本書を手にすることになったきっかけは、1か月前の『日本経済新聞』の書評欄だった。迂闊にも、日本でもっとも有名な映画監督の名前(黒澤明)は知っていても、日本で最も著名なシナリオライターの名前(橋本忍)は知らなかった。その人物が書いた自伝には、世界的な映画監督(黒澤明)との共同作業(共同脚本)の舞台裏が描かれている。日経の書評欄では、本書の内容がそんな風に紹介されていた。
早速、2010年に文庫化(文藝春秋)された本(単行本は2006年に刊行)を取り寄せてみた。2025年で6刷だから、そこそこ売れている。あいにく近刊の執筆『社長はつらいよ』(光文社新書)が佳境に入っており、すぐには読むことができなかった。『複眼の映像』は、文庫本とはいえ、解説を入れて405頁の大著である。
本書のキーワードは、「共同脚本」である。頻繁に映画館に通ったり、ネットフリックスで映画を鑑賞する習慣がないわたしは、映画監督と脚本家(シナリオライター)の役割の違いを知らなかった。なんとなく、映画監督が脚本家も兼ねているのだろうと想像していたが、それはまちがいだった。
もちろん黒澤明のような監督は、自らが脚本を書くこともある。しかし、基本的には、監督が橋本忍のような脚本家を指名するのである。ところが、完成したあとの映画のプロモーション段階では、誰がその映画の脚本を書いたのかを、映画を観る人たちには積極的に知らせることがない。
したがって、脚本家は表舞台に出ることがあまりないと、わたしは思っていた。しかしながら、事実は違っていた。映画の世界では、脚本家は重要な役割を担っているのである。それこそ「シナリオ(物語の筋書き)」は、脚本家が起案するものだった。シナリオができてから映画撮影が始まることを、恥ずかしながら本書を読んで初めて知った。
本書は、著名な脚本家(橋本忍)の自伝である。ただし、著者の橋本氏は、自分自身のことを書いている部分より、一緒に映画作りに取り組んできたチーム(黒澤組)のメンバーと、映画の制作現場での共同作業の実際を描くことに専念しているように見える。
師匠の伊丹万作との出会いから本書は始まる。そして、映画の世界に身を投じるまでが、「プロローグ」になる。続いて、前半部分(第1章「『羅生門』の生誕」、第2章「黒澤明という男」)では、黒澤作品がどのような制作されていたのか? その現場(脚本制作)の実際を、橋本氏自身がシナリオを描くような形で紹介している。
もっとも頁数が多い第2章(160頁)の登場人物は、黒澤明監督と脚本家のふたり(橋本忍と小國英雄)である。黒澤監督自身も脚本家なので、シナリオを書くときはそれそれの役割は違えども、3人が一緒に脚本作りに加わる。著者は、これを「共同脚本」による映画制作と呼んでいる。
黒澤明監督を世界的に有名にしたのは、脚本の制作過程(シナリオの共同制作)にあるというのが、本書を通して著者がもっとも強く主張したいことである。前半部分では、黒澤3部作の共同脚本の制作現場が紹介される。
3部作とは、「羅生門」「生きる」「7人の侍」の3つである。本書を読んで、わたしが興味深く感じて、なおかつ納得したことがある。それは、脚本というのは「生き物」だということだった。黒澤組の脚本作りは、複数のシナリオラーターが共通のテーマで競作(共作)するだけではない。
共同脚本の重要なポイントは、ライターたち(の一人:通常は橋本氏)が「第1稿」を書いて、「第2稿」から「最終稿」まで、旅館に缶詰めになって脚本を3人(黒澤、橋本、小國)で一緒に仕上げることである。映画制作の同時性が、脚本作りにも活かされている。しかし、そこで共同脚本の制作が終わるわけではない。「羅生門」から「7人の侍」に至るまで、これら3部作では最終稿が完成してからさらに作り直しの作業が始まっている。
取り上げるテーマは一貫したままで、新たに登場した素材(人物や場面、テーマ)をオリジナルの素材と組み合わせることで、別の作品に生まれ変わらせること頻繁に起こっている。本書の中で、その工程は、「ダイナミック」(な改変)という言葉で表現されている。
なお、その場合でも、新しい素材が、突如として制作チームの目の前に現れるわけではない。日常的に準備をしているから(例:「山手線方式」での乗客の人物観察)、たくさんの道具箱を抱えているから、オリジナルの映像がダイナミックに改変されるのである。それぞれが偶発的な出来事にも見えるが、それは同時に、予定調和で起こった必然でもある。
後半部分(第3章「共同脚本の光と影」、第4章「橋本プロと黒澤さん」、第5章「黒澤明のその後)では、共同脚本という制作方法で一時代を築きながら、時間とともにそのプロセスが崩壊していく様を描いている。最初(第3章)はロジカルに、最後(第5章)はエモーショナルに黒澤映画と黒澤監督自身の影が暗転する様子(興行の失敗とその原因)を追っていく。
第3章のはじまりに、「ライター先行形」という見出しで、橋本氏の師匠である伊丹万作氏の言葉が引用されている。
良イシナリオカラ、悪イ映画ガ出来ルコトモアル。
シカシ、イカナルコトガアッテモ、悪イシナリオカラ、
良イ映画ガデキルコトハナイ。
本書には、撮影現場の記述(エピソードや撮影場面)がほとんど出てこない。そうなのだ。きちんとしたシナリオが完成していれば、現場はそれを忠実に映像に落とし込むだけである。そのように、著者の橋本氏は信じていたに違いない。だから、封切られる直前の映画試写会には、彼はほとんど興味を示さない。脚本がすべてだと考えていたからだろう。
さて、共同脚本のために3段階を踏む手法は、ある時から、最終稿の脚本を「一回で仕上げる手法」に変わってしまう。3段階(3稿方式)では、時間と費用が3倍かかるからである。脚本作りが「いきなり型」になったもう一つの要因は、黒澤監督の心変わりだった。
黒澤作品を世界的に有名にしたのは、共同脚本の制作過程とテーマ選択だった。ところが、本書では別の解釈がなされている。つまり黒澤監督自らが、「職人的で緻密な仕事」から「芸術家としての直感」を追求するようになり、立ち位置を変えたからとなっている。しかし、評者はそのようには考えない。むしろ、名声と加齢が黒澤監督にプレッシャーを与え続けていたのだと理解する。
映画づくりの方法(ベストな手法)にも、時代の変化とチームメンバーの入れ替えが反映するのだと思う。いみじくも、著者が「エピローグ」で述べているように、平成(=1989年)に入ったのを境に、日本映画では観客動員力や経済的な効率が落ちていた。これは、その20年後の2010年代に決定的になる。
メディア環境と映画鑑賞者の意識が変化することで、映画の尺(2時間前後)と効率性(標準価格)が変わったことが大きいのだろう。映画業界の立て直しのために、黒澤組の菊島隆三氏と著者は、国立映画劇場と国立撮影所の実現に奔走する。しかし、時代はそれを許さなかった。
黒澤映画の成功は共同脚本という手法と、そこに集ったメンバーの秀逸さと互いの化学反応から来ていた。だから、二人目の黒澤(チーム)は再現ができない。中国の黒澤や韓国の黒澤は生まれても、日本からは再び黒澤は生まれようがない。
「エピローグ」を読んでいていて、わたしは不思議な感慨に囚われた。というのは、評者自身のこれまでの書籍の刊行(54冊)とそのプロセス(共編著が3分の2で、単著は20冊弱)は、どこかで黒澤チームと似通っていると感じる。
黒澤監督のチーム掌握の手腕と、優秀な脚本家のプールに支えられている黒澤映画は、大成功を収めることができた。黒澤監督が、新規性と同時にテーマやプロットの多様性を求めたからである。橋本氏は言う。「作品は30作だが、(初期の2作品を除いて、)それぞれがまるで違い、似たような作品が全くない(後略)」(375頁)。多様性が異彩を放っているのである。
それは、個人の創造力の限界を突破するために、優秀なメンバーをかき集める。そして、彼らを動機づけて、チームとして一緒に成果を喜び合う。本書を読み終わって、チーム黒澤のミニ版を、わたしは模索しているのだと感じた。日経の書評欄を読んだときの直感は、どうやら正しかったようだ。
<蛇足>
昨日(2026年8月30日 午後13時~午後17時半)、京成線から京急線経由で、京成高砂駅から終点の三崎口まで青い京浜急行の車両に乗車した車内で、往復約4時間をかけて本書を読了した。その後、本日(8月31日午前中)、ブログの書評として本書の紹介文を書かせていただいた。
映画ファンやシナリオライター・小説家志望の若者には、是非とも読んでいただきたい著作である。自身の物書きとしての資質を考える上で、また、共同作業で著作物をしたためるという野望を抱いている作家・脚本家志望の学生などにはお勧めの書である。
ただし、自身の立ち位置と将来を考える上で、あまりにも役に立つ故に、場合によっては人生選択の障害になることも、書評者としては懸念をしている。



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