのだろう。
 もとより,センスや勘のよさ,運もあったに違いない。「スピード・サービス・システム」自体の革新性に気づくのは容易かもしれないが,「マクドナルド」という語感・響きのもつ可能性や,ひと目で他店と区別できるトレードマークへの着想は,彼ならではの卓越した才能と思われる。また,後に再婚するジョアン(経費削減策の提言)や財務コンサルタントのソナボーン(収入源を確保する不動産業への転換の助言)との出会いは,偶発的でありながら立志伝にはしばしば生じる「偶然の必然性」とも言うべき強運を感じる。
 一方で,彼の「信念」を巡って印象に残った映画のシーンが二つある。一つは,不遇を託つ妻から「いつになったら満足するの?」と聞かれ,「たぶん一生しない…」と答える場面。この点に関しては,小川孔輔先生が論稿「社長の『履歴』大研究」の中で,「社長業に耐えられる人間は,自分を特別な存在だとは思っていないようだ。彼らにとっては,仕事に対するモチベーションは社会的な使命感の一部である。仕事に対する意欲は,ある種の宗教観によって支えられている。」と指摘していることと重なる。クロックがフランチャイズ化の勧誘で,「どの町にもあっていつも開いている教会のような存在,マクドナルドはアメリカの新たな教会=家族や仲間が集う場になりうる。」と語るところにも,「ふつうでは考えられない前向きな精神構造」(小川,前掲)に根ざした信念が伺える。
 もう一つは,病に倒れたマクドナルド兄の入院先にクロックが見舞いに訪れ,花束を差し出す場面。添えられた封筒を開けると,そこには小切手が…。背筋が凍る思いがした。起業家である以前に人としてどうあるべきかに関してここでは言及を避けるが,「野心こそ人生の醍醐味,目的のためならどんなことも厭わない。」と語る彼の「信念」はすべて自分にしか向いておらず,あたかも自分が創業者のようにふるまう姿はリスペクトし難いと感じた。
 最後は余談になるが,映画の原題「The Founder」のfounderの語源は,古期フランス語で「底に沈める」の意とされ,名詞として創業者などのほかに,動詞として「失敗する,つぶれる/沈没させる」などの意味もある。冒頭の問いにもあるように,原題が「真の創業者は誰か?」というテーマを投げかけているだけでなく,暗にマクドナルド兄弟の末路やクロックへの皮肉もメッセージとしているように感じたのは勘ぐり過ぎであろうか。            以上
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ビジネスイノベーター育成セミナー
「ファウンダー:マクドナルド帝国のヒミツ」
8W1001 阿部 克年
 
討議:マクドナルド兄弟とレイ・クロックのどちらが創業者か?
   企業家としてのクロックをどう評価するか?
1.初めに
 私は、映画を鑑賞した上での課題として与えられた、討議テーマである
「マクドナルド兄弟とレイ・クロックのどちらが創業者か?」の問いに対しては、
レイ・クロックであると考える。また企業家としてのクロックも評価している。
 なぜならば、マクドナルドは「フランチャイズチェーンストアを展開する企業」であるという事実があるからだ。マクドナルドが現在も個人事業主のハンバーガーショップであれば、マクドナルド兄弟が創業者であると言えるが、今のマクドナルドは世界最大のハンバーガーのチェーンストアでありFCフランチャイザーでもあるからだ。上記視点にて私個人の意見を整理していきたい。
 
2.フランチャイズビジネスとは
 フランチャイズビジネスとはフランチャイジー(加盟店)がフランチャイザー(本部)の「ブランド:商標」「システム」の共有を受けると共に、「ノウハウ」の提供を受けて運営を行う事である。それにより本部にロイヤリティを支払う仕組みである。マクドナルドにおいては、ハンバーガーであり、シェイクやナゲットのおいしさ、スピィーディーな接客システム、・製造方法やクリンネス。それぞれのマニュアル、帳簿システム等の書ききれないほどのさまざまなシステムに対して、フランチャイジーがフランチャイザーに対価を支払うものである。
  
3.自身の体験
 私は大学を出て、コンビニエンスストアチェーンを展開している「ローソン」に就職した。
 その後、1回も転職はせず今も働き続けている。1971年に大阪に生まれた私にとって1974年に大阪に誕生したローソンは、私にとって、最もなじみのあるコンビニエンスストアチェーンであった。1995年に大学を卒業してローソンに入社した当初は、ローソンが日本で最も大きいコンビニエンスストアチェーンと思っていた。なぜならセブンイレブンは大阪に本格展開してきたのは1996年で、それまで大阪ではCMもほとんど流れてなかった。
 また「ウィンドウズ95」も発売されてなかった時なので、一般にはパソコンは普及していない為に情報もなく、就職活動の際もセブンイレブンの事は意識していなかった事を覚えている。そんな状況下でローソンに入社したのであるが、研修を受けた時に衝撃を受けた。ありとあらゆる事に対して、さまざまなマニュアルがあった。またストアコンピューターで行う、発注システム、正確な時間管理を行っている物流システムに驚いたことを覚えている。私はその時、ローソンに入社してよかったと心から思い、NBメーカーの食品や日用品を販売する個人商店の「パパママストア」では成りたたない時代と感じたのをよく覚えている。
 
4.ビジネスの創業とは
 ローソンもアメリカのJJローソンと言う人物が牛乳屋から日用品にまで品揃えをひろげたチェーンである。オハイオ州で生まれて、現地でローカルチェーン化をしたあとダイエー社が日本に持ち始めたのが発祥だが、ローソン社内でも、お客様もJJローソンが創業者という話はしない。なぜなら、ローソンはコンビニエンスストアチェーンと言うビジネスモデルと言う事を皆が認識しているからではないだろうか。
 ルーツは大事だが、現在のマクドナルドの多店舗でのフランチャイズシステムを作ったのはまぎれもなく「レイ・クロック」であることは紛れもない事実であり、彼がいなければいま、日本の私たちもマクドナルドを知らなかった可能性が高い、少なくとも、
マクドナルド兄弟は大規模のチェーン展開を行わない方針であった為、ローカルチェーンで終わっていた可能性が高い。
 
5.レイ・クロックの評価
 これまで記述してきた、フランチャイズシステムによる店舗網拡大と言う視点で
私はレイ・クロックにしては、偉大な企業家と考える。映画で見る限り、ビジネスの進め方については「コンフリクト」「ハレーション」はあったにせよ、全世界の人がマクドナルドの商品・サービスを受けられるという事実から功績はとても大きいと考える。
 レイ・クロックはマクドナルド兄弟の生み出した「ブランド:商標」「システム」「ノウハウ」「サービス」を体系化し、ひろげたと言う意味で偉大な創業者であるという評価である。
                                 
 以上