『JFMAニュース』の記事配信から一週間。フライング気味ですが、3月号の巻頭言に書いたコラムをアップします。ある商品サービスに対する需要が、基本的なニーズなのか?それとも掘り起こすべきウォンツなのか?マーケティング的にも永遠のテーマですね。
「誰のために花は咲くのか?」『JFMAニュース』2016年3月号
ネアンデルタール人が住んでいたドイツのシャニダール洞窟で、死者の脇に花が添えられていた。屈曲して埋葬されていた子供の骨が発見されたのは、1960年代のことである。米国人の考古学者(ソレッキ博士)が、発掘報告書の中で、「ネアンデルタール人が花をそえて幼児を埋葬していた」と発表して大きな反響を呼んだ。
元吹田市立博物館館長の小山修三博士は、「埋葬跡で発見されたのは、白、青、ピンクの色鮮やかな花の草で、これらは薬草だったのではないかと思う」と述べている(連載「縄文徒然草第25回 花の埋葬」2013年7月12日)。 草花の中には、日本でも縄文時代に薬草として用いられていたヤグルマギクなどがあったと推測されている。目薬としての効能があるヤグルマギクは、ツタンカーメンの墓からも発見されている。
20万年前から生息していたネアンデルタール人は、いまだ原因は不明なのだが、2万4千年前に忽然と地球から姿を消している。興味深い事実は、「(現人類の遠い祖先にあたる彼らが)花で飾る心とともに、病や傷を癒やすという身体のケアについても対応していたと考えてよいだろう」というのが小山博士の見解である。
いまさらながら、死者の埋葬と花を飾る風習が有史以前からあったという有名な話を紹介したのは、花の消費の未来を考えるためである。
一方で、ネアンデルタール人や古代エジプト人にとって、埋葬や装飾のためであれ、薬草としての使用目的であれ、花が生活の中に溶け込んでいたことを示す証拠である。それは、花に対する潜在的なニーズが、われわれがサルからヒトに進化していく段階で明確に存在していたことの証である。だから、花業界の未来は保証されているように思う。
他方で、ニーズを顕在化させるように業界人が努力しないと、花のマーケットは広がらないことを示す歴史的な事象も観察できる。有名な例としては、英国のスーパーマーケットで始まった「切り花の日持ち保証制度」である。1993年以前、英国人は自宅で楽しむ花は庭から切っとって飾っていた。ところが、テスコのチーフバイヤーだったジャッキー・スティーブンス女史が、オランダのクリザール社の協力を得て、「花の7日間保証システム」を導入してから、英国人の花の購入の仕方は変わってしまった。値頃感があって品質の良い切り花は、スーパーの店頭で買うよう習慣づけられることになったのである。
その逆の例が、現代の日本である。とくに1990年以降の花の消費低迷は憂慮すべき事態に発展している。
江戸時代からごく最近まで、生け花(華道)を習得することが、茶道や装道(着付け)とともに結婚前の女性たちの教養のひとつとされてきた。しかし、生活様式が和風から洋風に変わり、中等教育の必修科目から生け花が消えてしまった。そのことで、日本の花業界は、女性が継続的に花を購入する「刷り込み行為」の機会と場を失ってしまった。
その結果が、この10年間における若い女性たちの切り花購入頻度と消費金額の劇的な減少である。JFMAが継続的に実施してきた「花と野菜の購入に関する調査(2009年~)」によると、2013年調査でははじめて、男性と女性で「年間切り花購入割合(プレゼント用)」が逆転してしまった。男性全体の34.1%が、年に一度は切り花をプレゼト用に購入しているのに対して、女性全体では、これが34.0%だった。
自分用でもプレゼント用に関しても、とくに若い女性が切り花を購入しなくなったのである。それは、花が不要不急のアイテムではないからと説明されている。しかし、筆者は、スマホや美容ファッションへの支出負担が根本的な理由だとは思わない。若年層と年寄り世代との世代間所得格差は他の国も同様である。日本の社会においては、基本的に長期的な刷り込み不足が原因である。ひとりのマーケッターとして、誰のために花が咲いてくれているのかを再度熟考してみたい気がする。