【巻頭言】「世界的な育種家、坂嵜潮さんの偉業」『JFMAニュース』2023年9月20日号

 彦根にお住いの育種家(花きと果樹)、坂嵜潮さんのご自宅を今週、訪問することになっている。偶然にも、坂嵜さんのインタビュー記事が先月から『JFMAニュース』に連載されている。今月号は、坂嵜さんのこれまでの業績を、わたしが個人的に評価した論考を発表することにした。題して、『坂嵜さんの偉業』である。

 

「世界的な育種家、坂嵜潮さんの偉業」『JFMAニュース』2023年9月20日号
 文・小川孔輔(JFMA会長)

 

 坂嵜潮さん(JFMA顧問)が、長年の育種家として功績が認められて、このほど園芸文化賞を受賞しました。受賞を記念して、今月のJFMAアフタヌーンセミナー(9月12日)では講演をお願いしました。テーマは、「品種誕生に寄り添って37年」でした。
 『JFMAニュース』のTOPインタビューでも、先月号(8月号)から3回に渡って坂嵜さんの育種に対する考え方と実際の活動をインタビューで連載しています。花業界の方ならば触発されることが多い、内容の濃いインタビューになっています。

 

 坂嵜さんとは、1989年に「ソフト化経済センター」(日下公人所長)の研究会でお会いしました。わたしがコーディネーター役で、坂嵜さんはサントリーから派遣されてきたメンバーのひとりでした。日本経済はバブル真っ只中で、大手企業が相次いでフラワービジネスに参入してきた時期です。

 坂嵜さんは当時、その後に世界的な大ヒットとなる「サフィニア」の育種とマーケティングに携わっていました。いまでもときどき思い出すのは、幕張メッセの展示会の会場で、ご本人がサントリーブースの前に立って、発売前のサフィニアについて説明していた姿です。サフィニアがまだ1ポットも売れていなかったのですが、時代は坂嵜さんにしたがって進んでいきます。
 もしもの話ですが、研究会でわたしが坂嵜さんと出会うことがなければ、JFMAは創設されることがなかったはずです。その後に、インパックの守重さん(現、JFMA顧問)や海下さん(当時、クラシック所属)とお会いしたことも、JFMAの構想に大きな影響を与えていますが、お二人とのとの出会いは、坂嵜さんと共同で実施したリサーチがきっかけでした。

 

 坂嵜さんが達成した成果は、グローバル市場でもっとも売れた花苗(サフィニア)を開発したことと、新しいアジサイのカテゴリー(‘ブライダルシャワー’とそれに続くラグランジアシリーズ(日本での商品名))を生み出したことです。しかし、商品の大ヒットより重要な功績は、近代的な育種の在り方に対するアンチテーゼを提起したことだったと思います。
 近代的な花き園芸は、美しいけれど人工的にすぎる品種群を生み出してきました。坂崎さんのアプローチは、それに対して、植物が持つ自然な力(フラワー・パワー)を活かすことでした。しかし、近代育種の成果物を捨てたわけでありません。そこに、原種の血を注ぎ込むことに注力しました。

 
 たまたまですが、一か月前に宮崎駿のアニメ作品『君たちはどう生きるか』を映画館で見ていました。坂嵜さんがセミナーで話しているのを聞きながら、日本のアニメ作品が世界的に受け入れられた理由について考えていました。国際的な賞賛と大ヒットの底流にあるのは、「自然への畏敬の念」(アニミズム:魂は自然界に宿る)と、自然を模写するときの「作品の緻密さ」の2つではないかと思います。日本の原風景や季節感を、細部にわたって作品の中に盛り込むことが、そこでは肝になっています。
 坂嵜さんが花の育種で成し遂げた偉業は、宮崎駿や新海誠などのクリエーターの業績に比肩できるものだと思います。自然界の植物相やアニミズムの思想に通じるものが、アニメ作者たちの創造力にも、育種家としての坂嵜さんの手法にも通底しているように感じます。