「ダリアとのご縁」『JFMAニュース』(2017年10月20日号)

 先週末(10月14日~15日)、山形県の長井マラソンを走るため、米沢の小野川温泉(登府屋・小町館)に投宿することになった。米沢とは深い縁がある。


バラ生産者の石原政志さんがおきたま農協花き部会の会長を務めていたころ、農協職員の渡部俊一さんや、その後に川西町議会議員に転身された鈴木清左衛門さん(ダリアの生産者)と知り合った。

 もう一つのご縁は、渡部さんが松川弁当店(明治32年創業)の林真人社長と、幼稚園から中学校まで同窓生だったことから、学部ゼミのフィールドワークで駅弁の開発に携わることになったことである。松川弁当店が法政大学と共同開発した「山形プレミアム弁当」は、2011年9月から東京駅コンコースなどJR駅構内で発売され、累計では約1万個(約1,200万円)を販売した。

 そんなご縁もあって、その後は山形県に行く機会が増えた。米沢牛の米沢市、さくらんぼの東根市、温泉旅館とイタリアンレストランの酒田市。ところが、肝心の花の仕事で「川西ダリヤ園」に行くことがなかった。そこで今回は、渡部さんの案内で川西ダリヤ園を訪問することになった。渡部さんの説明によると、出荷用の切花は「ダリア」と呼ばれるが、観光ガーデンの方は「ダリヤ」という名称になっている。秋田県の雄和町にある「秋田国際ダリヤ園」(鷲沢幸司園長)も「ダリヤ」である。「ダリヤ」と「ダリア」、どちらが正しいのかわからない。東北弁で、ダリアがダリヤと訛ったとも思えない。(これは冗談である。)

 さて、川西ダリヤ園を訪問して、ダリアについて初めて知ったことがいくつかあった。
 一つ目は、山形の川西ダリヤ園のほうが、秋田国際ダリヤ園より歴史が古いということ。川西ダリヤ園は、昭和35年の開園で日本初だった。2004年にフランスで金賞に輝いた「虹」は、元船乗りで秋田県出身の鷲沢幸司氏の作出した品種で、鷲沢さんは、日本のダリアの約半分の育ての親でもある。だから当然、秋田国際ダリヤ園がショーガーデンでは先駆者だと思っていた。しかし、川西ダリヤ園の方が歴史は古かったのである。

 二つ目は、川西ダリヤ園のほうが観賞用のスペースが大規模だということ。来園者も多そうである。鷲沢さんに確認する必要はあるが、秋田国際ダリヤ園は、球根の販売と種苗の展示を狙っているように思える。園内を巡ると、約360種のダリアを鑑賞して楽しむことができて食堂や売店も充実している。
 一般公開という観点から見ると、商業的には川西町のダリヤ園ほうが成功しているように見える。ところが、園内に植わっている観賞用のダリアは、秋田国際ダリヤ園の名物園長、鷲沢幸司氏の作品が多い。渡部さんが紹介してくれた人気品種の「ミッチャン」「黒蝶」「かまくら」などは、鷲沢さんの作出によるものだ。とはいえ、鷲沢さんの品種は、いまや鈴木清左衛門さんのような山形からの出荷量が多い。今や宮崎県でもダリアは生産されているが、これは、わたしが宮崎県の伊豆元久義さん(バラ生産者)に鷲沢さんを紹介したことがきっかけになっている。

 日本全国にダリアを広めた最大の功労者は、わが友人の鷲沢幸司氏の貢献である。しかし、ダリアの花としての可能性を発掘して花店に説いてまわった大田花きの宍戸純さんの功績を忘れてはならない。2004年から始まったIFEX(国際フラワーEXPO)で、おきたま農協さんが集中的にダリアを展示して販促したのも大きかった。ダリアの復活はすべて、わたしたちの周りの不思議な縁で起こった出来事がきっかけになっている。