北区赤羽マラソンを走るため、上野行きの京成電車に乗っているときだった。つり革の脇にぶら下がっている「かつしか文学賞」の募集広告の告知ポスターを見つけた。朝方に、かみさんが「こんなのがありますよ」と折り込みチラシを枕元に持ってきた。A4サイズのフライヤーは、電車の中で見た「かつしか文学賞」の募集広告のチラシ版だった。
折り込みチラシの絵柄は、鮮やかな青空と白い雲の背景だった。梅雨明けに見る夏の空が、わたしにあることを思い出させた。
大学を定年退職する際に、自著の49冊目にあたる『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』(PHP研究所)と一緒に、「教授から作家への転身」という宣言文を皆さんに送った。わたしは、学生時代から直木賞作家になることが夢だった。そこで、退職に当たって作家への転身を宣言してみた。
確たる根拠があったわけではない。いつの日にか、短編集『商人版:東京下町物語』を書いて、直木賞に応募しようと漠然と思っていた。そんなところに、ふたつの偶然が重なった。自分の勝手ながら、「かつしか文学賞」への応募話が舞い込んできたと解釈したわけである。早速、本日、この話をLINEでみなさんに伝えてみたところである。
千葉県白井市から葛飾区高砂に引っ越してから、東京下町の商人の話を書き溜めている。たとえば、青砥にある田沼商店の”キンさん・ギンさん”を主役にした「味噌の請け売り、かつしか小町」(https://www.kosuke-ogawa.com/?eid=5206#gsc.tab=0)などである。
舞台が葛飾ではないが、税理士事務所を経営していた友人の会計士、村田さんが生まれ故郷の上越市高田に戻る「Shall we Dance? 斜行ダンス」(https://www.kosuke-ogawa.com/?eid=5607#gsc.tab=0)は、舞台を葛飾区に移してフィクションにしてしまえばよいだろう。立派な「かつしか話」になる。
連作だから、短編の間のつながりがほしくなる。わたしたちが下町に引っ越してくるきっかけを描いた、美代子おばさんの話なども短編集に収録できそうだ。「豊顕寺の桜吹雪」(https://www.kosuke-ogawa.com/?eid=2124#gsc.tab=0)は、短編集の導入話としてリメイクできるだろう。
短編小説集として応募するつもりであれば、わが商売人たちのネタ話はたくさんあるように思う。たとえば、こんな感じになるのだろうか。「柴又日誌」(本ブログ連載)に出てくる下町の商売人たちを、わたしが描くスタイルではどうだろうか。
登場人物たちは、
1 カリフォルニアに留学してマレーシア経由で高砂に戻ってきた、寿司ダイニングのすすむさん。
2 福島の山奥から兄弟で東京下町に出てきた、お稲荷屋さんの味吟さん。
3 少し前に、焼き鳥屋(立石駅前)を閉店した「トップ」のおじさん。店内の壁一面には、世界地図が貼ってあった。
4 トミーのアルバイトで働らいていたタミちゃんのママ、お釈迦になったトミカを子供たちがもらっていた。
などなど。
電車の中のポスターで見た募集広告は鮮烈だった。マラソン練習を走りに行く先の水元公園で、わたしがいつも見ている青い空と白い雲。かつしか文学賞募集のメッセージは、とても素敵でキャッチーなコピーだった。
「舞台は葛飾。心に響く小説(はなし)をください。」
応募してみたい気になる。心に響いて、心を打つ。そんな話の連作を書いてみたい。