他人への興味・関心が、徹底的に欠如している。なぜなんだろう?

 田中さん、堀さん、里村さん、山田くん、石井くん。この5人と昨夜は、門前仲町の秋田料理店、男鹿半島できりたんぽ鍋を満喫した。今年の冬シーズン、最後のきりたんぽ料理だった。5人の元院生のうち、山田くんを除いては、わたしのゼミ生ではない。不思議なことに、わたしが地方で声がけして元学生を集めたときも、小川ゼミの学生が少数派になる傾向がある。

 

 わたしが可愛がっている学生の基準が、ゼミ(大学院小川ゼミ)の枠を超えているからだと思う。最初に声がけをして、「秋田料理の店できりたんぽ鍋を食べたい」と言ったのは、田中さんだった。田中さんはわたしのゼミ生ではない。深夜のLINEでのやり取りから、秋田料理店で同期会を開催することを決めてしまったのだった。

 堀さんや石井くんは、田中さんと同期である。里村さんも、院生時代は大村先生のゼミに所属していた。秋田料理の店を前から知っていて、男鹿半島では何度もきりたんぽ鍋を食べたことがある。週末に上京するというので、わたしから「門前仲町の同期会に参加しては?」とお誘いしたのだった。

 

 人間の好き嫌いは、人並み程度に激しいと思う。でも、人間関係については淡白な方だと思う。誰といつ何を食べるかなどについても無頓着なほうだと思う。だから、昨夜も同期生たちのその後にことや勤め先に関する噂話などは、4時間近くの夕食会でほとんど出なかった。

 究極の盛り上がりは、堀さんを葛飾区議員に立候補させるアイデアが出た時だった。その後の話題は、彼女の議員活動のための票集めに移っていった。どうでもよい話ではある。次回の地方選挙で、Mさんという彼らの同級生が千代田区から立候補を検討している。その話から、堀さんを区会議員にする話題が、やや暴発気味に広がっていった。

 集票のために、わたしの消防団のネットワークを活用してみてはなど。東京都の準公務員として禁じられている行為の話で、盛り上がった。飲んだ席での冗談だから、問題はないだろうと思ってはいる。でも、厳密には公務員規定に違反しているだろう。なおかつ、公職選挙法違反になるかもしれない。

 

 午後6時開始で、9時半ごろまで楽しい時間が過ぎていった。8時を過ぎたあたりから、隣に座った里村さんからご本人の近況をうかがうことになった。知り合いのご家族(ご夫婦)が、事情があって亡くなられた話だった。わたしも近況を伝えたのだが、里村さんからはそのとき、いつものフレーズが飛んできた。

 「先生は、他人のことに関心がないですから」(笑)。わたしとの会話で、毎回のように里村さんから出る決まり文句である。この言葉の意味を、いままではあまり深く考えたことがなかった。ところが、昨日はこの表現に少しだけひっかかりを覚えた。

 そういえば、ランナー仲間の村瀬さんからも、「小川先生は自分大好き人間ですよね。他人のことには興味がないのね」と何度も、それこそしつこいくらいに言われ続けたことを思い出した。村瀬さんや里村さんのことが、別に嫌いなわけではない。わたしにもっと関心を向けてほしいのだろうかなど。ふたりにしごく淡白に接しているからだろうか(笑)。

 考えてみると、わたしは「他人に」興味がないわけではない。正確を期して言えば、わたしは「他人のこと(生活や趣味)」に全く関心がない一方で、「他人の仕事や物の考え方」には猛烈な関心を寄せることが多い。関心の対象や興味の持ち方を見て、里村さんや村瀬さんは、わたしが「他人(のこと)」に無関心だと考えていることがわかった。

 

 言い訳をするつもりはない。村瀬さんが指摘するように、わたしは「自分大好き人間」である。それは認めることにしよう。でも自分が大好きなのは、わたしだけの特権ではないように思う。一般人とのちがいは、わたしは行動があからさますぎて、「わがまま人間」(松島JFMA事務局長)が丸出しだと言われているようなのだ。

 なんでだろう?子供のころからのことを思い返してみた。周囲の婆やや姉やが、呉服屋の長男坊のわたしを、いつもなにくれとなく面倒を見てくれていた。それだからだろう。70歳を過ぎたいまでも、坊ちゃん気質がまったくもって抜けない。自分のことだけに関心を寄せる傾向は、そこから来ているようだ。そして、この気質は永遠に変わりそうにない。

 もうひとつ、他人のこと(人間)にではなく、他人の仕事(ビジネス)に猛烈に興味を抱く傾向がある。その気質は、一体全体どこから来ているのだろうか。これまで真剣に考えてみたことがないテーマである。たしかに、大学院生のプロジェクト研究や、経営者たちへのインタビューなどは、わたしが得とする分野である。猛烈な関心を寄せなければ、いい作品や記事は生み出せない。

 書籍や記事、コラムを熱意をもって書くという行為は、他人の仕事に興味や関心を持つことで完結しているわけではない。その先に、ある人ともうひとりの人とを仕事でつなぐことにつながっていく。もともと他人の仕事だった分野を、いつしか自分の仕事に取り込んでいることがある。ネットワークづくりと、仕事の成果(着地点)がかなり前に想像できることがうれしいのだと思う。

 

 となると、わたしはやはり偏った興味で、他人と対していることになる。人間的な関心は自分(+近親者)にしかないからだろう。極端な話になるが、妻や子供たちに対しても、彼らの仕事(料理や趣味を含む)を通して、事柄に関心を寄せているのだとわかった。

 たしかに、わたしは究極のわがまま人間ではある。それは認めようではないか。そうではあるが、わんすけ先生は、他人に対するサービス精神は旺盛である。一緒に遊んで楽しい人間に、自画自賛ながら、晩年は成長できたような気がする。いまも仕事や遊びの輪の中心にいることは、まちがいないだろう。

 振り返ってみれば、そんな風に興味の延長線上で仕事の成果を積み上げてきた。ネットワークの中で、自分という人間を鍛えてきた。だから、究極の趣味が「自分大好き」となってしまっているのだろう。