2009年に刊行された『雑食動物のジレンマ』(東洋経済新報社)を子供向けにやさしく翻案した本である。昨年の春に、河出書房新社から出版されている。原著が米国で出版がされたのが2009年。小梨直さんの手による翻訳が完成するまで、約6年かかっている。
つい最近まで、研究室の机の上に積んでおいた一冊だった。どうやら完熟堆肥のように、わが庭の土に投入すべきタイミングが来たらしい。神様がわたしに読むように指示してくれた。
今週のはじめに、電車の往復時間を利用して二日がかりで読了した。ポーラン氏の語り口が軽妙で、しかもデータと事実の考証できっちり裏付けがなされている。ライターの鏡みたいな本だった。もちろん★5つである。おもしろかった。
前著「雑食動物のジレンマ」と本の構成はほぼ同じである。一点だけ違っているところがある。
アマゾンから前著(上下巻)の目次を借りてくると、
第1部 トウモロコシ
第1章 植物──アメリカを牛耳るトウモロコシ
第2章 農場
第3章 カントリーエレベータ
第4章 肥育場──トウモロコシで肉をつくる
第5章 加工工場──トウモロコシで複雑な食品をつくる
第6章 消費者──肥満共和国
第7章 食事──ファストフード
第2部 牧草──田園の食物連鎖
第8章 人はみな草のごとく
第9章 ビッグ・オーガニック
第10章 草──牧草地を見る一三の方法
第11章 動物──複雑性の実践
第13章 市場──バーコードのない世界から
第14章 食事──牧草育ち
第3部 森林──私の食物連鎖
第15章 狩猟採集者
第16章 雑食動物のジレンマ
第17章 動物を食べることの倫理
第18章 狩猟──肉
第19章 採集──キノコ
第20章 完璧な食事
これが今回、子供向けにやさしく解説された本書では、
第一部 大量の「工業食」──主役はトウモロコシ
第二部 流行のオーガニック──大量生産の有機食品
第三部 持続可能な地産地消の食──すべては草から
第四部 菜園と狩猟採集──自分で調達して食べる
という構成に代わっている。
新版では、第一部と第二部の間に、量産型のオーガニック部門が挿入されたわけである。つまり、米国を席巻しているチェーンストア(ホールフーズやコストコ、ウォルマート)と大規模農場・有機加工メーカーのトライアングルが作り出した「新興オーガニック産業」の実態が紹介されている。なつかしい!「アースバウンド社」(@カリフォルニア州)の名前を本書の第二部で発見した。
わたしの理解するところでは、マイケル・ポーラン氏は、大規模オーガニック産業に対しては、本来の目指すべき有機農業(CSA型)とは成り立ちが違っていると主張しているようにみえる。全米の4%を占めるオーガニックって、実態はどうなのだろうか?そのように深くと考え込んでしまう。
わたしは意外と安直に考えていたが、どうやら実態はちがうらしい。この本からは、そうしたメッセージを受け取ることになる。
まず本書から学べることは、わたしたちの体(スーパーマーケットの棚からやってくる商品)がいかにトウモロコシに占拠されているかということである。ふだん食している食べ物のほぼ3分の一が、トウモロコシ由来であることを知って読者はショックを受けてしまうだろう。わたしも牛肉や鶏肉の飼料としてコーンが使用されていることは知っていたが、コーンシロップや包装紙までがトウモロコシとは驚きだった。
トウモロコシが食卓を独り占めしているのは、生産効率が高い作物だからである。値段が安くて効率がよく、炭水化物と油脂を豊富に含んでいる。しかし、米国の農家は仕事が自動化されて楽になった反面で、差別化の手段(種子)とエネルギー(農業機械)をコントロールする自由を奪われてしまった。
大規模な種子メーカー(モンサントやシンジェンタ)や穀物商社(カーギル)に、価格支配力を奪われたからである。販売価格を考えれば、農業はいまや割に合わない仕事になってしまった。それでもトウモロコシを作り続けているのは、この作物に代わる代替手段がないことと、そして米国政府(実は巡り巡って大企業)から多額の補助金が投入されているからである。
また、トウモロコシを消費する米国人の消費者は、安くてエネルギーが豊富なゆえにトウモロコシの呪縛から逃れられない。とくに低所得者層がそうである。牛や豚や鶏の畜産も同じである。安い飼料であるトウモロコシからは離れられないようになっている。コーン以外の便利な飼料がないのである。
これが第一部のエッセンスである。「工業食」(Industrial Food)とは実に適切な命名である。人間も、牛や馬のような家畜に思えてくる。主原料は、もちろんコーンである。
第二部は、「流行のオーガニック──大量生産の有機食品」である。わたしは、10年ほど前に勃興期にあったカリフォルニアの農場を視察したことがある。現地で農産物の卸会社で働いていた中村君(法政大学経営学部卒)に、アースバウンド社(有機野菜のカットパック工場、全米シェア80%)やホールフーズ(全米ナンバーワン・オーガニックチェーン)などを案内してもらった。
ポーランの指摘によれば、オーガニック野菜(製品)そのものに問題があるのではなく、そのつくり方が根本的な問題をはらんでいるらしい。つまり、大規模野菜・穀物農場では、農産物(野菜やコーン)の生産と畜産が連動していないのである。
オーガニックとは言っても、モノカルチャー(単一作物の生産)だから、作物(トウモロコシ)と廃棄物(草)の自然循環ができていない。土壌も微生物や微量要素を含んだ堆肥を受け入れているわけではない。見た目は有機農業だが、魂が入っていないオーガニックというわけである。
実質的には、大量慣行生産されたトウモロコシと同じなのである。それでも、健康の問題を抱えている米国人は、値ごろ感のあるオーガニックだからといって、ありがたく有機食品を購入している。
第三部は、小規模オーガニック農業の体験談である。ポリフェイス農場では、循環型のオーガニック農業の本質が語られている。アニマルウエルフェア(動物の虐待防止)が必要なことや地産地消(その土地で作って食べること)が大切であることは、オーガニック農業が単に生産段階(作ること)だけでなく、ロジスティックス(運ぶこと)も含めて環境負荷の低減を主張する農法であることが納得できる
昨年、プロデューサーの小林武史さんが経営している「耕す」(木更津の有機農場)を訪問した。鶏舎の中に入れてもらったが、これまでわたしが経験したどんな鶏舎ともちがっていた。まったく異臭がしなかった。鶏が食べている餌も違っている。おから(大豆かす、たぶん国産nonGMO)や米ぬか由来の飼料である。鶏たちも活発に動き回っていた。余計な抗生物質も与えられていない。
ポリフェイス農場は、また、循環型の農業レイアウトになっている。夏場は、草場を豚や鳥たちが移動していくのである。その逆ではない。というのは、普通の豚舎では、豚や鶏に餌を運んでくるからである。ここでは、新鮮な自然の草をローテーションで鶏舎が移動していく。
第4部は、キノコ狩りと狩猟の話で終わる。わたしは、この部分をかなり飛ばして読んだ。狩りの体験というより、動物の殺傷と解体の記述がむごすぎたからである。ポーランは一時期、ベジタリアンは宗旨替えする。再び肉食に戻るのだが、その過程もリアルに描かれている。
人間は、食物連鎖の一番先端に座っている。つまりチェーンの終点にいる。しかも、エネルギー効率が悪い、最も典型的な雑食動物である。つくづくだが、雑食の人間というのは、不都合な存在だということがわかる。
栄養価がほとんどないキノコや野菜も食べるが、たんぱく質たっぷりの肉や魚も食する。そして、いまや循環しなくなった汚物を川に垂れ流している。炭水化物については、ようやく摂りすぎだと気が付いて、ダイエットやエクササイズが流行している。本書は、雑食動物のそんな食の実態をライトに記述しながら、人間の本質を問いただしている。
学部のゼミ生には、来月の課題図書として指定してある。彼らはどのような感想を持つだろうか。筆致は軽いが、ヘビーな内容である。まじめな学生の中には、食べ物が手につかなくなるものも出る可能性がある。途中で投げ出さないように。