『日経ビジネス』(9月18日号)の第一特集は、ドン・キホーテ(現PPIH)だった。特集の最後で、創業者兼最高顧問の安田隆夫氏に編集長がインタビューしていた。ご本人に会ったことはないが、店舗も創業者の人間性もおもしろそうだ。2015年に会長兼CEOを退任して、本人はシンガポールに移住している。しかし、事業意欲は衰えるどころか、彼の地で「DON DON DONKI」を立ち上げている。
海外の新しい店舗は、日本の食品や雑貨を品揃えして「日本を売る」ユニークな業態だ。「日本産品をベースにした小売業態」の発想は、2010年代にはじまったインバウント需要への対応からヒントを得ていると思われる。引退・隠遁するのかと思いきや、いまだ事業意欲は旺盛である。興味深いキャリアの人物である。
安田隆夫氏のプロフィールを見ていて、偶然に気がついたことがあった。わたしの知り合いのふたりが、安田さんと同じ1949年生まれだったからだ。先月、44歳の若い社長(塚越大介氏)を後継に指名した柳井正氏(ファーストリテイリング会長兼CEO)と、数年前に生え抜きの若手社員(加藤央之氏、当時34歳)に経営を任せて引退した小林佳雄氏(物語コーポレーション創業者、元会長)である。
1949年は、堺屋太一が命名した「団塊の世代」(1946~49年)の最後の年に当たる。わたしは3人から2学年下で、1951年に生まれている。昭和26年生まれのわたしたちにとって、2学年上の彼らは、正直に告白すると、学生の時は「目の上のたんこぶ」だった。
彼らはとにかく頭数が多い。何かと集団で騒ぎたがる。めんどうくさい兄貴分たちだった。しかし、同世代の姉貴分たちは、実にわたしの保護者だった(笑)。ずいぶんと可愛がってもらったものだ。
ところが、49年生まれには良いところもあった。全共闘運動(1968年前後)を中心で担っていた彼らは、独自性も半端ではなかったが、互いに競争心も強かった。勉強でもスポーツでも文化的な活動でも、前後の世代の中心に居座っていた。
そして、勉強熱心で勝負強かった。他人よりどこかで抜きんでようとする性格の人が多かったが、その反面で社会的な正義にも強く反応していた。かれらは、欧米の文化的な影響下にあった。海外に飛び出したいと考えている「ビートルズ世代」でもあった。
3人の出身大学は、早・慶である。柳井さんは早稲田大学で、安田さんと小林さんは慶應大学の出身である。いずれも文科系学部に入学しているが、3人とも大企業に就職して「成功の階段」を昇っていこうとしなかった。少し外れた道を歩んでいたが、それがユニークな業態やビジネスの誕生に繋がったように思う。
共通点をいくつか列挙してみる。
学生時代に、海外留学(小林さん)や放浪(柳井さん)を経験している(安田さんについては確認ができていない)。1970年代の前半に長期に渡って海外を旅することは、誰にでもできることではなかった。実家がそこそこ裕福な家庭で育ったからできたことである。この辺りの事情は、ビジネスの話からは逸れてしまうが、アーティスト(音楽家など)やスポーツ選手(テニスやアイススケート)でも同じことが言えるようだ。
少なくとも、3人のうちふたり(柳井と小林)は、親が始めた商売を継承している。厳密には、純粋な創業者ではない(1.5代目)。実家に財力があり、海外からの文化的な雰囲気に子供のころから浸ることができた恩恵は、その後にグローバルに事業を展開することに繋がっている。国内事業に成功する道筋が見えた2人は、早期に海外事業に着手している。
なお、安田さんの場合は、その逆の展開を選んでいる。国内事業(ドン・キホーテ)がうまく回りはじめると、早々と引退を表明している。そして、自らが率先してシンガポール(海外:PPIHに社名を変更した理由)に移住している。
小売・飲食業の運営手法としては、米国流のマニュアル一辺倒の「チェーンストア理論」を採用していない。3人はともに、店舗運営の原理として、「個店主義」を標榜している。現場(個店)の店長やパート・アルバイト社員に、大幅に権限委譲することをよしとしている。
ドン・キホーテが、その中では最も極端な事例かもしれない。安田氏の経営者として手法は、結果に対するコミットは要求するが、やり方やプロセスは問わない。一貫してその立場を貫いている。途中の実践的な手法に対しては、完全に若い社員の自由に任せている。3人の会社で、社員の年齢が若いことに気がつく(*誤解を恐れないで言えば、3社の仕事はいずれもかなり厳しい。データで見ると離職率は高くなるので、社員の平均年齢は低くなる)。
物語の小林さんは、社員個々人が「自らの主張を明言する社風」(Smile&Sexy)を醸成してきた。会長を退いたあとも、社内でしっかり議論を尽くす文化はなくなってはいない。『日経ビジネス』の特集記事で紹介されているPPIHの組織風土と、物語コーポレーションには共通する雰囲気を感じとることができる。
最後は、結論と自分ごとになる。
3社の企業規模と成長のプロセスはやや異なっている。しかし、経営者の出自(実家の財力と時代)とその後の3人のキャリア形成が、事業のユニークさを生み出した基本的な共通要因だった。もちろん企業家としての本人たちの努力はあっただろう。それでも、独自性のある事業を生んだのは、各自の出自とあの時代の雰囲気だったように思える。
本日のブログは、「元も子もない結語」で終わることになる。わたしの人生を振り返ってみたとき、いつも2級上には、取り扱いがめんどくさいけれど、尊敬ができる気のいい先輩たちがいた。そうした先輩たちに囲まれて幼少年期を過ごしたことは、わたしのキャリア形成に大きな影響を与えている。
ちびで屈強ではなかったわたしは、案外と先輩たちに可愛がられた。中高時代には、小林さんや安田さんのような、優秀でユニークな上級生たちがいた。彼らにずいぶんと助けられた。柳井さんのような、何を考えているかよくわからない先輩もいた。そこがおもしろかった。
だから、自分も彼らのように、行動や生き方がユニークでありながら、「同時に、助けを必要としている後輩たちには優しくせねば」と思って過ごしてきた。日本で事業を起こすという点では、とにかく良い時代に生きられたことに感謝である。