【巻頭言】「最後の誕生日ブーケ」『JFMAニュース』2024年8月20日号

 「ファッションセンターしまむら」の創業者、島村恒俊(のぶとし)さんが、7月13⽇に⽼衰のために亡くなられた。98歳だった。新聞報道があった前⽇に、友人で⽇本経済新聞・編集委員の田中陽さんから、島村さん逝去の知らせが届いていた。

 ⾐料品チェーンのしまむらも⾷品スーパーのヤオコーも、埼玉県比企郡小川町から出た東証一部上場企業である。2000年に、ヤオコーの川野幸夫会⻑(当時、社⻑)とお会いすることがあった。そのときに川野会⻑から、「しまむらもヤオコーも、どちらも小川町の出身の会社なのですよ」と知らされた。わたしの名前も、小川である。
 そこからインスピレーションを得て、『チェーンストア・エイジ』(現『ダイヤモンド・チェーンストア』)で、2009年から「小川町経営風土記」という連載がはじまった。雑誌連載に加筆して書籍化したのが、『しまむらとヤオコー』(小学館、2011年)である。

 島村オーナー(2代目社⻑の藤原秀次郎さんの「島村さん」の呼び方)とは、雑誌連載のために、埼玉県吉⾒町のご⾃宅に何度も伺うことになった。島村さんは、すでに80歳代の半ばだったが、ご⾃分でクラウンを運転して、わたしを東松山駅まで送迎してくださった。
 連載が終わった2009年から、島村さんが大好きなバラの花束を、ご本人の誕生⽇(3月8⽇、国際⼥性デー/ミモザの⽇)に欠かさず贈り続けてきた。ご⾃宅に伺ったときに、広いお庭にバラが植えてあって、島村さんが丁寧に⼿⼊れされている姿を⾒たからだった。

 最初の年からしばらくは、大分メルヘンローズ(小畑和敏社⻑、当時)から、わたしが命名したバラ(M-ヴィンテージコーラル)を花束にして、吉⾒町のご⾃宅に送り届けていた。その後はHitoHana(森田憲之社⻑)さんから、誕生⽇のブーケを贈ることになった。
 誕生⽇の翌⽇に、いつもご本人から電話があった。「埼玉の、よ・し・み町の、し・ま・む・らと申します。いつも花束をおくっていただき、ありがとうございます」というメッセージが、わが家の留守電に残されていた。
 昨年は、ご本人と電話で話すことができた。しかし、今年は実娘の北村有美さんから、代理でお礼の電話があった。わたしから事情を聞きにくかったので、「かなりの高齢だから、⼊院でもされているのかな」と思っていた。

 島村さんは、⽇本の小売業の発展に大きく貢献された方だった。「最大の貢献は、藤原(秀次郎)さんを採用したことではないでしょうか」(田中陽さん)。田中さんの言葉は。島村オーナーが藤原さんの才能を⾒出して、しまむらの経営をすべて任せたことを指している。島村さんは、肉親だからと情実を⼊れずに、物事を合理的に判断する人だった。

 ⽇本の小売業で、いま一つの時代が終わりかけている。ヨーカドー創業者の伊藤雅俊さんが亡くなり、戦後の小売業を牽引してきた創業経営者で残っているのは、イオングループの岡田卓也氏(99歳)とベイシアグループの土屋嘉雄氏(91歳)のふたりのみである。
 それにしても、今年が最後の誕生⽇ブーケになってしまった。なんとも寂しい気持ちになる。島村さんのご冥福を、心からお祈りします。合掌。

(*)この巻頭言は、小川の個人ブログ「【訃報】「ファッションセンターしまむら」の創業者、島村恒俊さん(98歳)逝去」(2024年7月24⽇)を大幅に加筆修正したものである。

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