仕事に対する時間の配分

 その昔、萩本欽一が主演プロデュースをしていた「欽ちゃんのどこまでやるの!」(通称「欽どこ」)というテレビのバラエティ番組があった。毎週ゲストが登場して食事を取るコーナーがあって、毎回料理が5品用意されていた。レギュラー回答者はゲストが食べていく皿の順番を当てるというクイズ形式の番組であった。



 子供たちと順番を「当てっこ」をしたものだが、筆者はいつもながら予想を大きく外していた。興味深かったのは、ゲストの中には自分が好きなものから食べていく人と、まずは嫌いなおかずから取りかかる人がいることだった。
 周囲の人間にたずねて何となくわかってきたのは、ストイックで辛抱強い人間は、おいしいものを後ろに持って傾向があることだった。快楽的な刹那主義者は、おいしいモノから先に手を出す性癖があるように感じられた。もちろん、おいしいモノを真ん中に挟むとか、好きなものと嫌いなものを交互にするといった食べ方もあるようだった。

 それでは、逆のケースでは、どうなるだろうか? つまり、「あまりおいしくない」仕事が貯まってきたときのことである。短時間でこなしきれない量の仕事が与えられたとき、簡単に片づけられるものから処理するのか、それとも、困難な課題から解決していくかの選択である。
 たとえば、受験勉強では、時間的な制約があるので、まずはすぐに出来そうな問題から取りかかるように教えられる。さっと見て、難しい問題を飛ばしにかかれるのが優等生である。答えがひとつだけ存在する受験勉強では、おいしいモノから食べていく「キリギリス戦略」が勝ち組になれる絶対条件だからである。
 ビジネスにも時間的な制約がある。60分とか90分とかで答えなければならない状況に置かれることが多い。だから、とりあえずは解決が簡単そうな課題に対して、優先的に時間を配分していくことが正しい戦略だろうか? たぶんそうではないだろう。しばしば学校秀才が実業の世界で躓いてしまう理由がこの辺にある。
 ビジネスの世界では、解決法は一通りではないことがふつうである。成功に至る道は、実に多様である。恐ろしいことには、そもそも正しい解答が存在しないこともある。さらには、市場での競争原理が働くので、簡単に解決できる仕事に対しては安い対価しか支払われない。うまい答えが見つかればの話しではあるが、困難な問題に対する正しい解法には、投入した時間に比例する以上においしい報酬が待っている。

 わたしはビジネスマンではないが、米国留学中(1982-1984年)に国際的に活躍している経営学者たちの研究活動ぶりを見ていた。また、帰国後には、共同研究やコンサルティングを通して、日本企業で働く優秀な企業人をたくさん見てきた。そうした観察を踏まえて、30才台の後半からは、意識的に仕事の時間をある法則にしたがって配分するように工夫しはじめた。単純な原理原則である。
(1)すぐに成果が出ない仕事(研究テーマ)に対して、敢えて全体の20%程度の時間を投入すること、
(2)専門分野を外れた(未知の不得意な)の仕事に、毎年最低ひとつは取り組むこと、そして、
(3)研究プロジェクトなどを引き受ける際には、たとえ自分が苦労することがわかっていても、全体の5つにひとつは未知の領域のものにすること。
 (1)と(3)で出てくる割合、すなわち、「短期/既存の仕事に80%、長期/新規の仕事に20%」という配分比率は、「パレートの法則(2:8の法則)」という呼ばれている有名な統計学の法則である。研究分野が定まらなかった30才台は、この比率は3:7だったように記憶している。

 前置きが相当に長くなってしまった。言いたいことは、実は別の所にある。わたしたち日本の産業が抱えている問題は、すぐに取り組めそうな簡単な解決法に走りすぎているという主張である。例えば、当面の売上と利益を上げるためには、経営が苦しいこともあって、ともすれば、「コストダウン」と「価格引き下げ」という安直な方法に業界が頼ってしまっている。それでは競争が激化するだけで、全員が「繁忙貧乏」になる。誰も得るモノがない。
 すぐには結果が出そうにない、したがって、効果がいまひとつはっきりとしない「品質への投資」(鮮度保持、環境対応)や「ブランドイメージの向上」、さらには、競争者同士が手を組まないと実現がむずかしい「事業提携」には、皆がなかなか踏み込めないでいる。面倒だからである。
 好きなモノだけを食べ続けている人間は、味覚が鍛えられない。本当においしいものが見分けられるためには、塩辛い食事や固いビーフや気の抜けたワインも飲んでみなければならない。
 他流試合をしないと、どんな優秀な選手でも伸びない。あるところまでで、才能の開花が止まってしまう。イチローや野茂の姿が美しいのは、たしかに大リーグで活躍して結果を出しているからではあるが、本質はリスクを冒してまでのチャレンジ精神にあると思える。