2008年に、日本ショッピングセンター協会が主催するセミナーの講師として、ハニーズの江尻義久社長(当時、現会長)をお招きした。あれから、江尻会長とは15年のおつきあいになる。2009年に出版した拙著『マーケティング入門』(日本経済新聞出版社)では、オープニングの事例で、ユニクロとハニーズのビジネスモデルを比較させていただいた。
わたしの教科書が発売になった2009年から2011年ごろにかけて、ユニクロは破竹の勢いで、中国を中心に海外で店舗を増やしていった。欧米では苦戦していたが、比較対照企業として、しまむらやポイント(現アダストリア)ではなく、わたしがハニーズを取り上げたことに対して、多くの読者が「なぜ?」と疑問を呈していたはずである。
データで見ても、売上高・利益で両社の間には、約10倍の差があったからである。しかし、わたしにとって、若い女性向けのファッション衣料小売チェーンの「ハニーズ」との出会いは衝撃的だった。SPA(製造小売業)としてのハニーズは、つぎの3点に関して、ファーストリテイリングやその他の衣料品チェーンとは決定的にシステムが異なっていた。
その独特な仕組みとしては、
①直営の縫製工場(その昔はいわき市、現在はミャンマー)を持っていること(低価格の源泉)、
②「トレンドフォロワー」をターゲットにしたことで、高速かつ外れのない商品投入ができること(商品投入の確実性)、
③自社物流センターから商品を店舗へ移送する独特の仕組みを開発したこと(クイックでロスのない販売)。
この3点(高感度、高品質、リーズナブルな価格の実現)が、本書の中で詳しく解説されている。
本書の刊行は、昨年の4月だった。恥ずかしながら、わたしはダイヤモンド社から本書が出版されたことを知らなかった。江尻社長(ご子息の英介氏)のインタビュー(1月28日)の補足資料として、英介さんから本書を手配していただいた。早速読み終えて、こうして感想と推薦の文章を書くことにした。
江尻会長の『最旬のファッション、最速の決断、最高の満足』は、英介さんによると、「会長がライターさんに話した内容をまとめたもの」らしかった。今年78歳になる江尻会長が、息子さんへの事業継承が完了しつつあるこのタイミングで、ご自身の経営の足跡を一冊の本にまとめておきたかったのだと思う。江尻会長の気持ちが、記述のスタイルによく表われている。ただし、ふつうの創業者の書籍とは明らかにちがっている。
創業者が著わしたビジネス書として、本書はユニークな点がふたつある。
一つ目は、創業からハニーズの成長を支えてきた社員たち(執行役員、部長さんクラス)の写真と功績(肉声)が、本書の随所に登場している点である。自著の中で、社員の名前と各人の業績を、創業者がこのような形で紹介するのはあまりを目にしたことがない。いずれ第一線から退くときが来る前に、江尻会長の思いを理解して黙々と働いてくれた社員たちに対して、感謝の気持ちを伝えておきたいと考えたのではなかろうか。
二つ目の特徴は、本書が次世代の経営陣(英介社長とそのマネジメントチーム、詳細はブログ記事参照)に対する「置き土産」になっている点である。
本書の最終章(第4章「受け継がれる経営のバトン」)に暗黙裡に書かれているように、江尻会長は、英介社長に交替した後では経営スタイルを変更することに対してオープンである。むしろ、「自分たちの頭で考え、自分たちのやり方で新しい道を切り拓いてほしい」と考えているように見える。
具体的には、自分と英介社長のスタイルの違いを、次のように表現している。「私は『この商品は売れる、この物件は厳しい』と答えだけを発してしてしまいますが、英介社長はそこをロジックとデータなどを交えながら、私が無意識にしてきたことを紐解き、言語化して周囲に伝えてくれます」(P.164)。
英介社長も、わたしとのインタビューの中で、「トップダウンの会長に対して、わたし(社長)のやり方はボトムアップです」と説明してくれている。そのことを、本書の中で会長自らが明確に述べている。
本書は、創業者の自伝的な成功物語ではない。江尻会長の経営哲学や意思決定の背後にある基本的な考え方を、書籍という形で残したものである。ふたつの特徴は、本書の構成にも反映されている。これから本書を読むことになる読者のために、簡単に全体像を紹介して、感想とコメントを終えることにする。
第1章「業界の先駆けとなった独自SPAの仕組み」では、会社の仕組み(ユニークなSPA)が紹介されている。わたしが、「ハニーズとの出会いは衝撃的だった」と述べたユニークな仕組みの解説である。こうした仕組み(上述の①~③に加えて、品質管理の努力)があるために、ハニーズは現在のような「好感度で高品質、リーズナブルな価格」を顧客に提供できている。
第2章「帽子店から婦人服事業への転身」は、初期のハニーズの業態転換と困難な時代についての歴史である。ここは、帽子屋から婦人服事業を展開して成功するまでの話である。DCブランドと決別して、郊外に店舗を展開するようになるまで、江尻会長がどのような決断をどのタイミングで下したのか明らかにされる。
第3章「海外展開でのトライアル&エラー」では、中国への生産基地移転と中国での小売業進出を取り上げている。中国の小売りビジネスから撤退した経緯は簡単に紹介されているが、その決断は極めて素早かった。そして、ミャンマーに工場を作るまでの決断のと実行の話がそれに続く。中国市場からの撤退のタイミングと、ミャンマーに自社工場を作るという意思決定は、未来を予見する力とご本人の言う「直感」でなされている。
最後の第4章「受け継がれる経営のバトン」では、ハニーズの経営の今と後継者へのバトンタッチの様子がわかる。現在、ハニーズの事業は、アパレル業界で「顧客満足度(CS)ナンバーワン」である。英介社長の下で、いま業績も順調に伸びている。この章は、そのための準備がどのようになされているかがわかる章でもある。
幸運なことに、経営のバトンは上手に会長から社長に渡っている。わたしが、英介社長とのインタビューのタイトルを、「幸せなバトンタッチ、会社が苦しかったときの事業承継、そしてハニーズの今」として所以である。