読書感想文優秀者5名を掲載する。
(大谷勇紀、小野楓華、長野瑞生、柳澤彩花、与羽しおり)
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「アメリカに日本の漫画を輸出する」を読んで 3年 大谷勇紀
ここ最近、外国人が日本の文化を楽しんでいるというニュースを頻繁に目にする。彼らは、日本の文化を非常に好み、熱狂していると報じられている。和食や漢字、着物など幅広い日本文化だが、その中でも特に注目されているのがマンガである。確かに、自分自身も秋葉原に立ち寄った際には多数の外国人観光客を目にしたことがある。中には、自分の好きなキャラクターになりきる、コスプレをして楽しんでいる人も存在した。このように世界中で知られているマンガはどのように世界に広がったのか、考えたこともなかったことを今回、本書で知ることができた。自分の暮らす国の文化の広がり方を学べたのはいい機会だった。
一概にマンガを世界に輸出するといっても、それは簡単なことではなく、そこには文化的な壁が多数存在する。日本のあたりまえがその国の非常識であることはざらなので、その国の人に受け入れられるようにマンガの内容を修正する必要がある。それは容易な作業ではない。まず、現地の文化を理解し、その後にどのように修正を加えれば受け入れられるかを考えなければならない。
本書において、この過程の中で出てきた、スティグマという言葉が印象に残ったので、それについて考えたことをまとめる。まず、スティグマとは何か。スティグマとはある属性を有する人に与えられた烙印が差別や排除を生み出すことを指している。それは人だけにとどまらず、モノにも与えられる。私はそれをマイナスイメージの偏見の塊だと考えた。
例えば、アメリカではコミックは子供が詠むものだというスティグマがある。加えて、マンガというもの自体が異質なものだと考えられていた。これらはマンガの輸出の大きな壁になっていた。その壁を取り除くために、マンガを反転印刷してマンガをアメコミスタイルにする、アメリカ人向けの青年誌を発行するなどして何とか受け入れられようと画策した。そして、ついにそのスティグマを取り除いた時、海外に大きな市場を獲得することに成功した。
また、アメリカは未成年に対する規制が非常に厳しい。日本では、容認されている性的表現、暴力描写が過激すぎるとらえられることはしばしばである。日本のマンガは過激すぎるというスティグマがあるのではないだろうか。加えて、アメリカ人には子供にはこう言ったものを一切見せてはいけないという考えに固執しすぎなのではないか。アニメ「ドラえもん」を例に挙げると、しずかちゃんの入浴シーンがよく登場し、日本では何の問題もなく放送されている。これはアメリカではありえないことだそうだ。子供に不適切という判断が下されるのだ。子供を健やかに育てるために規制は大事かもしれないが、もう少し柔軟な態度をとってもいいのではないかと感じた。そうすることで子供は日本のアニメという新たな楽しみを得ることができ、自分の世界を広げることが可能になるのではないだろうか。
私自身これに準じた経験がある。私は高校時代からそれなりに読書をしてきた。しかし、読むジャンルはいつも大体決まっていた。そうした時に、クラスメイトにライトノベルを薦められた。日本でライトノベルといえば、いわゆるオタクが読むものという偏見がある。自分もそのような偏見を持っていたので初めは読む気が起きなかった。読んでみると考えは大きく変わった。それらは非常に興味深いものが多く、稚拙な言葉だが、とても面白かったのだ。今では、私にそのような世界を教えてくれえた友人に非常に感謝している。私はこの経験から、偏見とは甚だつまらないものであることを知ることができた。自分の知らない、未知のものは恐れて拒絶するのではなく、一度その世界に足を踏み入れることで新たな発見があると思う。そうして世界を広げていくことが重要なのだと。
このように新たな文化が他国に広がるときは、企業などそれを発信する側と、それを享受する受け手側の姿勢が非常に大切になると考えた。発信する側はどうすれば受け入れられるかを考え、文化をかみ砕き、時にはリメイクすること。受け手側は頑なに拒絶するのではなく柔軟にそれを受け入れる準備をすること。
未だにマンガを受け入れられないアメリカ人は多くいるかもしれない。しかし、その偏見を乗り越えた人々の世界は輝いているかもしれない。それを知ってもらうことも発信する側の役目ではないだろうか。発信する側、受け手側が双方に歩み寄ることでもっと世界は広がっていく。そして、次に世界に広がっていく日本のポップカルチャーはなんだろうか。考えずにはいられない。
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「アメリカに日本のマンガを輸出する」を読んで 4年 小野楓華
本書を読んで、まず驚いたことが二つある。一つ目は、漫画は私たち日本人にとってとても身近で、誰にでもわかりやすい娯楽であると思っていたが、日本以外の人には簡単に理解できない内容であることだ。絵と文字が組み合わさっているため、場面がイメージもしやすく、内容も映像化されたように頭の中に入ってくる、というのが漫画のわかりやすさであると思っていた。そのため私自身小学生ごろからよく漫画を読んでいたし、最近の日本の漫画ブームも、外国人にとってもわかりやすいからなのだなという印象を持っていた。
しかし、漫画は自国のローカルなネタを頼りにしていることが多いからこそ外国人にとって理解がしづらいこと、外国人に受け入れられるようになるまでマーケティングによって異文化のギャップを埋めていること知り、漫画における文化の違いを初めて感じることができた。
驚いたことの二つ目は、日本の漫画とアメリカのコミックスの特徴の違いである。本書では、「マンガ・スタイルと呼ばれる表現技法」「少年マンガ・少女マンガ・青年マンガ・女性マンガという4つのカテゴリー」「ストーリーの長さ」「ジャンルの多様性」の4つがあげられていた。「マンガ・スタイルと呼ばれる表現技法」という目が丸く大きく、鼻がほとんどないといったキャラクターの書き方は日本の漫画特有であることは知っていた。しかし、カテゴリーやジャンルが多いことや、ストーリーの長さを意識したことがなかったので驚いた。
日本の漫画はカテゴリー名を聞けば、どんな漫画がそのカテゴリーに当てはまるのかイメージが思い浮ぶが、アメリカのコミックスのイメージはヒーローものしか思い浮かべることができない。たしかに、日本の漫画からドラマ化や映画化されているものはカテゴリーにかかわらず様々なものだが、アメリカのコミックスから映像化されているものを考えてみるとヒーローものばかりであると感じた。調べてみると、本書でも述べてあったようにヒーローものがほとんどであることが分かった。
4つ目の特徴であるストーリーの長さも、日本の漫画の長さに慣れてしまっている私は、この長さだからこそわくわくして面白いのだと思っていたので、アメリカ人からすると話が進まなすぎて面白くなるまで読めない、という視点はとても新鮮に感じた。なかなか進まないからこそ、早く次を読みたいという気持ちになりどんどんはまっていくものだと思っていたため、こんなところにも文化の違いや考え方の違いが現れるのだ、と改めて感じた。
このような文化の違いを乗り越えながらも、世界に広まっていった日本の漫画であるが、日本の漫画の新たな発信地として最近興味を持っているものがある。
それは原宿の明治通り沿いにあるアパレル複合型ショップ「ベースヤードトーキョー」だ。一階と二階に分かれていて、一階と二階の手前にはアパレルショップ、二階の奥に進むと約一万冊もの漫画を提案している。このフロアは、ただ漫画を買う場所だけでなく、ドリンクを買って自由に座って気になる漫画を読むことができるスペースでもあり、DJコーナーまである。
いまだ原宿の外国人人気は高く、オリンピックの影響でさらに多くの外国人が日本に来訪すると考えられる。「ベースヤードトーキョー」では気軽に漫画を読むことができるので、より多くの外国人に日本の漫画の面白さを味わってもらうきっかけにつながるのではないだろうか。「漫画×ファッションカルチャー」という原宿ならではの視点で展開している「ベースヤードトーキョー」が、日本の漫画の発信地としてもどのようなあり方をするのか楽しみだ。
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アメリカに日本のマンガを輸出する
ポップカルチャーのグローバル・マーケティングを読んで 4年 長野瑞生
本書を読んで、日本のマンガが世界に誇れるポップカルチャーとなるまでに、アメリカを中心として様々なマーケティングの工夫が行われていたことが理解できた。私は国際交流ボランティアなどに参加し、外国人留学生を関わる機会が多いのだが、彼らになぜ日本に興味を持ったのかと尋ねると、かなりの割合で日本のマンガやアニメの影響を受けて日本が好きになったという回答が多い。私はあまりマンガやアニメに触れてこなかったため、私よりも外国人留学生の方が詳しいなどということはよくあることだ。
本書で特に印象に残ったのは、マンガをアメリカで普及させるために、まずはローカライズをさせてから、徐々にそのレベルを調整していった点である。これをビズ・ピクチャーズ社長兼CEOの堀淵清治氏は、自分の文化で育んできた考え方を「溶かし」、かといって進出先の文化に「融合」されきれないことが異文化ゲートキーパーとして重要だと語っている。
アメリカでマンガと言えばアメコミであった当時は、日本のマンガをアメコミに近づけるために薄くしたり、カラー印刷をしたりなどを行っていた。さらに、アメリカ人に読んでもらいやすいように日本とは逆向きに印刷していた。そして、段々とマンガが広まっていった時点で、日本と同じ向きで印刷したマンガを展開することで、コストの削減と同時に本物のマンガに憧れを抱くアメリカ人のファン心理を捉えることに成功した。もちろん、内容の修正や年齢レーティングなどの障壁・文化的摩擦は多々あったと思うが、ここまでマンガが浸透した背景にはこういった細かな努力があったのだと理解できた。
そして、フランスのマンガ市場がアメリカの5倍であったという圧倒的な数字の大きさにも驚いた。そもそもフランスで日本のアニメが1970年代から人気があり、その波もありながらフランスの出版社が日本のマンガの出版を初めたそうだ。ちなみに、たまにテレビで報道されるJAPAN EXPOという日本の伝統文化からポップカルチャーまで様々な側面から日本を紹介するイベントの創立者3人は日本のアニメやマンガに影響されたフランス人である。2000年から始まったJAPAN EXPOは現在に到るまで毎年開催され、その規模も拡大し続けている。こういったクールジャパンを打ち出したイベントを国外で積極的に実施することは、2020年の東京オリンピック以降もインバウンドを増加させる有効な方法だと考える。
私は昨年、もしもしにっぽんフェスティバル2018に英語の通訳スタッフとしてアルバイトをした。このイベントは、2日間、ラフォーレ原宿・穏田神社・タワーレコード渋谷店などの原宿・渋谷エリアの商業施設を利用して、日本のポップカルチャーを象徴するようなタレント・モデルによるイベント、縁日、浴衣のレンタルなどを行うようなイベントであった。確かに外国人観光客もいたが、やはり来場者のほとんどが日本人であった。
せっかくこのようなイベントを実施するのであれば、もっとプロモーションに力を入れるべきである上に、むしろJAPAN EXPOのようにニューヨークやパリなどの日本以外の国でこのようなイベントを行うことで日本に旅行に来るきっかけづくりになるのではないかと感じた。
また、私は今年度のフィールドワークで株式会社レッグスという企業と共に1年間かけてキャラクターやアーティストなどのコンテンツを使用したカフェビジネスの企画・実施をする予定である。今年度中のカフェの実施に向けて、現在はまだコンテンツを決めている段階ではある。
本書を読んでみて、もし海外でコラボカフェを実施するとしたら日本のクールジャパンは受けるだろうと感じた。例えば、最近、映画が公開されたハリウッド実写版ポケモン「名探偵ピカチュウ」はアメリカでのオープニング興行収入63億円で、初登場2位という成績を残している。いわゆるオタクというほど日本に関心があるかどうかに関わらず、日本のゲームキャラクターに一定の人気があることも分かるだろう。東京・日本橋にある完全予約制の常設のポケモンカフェも予約が取りにくい状況で、外国人観光客も多いそうだ。これらの情報からポケモンカフェをアメリカで実施しても十分な集客を得られる可能性があるのではないかと思った。
私は本書を読むまで、日本のマンガがこんなにも世界に広まるプロセスの中で、様々なグローバルマーケティング戦略が施されていたことを知らなかった。安倍総理がマリオとなってリオデジャネイロオリンピックの閉会式に参加したように、これからもマンガに留まらず、日本の文化・アニメ・ポップカルチャーなどをクールジャパンとして海外に積極的にビジネスとして打ち出していってほしい。
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「アメリカに日本のマンガを輸出する」を読んで 4年 柳澤彩花
本書では、日本のマンガをアメリカに輸出する際の文化的な障壁の数々が述べられていた。日本社会では当たり前のように受け入れられる表現であっても、アメリカ社会では厳しい道徳規範などにより、受け入れてもらえない表現が多々ある。しかし、現地出版社のマーケティング努力のおかげで、マンガを含むポップカルチャーの輸出が直面する、文化的な障壁は克服されていった。
このような一連の流れの中で、ある2点について、私は、身近な事柄と結びつけることができた。以下、詳しく述べていきたいと思う。
まず、1点目として、ポップカルチャーの輸出自体が、ある人同士の結婚と似ているように感じた。すなわち、輸出の際に文化的な隔たりが生じるのと同様に、ある2人が結婚する際も、程度は様々であるだろうが、文化的な隔たりが生じていると考える。
例えば、一方は食事中にテレビをつけることが当たり前だと思っていても、もう一方は食事中にテレビはつけないことが当たり前であるかもしれない。他にも、夜洗濯をするのか、朝洗濯をするのか、さらには、真っ暗な状態で寝るのか、少し明かりをつけた状態で寝るのかなど、些細なことでも挙げればきりがないと思う。これらは、私自身が友人と話したり、旅行に行ったりした際の実体験から明らかになった事柄である。このように、別々の環境で育ってきた者同士が、ひとつ屋根の下で一緒に暮らすには、克服しなければならないいくつもの壁があるに違いない。
以上のように、暮らしてきたバックグラウンドの違いから生じる、文化的な障壁があるという点で、マンガを含むポップカルチャーの輸出と結婚は類似していると思った。
次に、2点目として、マンガを日本からアメリカへ輸出する際の“「探索・選択」をせずに「テイストメイキング」をするビジネスモデル”について、印象に残っていることがある。
そもそも、日本のマンガをアメリカに輸出する際には、先に述べた通り、文化的な隔たりが生じるため、現地出版社が異文化ゲートキーパーとして大きな役割を果たしている。具体的には、日本で出版された莫大な数の作品の中からアメリカ市場でヒットするであろうものを探索・選択したり、アメリカ社会で批判を受けてしまいそうな性暴力表現について制作し直したり、さらにはマンガそのものの楽しみ方を紹介したりもしている。
しかし、このような役割が重要だとされている中、敢えて、提供者側が出版すべき作品の探索・選択をあらかじめ行うことをせずに、読者自身に様々な作品を試してもらい、自分好みのものを見つけてもらうという仕組みが、アメリカの消費者にフィットしていると述べられていた。この“「探索・選択」をせずに「テイストメイキング」をするビジネスモデル”に関して、私が頻繁に利用する飲食チェーン店、サブウェイの方式と少し似ているように感じた。
サブウェイでは、多くの種類のサンドウィッチが提供されている。それぞれのメニューごとにベースとなる具材は固定されているが、それを除けば、パンの種類やドレッシングの味、さらにはトッピングする野菜の種類や量まで、個人の好みで選択できる仕組みとなっている。このように、いくつかの種類がある中からそれぞれが好きなように試し、自分好みのサンドウィッチを見つけられるという点が、まさに、先に述べたモデルと類似していると思った。
最後に、前段落で述べた両者とも、消費者の好みが多様化している今の時代に最適な方法であると強く感じた。
というのも、マンガのようなポップカルチャーが国境を越える時点で、既に文化的な障壁はあるが、越えた後も、すべてのアメリカ人が同じものを好み、同じものを受け入れるとは限らない。また、輸出に限らず、さらには、マンガを含むポップカルチャーに限らず、国内だけでも消費者の好みは多様化している。
したがって、これからの時代、国内外問わず、何かを広めたり新たな市場を開拓したりする場合には“「探索・選択」をせずに「テイストメイキング」をするビジネスモデル”や、サブウェイのサンドウィッチの提供方式を見習い、多様な消費者に対応していくことが不可欠なのではないかと思った。
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「アメリカに日本のマンガを輸出する」を読んで 4年 与羽しおり
自分がマンガを初めて読んだのはいつだろう。5歳上の姉がいる影響で小さい時から「りぼん」や「ちゃお」などの月刊漫画雑誌が家にあり、姉の真似をして読んでいた。小学校に上がってからは漫画の続きと付録へのワクワクで、月刊漫画誌の毎月の発売が楽しみだった。そんな当たり前に漫画がある生活は、紙から電子版に形が変わり、大学生になった今も続いている。
本書では、アメリカに日本の漫画が、「日本スタイル」で輸出されるまでを詳しく紹介している。マンガの輸出を通して、「ある国で育まれてきたポップカルチャーを海外に輸出する際に生じる文化的障壁をどのように克服するべきなのか」を学ぶことができる。
本書は、「本当に日本のマンガやアニメや音楽が海外で巨大な市場を形成しているのか」という疑問から始まる。マンガは日本国内で消費するために生まれてきたドメスティックな文化製品であり、単に翻訳をすれば売れるものではないからだ。
本書でも何度も紹介されている、犬夜叉を読み返してみた。ヒロインは巫女、登場人物のほとんどが妖怪、時代背景は戦国時代、「邪気」や「瘴気」など日本人でもあまり意味を知らない言葉の数々。翻訳するだけでも尋常ではない労力がいる。さらにそれを理解させるだけの編集はどれだけ大変なものだろう。しかし、現に犬夜叉は海外で人気であり、初めて日本のマンガを読むアメリカ人にオススメしたいマンガにも選ばれていた。
マンガを日本に輸出する際、最も努力を重ねたのが、現地出版社である。本書では、文化製品が消費者に届くまでを担う「異文化ゲートキーパー」として紹介されている。文化的な壁を乗り越えるため、どの程度「日本スタイル」を維持して、どの程度アメコミのスタイルに同質化するかが鍵となる。
第5章では、実際にローカライゼーションの例が挙げられている。セリフを翻訳し、絵の左右を反転、さらに吹き出しの中のセリフをアメコミスタイルの言い回しに翻訳し直すのである。絵の中にあるオノマトペも英語のサウンドエフェクトに直してレタリングを行う。ページ1枚だけでも多くの人間の手がかかる作業だ。
この他にも、アメコミと同じカラー化や、薄いフォーマット、刊行スケジュールなど、アメリカ人がマンガを抵抗なく読むための細かな努力が行われた。
ローカライゼーションを経て、アメリカのマンガ市場は急成長する。アメリカで日本形式の右開きのマンガが標準化していくのである。アメリカ人が始めたトウキョウポップという出版社がこの急成長を実現した。
第6章では、左開きに慣れたアメリカ人に間違った方を開いていると知らせる裏表紙が載せられている。日本では、考えられないことであるが、丁寧にコマの読み進める順番まで説明されている。ここから、アメコミ風のマンガではなく「マンガ」がアメリカで読み始められる。
この標準化は、現地適応化したマンガで一定のファン層を獲得したからできることである。アメリカのファンも日本人と同じ感覚で漫画家が作りあげた作品そのものを楽しみたいという気持ちからだろう。
アメリカでより多くのマンガファンを獲得するためには、現地の文化規範に現地出版社がどう対応するかという「スティグマ管理」が重要と書かれている。ここで私が驚いたのは、想像以上に厳しいアメリカのレーティングである。
ヒーロー作品が多いアメコミの特徴から、ドラゴンボールはそのままでアメリカ受けする作品だと思っていた。しかし、「裸や、子どもと子どもの性的接触や、大人と子どもの性的関係をほのめかす」シーンがあるという理由でドラゴンボールは「ソフト・ポルノ」に区分されてしまうのだ。
日本人は全く気にしない部分が、アメリカでは問題となる。これが文化規範の違いである。結果、単行本の裏部分には全世代対象、ティーン対象、ティーンプラス向け、成人向け、いずれかのラベルが全ての巻に明記されている。
また、「スティグマ管理」の一環として、修正が行われる。第9章では、日本版とアメリカ版で表紙が全く異なる例が挙げられている。全く違う作品のように感じられてしまうが、このような大きな修正も、アメリカで店頭に並ぶために必要なのである。
「異文化ゲートキーパー」「スティグマ管理」−この二つがポップカルチャーを海外に輸出する際に生じる文化的障壁を乗り越える鍵であった。では、「本当に日本のマンガやアニメや音楽が海外で巨大な市場を形成しているのか」という冒頭の疑問に対しての答えはどうなのか。
本書では、マンガが「日本スタイル」でアメリカに受け入れられるまでのプロセスを通して、ドメスティックな文化製品を輸出することは可能であると示されている。また、巻末付録には「クールジャパン政策」が紹介されており、国内のポップカルチャーへの期待が感じられる。
2020年、東京が世界に開かれる貴重な機会に、日本のポップカルチャーがどれだけ「日本スタイル」で受け入れられ、新たな価値が生まれるのか、非常に楽しみである。
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