「20年の空白:遅れたわが国の市場ネットワークの改革」『JFMAニュース』2023年4月20日号

 オリジナルのタイトルは、「遅れた卸売市場の改革」だった。4月のJFMA理事会でわたしが提起した問題を、総会後の「国際セミナー」(6月予定)で議論してもらおうと考えていた。しかし、あまりにセンシティブな(センセーショナルな)内容だったためなのか、このテーマに理事の方たちは戸惑っているように見えた。

 

「20年の空白:遅れたわが国の市場ネットワークの改革」
『JFMAニュース』2023年4月20日号
 文・小川孔輔(JFMA会長、法政大学名誉教授)

 

 いまから15年前のことである。2007年9月20日は、欧州の花産業にとって特別な日になった。早朝6時に、オランダから国際電話が入った。オランダ語の通訳を依頼している山本清子さんからである。用件は、「オランダの2つの花市場(フローラホランドとアルスメール)が正式に合併することが決まった」との知らせだった。
 その直後に、アルスメール市場のユルン君(海外担当)からメールが入った。ユルン君(Jeroen Oudheusden)は、蘭日の交換留学制度を利用して、日本に一年間滞在していた若き友人である。現在は、オランダに本部があるFSI(Floral Sustainability Initiative)のディレクターである。

 当時の現場の雰囲気を伝えるために、そのときのメールの冒頭部分を紹介する。

 

Dear Sensei,
 Last night we have had a historic evening! Both in Aalsmeer and in Naaldwijk the members voted in favour of or against the proposed merger. At 22.45 hrs the chairman of the Aalsmeer board, and the chairman of the Flora Holland board were in television contact with each other and announced the results of the voting. On both auctions the % in favour should be more than 2/3 of all votes present. (後略)
Kind regards,
Yurun

 

 両市場の合併には、3分の2以上の賛成が必要だった。結果は、フローラホランドで79%、アルスメールで85%が、「合併賛成」に票を投じた。ユルンの興奮したメールの最後のラインが忘れられない。
 当時のオランダの状況は、オークションの中核メンバーである生産者にとって厳しいものだった。海外からの花の流入で、経営は赤字続きだったはずである。ケニアやコロンビアなど海外からの切り花が、オランダを経由せず、イギリスやフランスにダイレクトに入るようになっていた。

 その反転攻勢が両市場の経営統合だった。「身内で争っている場合ではない」というのが合意の背景にあった。しかし、合併の2年後にはリーマンショックが襲った。そして、新会社の取扱量は対前年で30%減少した。それにも拘わらず、オランダの花市場関係者は、花産業の未来に対して悲観することはなかった。
 ここに、「オランダの花き産業に復活はあるのか?」『JFMA通信』(2009年7月号)という「巻頭言」の記事がある。記事の中で、「インパック」の守重知量社長(現会長、JFMA顧問)から送っていただいた「社長通信」を引用している。オランダ滞在中の守重さんが、社員に向けて書いた現地レポートである(「社長通信」2009年6月4日)。
 守重さんの次の言葉が、オランダの当時の状況を正確にとらえていたように思う。わたしは、オランダがそこまで戦略的であり革新性な花の王国とはみなしていなかった。
 この巻頭言に続く次のページの冒頭で、当時のわたしと守重さんの見解を紹介してみたい。守重さんが見ていた未来予想図のほうが、わたしが抱いていた悲観論より、はるかに現実を正しく言い当てていた。

<*前頁から続く>

 守重さんからのメール(「社長通信」2009年6月4日からの抜粋)を、一部を抜粋して紹介してみたい。リーマンショック直後(2009年6月)にオランダを訪問していた守重さんからのメールだった。

 

 「おはようございます。オランダは朝ですが、日本は現在、昼を回ったところでしょう。オランダ花卉業界は平均30%ダウンの様です。日本は10%ほどですから、これは相当なものです。日本の10%ダウンは普通なのかも知れません。
 オランダのフラワービジネスは大きな転換点を乗り切れないかもしれません。その真因は、花卉ビジネスそのものです。しかし、わたくしは次の事例で、この先のオランダフラワービジネスの再生あり、と考えています。
 オランダは、「グローバルフラワーネットワーク」を、どうやらやろうとしています!?これは、今から10数年前に、オランダが立上げた構想です。日本でもセリは市場に行かずに、コンピューターでおこなう時代が来ています。ただ、日本のそれは、市場と購入者などとの関係で成り立っていますが、オランダの場合、産地と購入者の関係で成り立たせます。
 以上が可能になれば、どこにいても産地を選ばず購入が可能となります。そうであれば品種の開発力、産地開発力、周辺産業の豊富さからオランダが圧倒的に有利となります」。

 

 守重さんは、2009年の「社長通信」でオランダの復活を予言していた。グローバルネットワークの構築で、オランダの花市場が、今後もグローバル調達の情報ハブであり続けることはまちがいないだろう。守重さんのメールに対して、わたしは次のような返信をしていた。

 「その昔、オランダは、ワインや酪農の分野で先端的な産業国家でした。いまは、花きとマッシュルーム、有機野菜などの分野で技術的には先頭を走っています。かつて産業基盤を失った理由と、現在進行している世界の動きの基本は異なっています。軽々に推論を下すことができないですが、つぎの点で、オランダの花き産業の未来は、相当にきびしいのではないでしょうか?
 オランダの競争優位は、安いエネルギーコスト(北海油田)と研究開発シーズの蓄積(生産と品種)とに支えられてきました。そして、産業集積と物流の結節点であったことです。このすべてをいまオランダは失おうとしています。環境汚染とコスト上昇が、オランダから大量生産の優位性を奪っています」(小川)。

 

 しかし、当時の花産業の現状について、わたしのグローバルな業界認識は誤っていた。
 わたしたちの目の前には、歴史が証明してくれている揺るぎない事実がある。オランダ花市場の「グローバルネットワーク戦略」は、コロナ後のいまでも機能している。
 それは翻って、わたしたちに反省を促す現実でもある。オランダの市場統合から15年で、わが国の卸市場(ネットワーク)は、どのようなイノベーションを起こすことができているだろうか?
 JFMAを立ち上げてからでも、まもなく25年が経過しようとしている。花きの品質評価(日持ち保証)や新しい物日の創出(フラワーバレンタインなど)、目覚ましい実績はある。しかし、花産業に従事する業界人が問われているのは、花産業の生産性と効率改善である。
 そうした観点から言えば、この20年間で、業界ネットワークのイノベーションに関しては、またしてもオランダに20年ほど後塵を拝していることが明らかである。われわれは、未来に向けて、次の一手を打つことはできるだろうか?