元ゼミ生の仲良し4人組(塩原くん、木村くん、森田くん、松尾さん)と、恒例の秩父ツアーを楽しんだ。埼玉県寄居町の鮎の宿「京亭」で前日、鮎懐石の贅沢な時間を過ごした翌朝、今回は三峰神社(みつみねじんじゃ)に参拝することにした。わたしと松尾さんは、秩父駅から終点の三峰口駅まで7駅、秩父鉄道に乗ることにした。ふたりとも鉄ちゃんである。
木村くんと森田くんは、木村くんのBMWで国道を先に走って、わたしたちを三峰口駅で待ってくれていた。4人が合流した時点で、天気予報の通り小雨に変わった。雲海は出ていない。三峰口駅から、つづら折りの国道を三峰神社まで車を走らせた。平日の午後である。雨の国道だが、大型の観光バスやカップルが運転していそうな自家用車で山道は混雑している。
秩父ダムを横切ってから30分ほどで、三峰神社に到着した。ところどころ、がけが崩れていたりしている。神社の駐車場に到着するまで、こんな山奥に多くの参拝客など来るとは思えなかった。しかし、大学生と院生の男の子がいる森田君によると、「子供が受験の時に(三峰神社に)お世話になりました。なにかと願い事があるときには、ここをよく利用しています」とのこと。
埼玉県北部、秩父や寄居近辺に住んでいる人たちにとって、三峰神社への参拝は日常のことらしい。春の新緑のころ、秋の紅葉時に、秩父から三峰神社への道は、バスやマイカーで渋滞するらしい。近年はアニメ作品の影響もあって、秩父地方のパワースポットとしてのマーケティングは、半端ではなく成功を収めている。
いまや恒例行事になった秩父ツアーは、松尾さんが「秩父夜祭に行きたい!」と言い出したことから始まった。わたしの方の動機は、元ヤオコー常務の犬竹一浩さんから、『秩父夜祭』という観光案内の本を贈っていただいたことがきっかけだった。秩父夜祭の本を手に取ってから、秩父詣が実現するまでに10年ほどかかっている。
話を神社に戻す。最後に5人の秩父ツアーに加わったのが、塩原くんだった。鮎懐石を楽しんだ翌日、塩原くんは別件で三峰神社には参拝しなかった。前日の宴席で、自分は屋久島の縄文杉を見るために、標高2000Mの高山を登ったとしていた。三峰神社には、屋久杉のように樹齢1000年を超える霊木は見当たらなかった。
それでも、樹高が100メートルほどはありそうな杉や檜の木が、道路脇にすっくと立っている。少なくとも樹齢は、200年から300年。苗木を奉納した石碑の年号が、古くは江戸時代後期だった。道端の檜や杉は、手入れが行き届いている。だから、思いのほかに林の中が薄暗くない。
三峰山は、実は大学生のころに登ったことがある。大学1年から2年間、「路人会」(ろじんかい)という山登りのサークルに属していた。そのころは、三峰口駅から三峰神社の入り口まで、ロープウェイがあった。この登山客用の施設は、利用者がいなくなったのか、設備が古くなって使用不可になったものなのか、20年ほど前に撤去されている。記憶に定かではないが、もしかすると秩父駅からはバスで登山口まで行ったのかもしれない。
木村君のBMWを神社下の駐車場に停めて、傘をさして登山道を歩くことになった。ちなみに、駐車料金は一日520円。一般的に観光地の駐車場は、500円とか800円とか切れの値段に設定されている。不思議な価格付けだ。
天気予報を信じて、折り畳み式の傘を持ってきたのは正解だった。静かで厳かな空気の参道を、傘を開いて霧の中を歩くことになった。本殿につながる道の脇には、大きな石碑が延々と続いている。わたしは三峰神社の由来を知らなかったから、大量の石碑の列に驚かされた。
最初に現れた石碑には、杉や檜の苗を植樹するために寄進した人の名前と金額が刻まれていた。その金額がまた、想像を絶するほどすごかった。寄付の金額は、それぞれ300万円から500万円(ほぼ奇数の金額だった)。石碑の一番下には、寄付者の名前と住所(講の名前や会社名)と寄進の年号が彫られている。
1千万円を超す金額の石碑もあった。寄付者の住所は、千葉県市原市や茨城県水戸市。わたしが5年前まで住んでいた千葉県印旛郡白井町(現、白井市)富士の住所もあった。いずれも、なんらかの事業で成功した業者、たとえば、土木建設業者らしきご夫妻の名前など。世の中には、信仰心の篤い人がたくさんいることがわかる。
わたしのように、秩父夜祭の花火やおわら風の盆(富山県八尾市)の踊りに、少額(20~30万円)を寄付してタニマチ風を吹かせようとしている人間はいない。彼らのお布施と比較すると、わたしの遊び金は恥ずかしいかぎりだ。市原市のご夫妻は、ご自身の成功が三峰神社の神様のおかげだと信じて、真摯に返礼を考えていたようだ。決して奢ることなく、しごく立派な心根での寄進だ。
霧が晴れる気配がない。神々しい樹木と石碑を眺めながら、砂利道の参道を歩いて三峰神社の本殿にたどり着いた。霧の参道と本殿の写真を撮りたくなる。撮影後に画面を覗くと、金箔で縁取られた神殿の屋根と、それを取り囲むように植樹された木々の直線が美しい。
本殿にお参りしてから、脇にある神木に願い事をした。神社だから、二礼、二拍、一礼。願い事が叶うよう、最後に「3度深呼吸」をするのだそうだ。杉と檜が発する「山の氣」を、神様に願い事を託しながら体に摂り入れるためなのだろう。神木の脇の立て札には、願い方が書いてあった。セレモニーは、祈りの手順や願い事を叶える形式が重要なのだ。
一緒に参拝したお仲間さんのそれぞれが、思い思いの願い事をしていたようだ。わたしは、次回作(私小説)の販売が首尾よく進むことを神木にお願いした。森田君の場合は、これまでの願い事がほぼすべて叶っているらしい。自分の場合も、2か月後に結果がわかるが、本が売れかどうかはあまり重要はない。初めての自費出版本の制作で、デザインとレイアウトがきれいに仕上がることを、神木にはお願いした。
50年ぶりで(記憶はあいまいだが、おそらく半世紀ぶりで)、三峰神社の参拝を無事に終えた。池袋までの帰路は、西武鉄道の特急列車「Laview号」に乗車した。帰路の方角が同じの松尾さんと、1号車1Cと1Dを予約できた。先頭車両の一番前の席だった。
恒例の秩父ツアーでは、最後はいつもこのパターンになる。電車に乗り込む前に、西武秩父駅のお土産物屋さんで、一昨年訪問した「Usagida(兎田)」のワインを入手しておいた。美しい薄赤色のロゼのワインで乾杯をしながら、ふたりながら秩父の旅を反芻した。この先、あと何度、ゼミ生たち4人組との秩父ツアーが実施できるだろうか?
帰宅後に、霧の中に浮かび上がる、三峰神社の霊験あらたかな画像をインスタグラムに投稿した。今朝方までに、たくさんのコメントが書き込まれていた。それを見て、全部のコメントに返信をしておいた。
*小川のインスタグラムは、https://instagram.com/p/CtgeMNoJEh9/