娘の行きつけの店が2月20日で閉店になる。「今月で店じまいになります」という案内(年賀状)が来た。急なことだが、かみさんとふたりで京都に行くことにした。2005年の冬、かみさんが友人とふたりで木屋町あたりをふらふらしていて偶然に見つけた小料理屋さんだ。女将の名前は、清水さよ子さん。
その後は、もっぱら京都に住んでいる娘が友人を連れて通う店になった。通いはじめたとき、女将さんはすでに70歳に近かったことを最近になって知った。お店の契約更新の時期が来るたびに、「もう閉めてしまおうかな」と言っていることを娘から伝え聞いていた。
女将は2月26日に誕生日がくると82歳になる。さすがに寄る年波には勝てず、2月いっぱいで契約更新をせずに店をたたんでしまうことにした。最初は旦那さんと始めた商売だったらしい。40代で旦那さんを亡くしてからは、ひとりでおでん中心の小料理屋を続けてきた。一駒さんは、今年で店を開けてから51年になる。
木屋町は学生街なので、近くにはラーメン屋や焼き肉など手ごろな値段の店が多い。そんな繁華な街で商売を続けながら、清水さんは子供さんふたりを育てあげた。いまは東京と京都に住んでいる二家族で、お孫さんが5人もいる。
「うちはまだ3人、負けてますね」というと、女将はにこにこ、うれしそうだった。
わたしたちが三人で訪問した金曜日の夜は、お孫さんたちのうち二人が「看板娘」になっていた。この春から東京中央区の保育園に務めることになった4回生の美穂さん。そして、千葉からやってきた大学一年生のあいりさん。
美穂さんは京都生まれだから、しばしばカウンターに立つことがあったらしい。わたしは接客してもらったことがない。あいりさんは、おばあちゃんのお手伝いが初めてらしく、初々しく”ぬるめ”の熱燗を出してくれた。
この日も、カウンターに座っていたのは常連さんばかりでもない。12年前のかみさんたちのように、ふらっと入ってきた一人客もいた。しかも、出身地を尋ねてみると、なぜか県外からのお客さんがほとんどだ。一駒さんには、県外のお客を拾ってしまう「磁石」のようなものがあるのだろう。
女将とかみさんと娘の写真をメールで送ったら、静岡の販促研究所の杉山君が「知ってます!」と返信をくれた。全国各地から京都にやって来るひとに、”止まり木”を与えて50年間。「今度来たら、どこに連れていこかな」と娘の知海(ともみ)。「さみしくなるわね」とかみさんが言葉を重ねた。
82歳とはとても信じられない。お肌もきれいだ。女将さんの若さにはいつも感動する。
「でも、お店を閉めてしまったら、急に老け込んでしまわないかな」と娘は女将のことを心配している。女将の若さの秘訣は、50年以上も休むことなく仕事を続けてきたからだろう。お孫さんがもっと早くに社会人になっていれば、一駒さんを継承できたかもしれない。そんなことを思ってしまうのは、わたしたち常連さんの身勝手だろう。
「来月から、新しいお店が契約してるのですよ」と女将。ことばのおしまいが、ちょっと寂しげだった。わたしたちが、この同じ場所に寄ることはないような気がする。一駒さんは一駒さん、清水さよ子さんの店だから。
51年間、ご苦労様でした。そして、わたしたちがお客だったのは、その中のごく短い期間でしたが。ありがとうございました。