【柴又日誌】#228:偶然の誘い、タカラトミーとのご縁

 玩具メーカーの「(株)タカラトミー」の本社は、京成立石駅の北口にある。立石駅から旧トミーの本社までは、葛飾区役所を目指してさくら道を5分ほど歩く。リカちゃん人形のタカラと合併したあとでも、本社は立石にあって変わらない。
 雑誌の取材ではじめて訪問したのが、1998年春のことである。立石にはかみさんの実家があったから、駅の近辺にはしばしば遊びに行っていた。隣家のタミちゃんのママさんが、合併前のトミーでパートさんの仕事では垂らしていた。真っすぐに走らない”お釈迦”のトミカを、長男の由がタミちゃんのママさんから持ち帰ってきた。だからきっと、わたしはトミーとは縁があったのだろう。

 1994年に出版した拙著『ブランド戦略の実際』(日経文庫)はかなりのヒットになった。日本で初めてのブランド論の啓蒙書だった。おかげ様で、身近なブランドを取り上げた連載の寄稿文を、マーケティング月刊誌の『ブレーン』(誠文堂新光社)に連載できることになった。
 この連載が、物書きとしての最初の仕事だった。2年間の連載が終わってすぐに、原稿を整理して『当世ブランド物語』というタイトルで単行本を出することになった。その中のひとつの章が、「鉄道玩具のロングセラーブランド、プラレール」である。
 一般向けのビジネス書でそこそこ売れたが、増刷にならなかった。いまは絶版になっているが、アマゾンで中古本を探せば、いまでも紙の本は入手できる。わたしの本としては評価はやや低めで、アマゾンの評価は3.5点である。

 その後、『当世ブランド物語』で取り上げたプラレールが、次男の真継がJR東海の新幹線の運転士になるきっかけを与えた。鉄ちゃんが、本当に鉄道マンになってしまったのだ。このことの経緯は、本ブログでも取り上げている。
 2018年10月、わが家は千葉県白井市から葛飾区高砂に引っ越することになった。そして、2023年にはペンネーム(小石川一輔)で刊行した『わんすけ先生、消防団員になる。』(小学館スクウェア)の中に、再びプラレールのタカラトミーが登場することになる。
 「おもちゃ屋は過去を振り返らない」という短い文章が、わんすけ本の第2章・第3節に収録された。内容は、1999年に刊行された『当世ブランド物語』から部分的に抜き出して再掲したものである。

 昨日のことである。友人の恩田達紀さんから、朝10時にLineにメールが飛んで来た。「これから午後2時にタカラトミーの若社長に呼ばれたので、急遽ですが先生の近くの立石の本社まで行きます!ご報告です」という内容だった。
 もしかして、先ほど読んでいた『日経ビジネス』(2025年12月5日号)に、タカラトミーの富山彰夫社長(41歳)が出ていた。創業家の直系のご子息にある。恩田さん曰く、「2024年の社長就任前には、欧州駐在だったようですね」。
 富山家の4代目に当たる血筋のようだ。ありがちなことだが、『日経ビジネス』の第2特集の囲み記事「世代を超え、次は国境を超える」では、自身が駐在していた欧州など海外に、タカラトミーの製品(プラレールや自動車模型、ベイブレード)などを広めたいと答えていた。
  
 そんなわけで、恩田さんに彰夫社長との縁をつないでもらおうかと思っている。ご縁があればの話である。登場の場面は、下町の商人話(長沢ベルト工業のシリーズ)でもいい。『社長はつらいよ』(光文社新書)のシリーズでもよろしい。
 とにかく、偶然を何らかのご縁にできないかと、わたしは願っている。恩田さんが今晩、富山社長の秘書の方にメールを送ってくれているはずである。 

 
  
 

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