卒業

 3月24日で、大学教員としての責務はすべて終わった。卒業生(大学院4人と学部12人)に学位記(卒業証書)を渡して、わたしも教員を卒業する。法政大学との関係は、法政大学名誉教授に就任することでつながっている。これもまた自らが作った「イノベーションマネジメント研究所」(竹内教授)と「イノマネ総研」(豊田教授)で、研究員としての席も残してもらっている。

 

 尾崎豊の曲ではないが、そうはいっても、「束縛(原曲では”支配”)からの卒業」である。4月からは、晴れて自由人になる。

 一個人として所属がなくなるというのは、不思議な感覚である。自由気ままに生きられると同時に、バーカウンターでいう「止まり木」(椅子)がなくなるということでもある。

 大学の研究室にとって代わって、とりあえず行ける場所としては、神田小川町の「オフィスわん」がある。しかし、これまで享受してきた様々なユーティリティ(便益)は利用ができなくなってしまう。

 たとえば、都内の一等地にあった研究室の6坪の空間。事務室の事務員さんが、荷物の預かりや部屋の掃除など、なにくれとなく世話を焼いてくれた。人的なサービスは貴重だし高価である。これからは自宅にいるときと同じように、オフィスわんでは、自分でゴミ出しや掃除をしないといけなくなる。

 

 それでも退職者の中では、わたしはラッキーな方だと思う。秘書の内藤光香は、退職後も自宅(オンライン)と神田小川町(リアル)で秘書業務を継続してくれる。講演の資料作りでは長谷川まりさんが、本創りでは林麻矢さんが、引き続きアシスタントを務めてくれる。JFMAには、野口弥生さんや松島事務局長が、わがサポート役と残っている。

 新しいプロジェクト(富山わさびプロジェクト)では、協力者の数が増えてきた。SKフロンティア(糸魚川在住)の澁谷正一社長、オレンジマーケティングの木村宏代表(富山県在住)、これまでも一緒に仕事をしてくれた元院生のメンバーたち。わたしと一緒のタイミングで選択定年を選んで、3月に独立した元ゼミ生の木村芳夫君(元ヤオコー、コープデリの農産部長)。

 企業の支援者も、わたしの仕事を支援してくれている。人との絆は、いまでも緩やかにつながっている。ローソン・プロジェクト、物語コーポレーション・プロジェクト、月刊ランナーズのハーフマラソン・プロジェクトなどなど。宮崎のへべすプロジェクトも忘れてはいけない。

 

 60歳で還暦を迎えたとき、古希(70歳)になったわたしに、これだけの仕事が残されているとは。そんなことは夢にも思わなかった。だから、大学教員は卒業したものの、わたしを頼りにしてくれる元学生や企業人がいるかぎり、社会的な仕事からは卒業できそうにない。

 そして、その活動を支える人材と場所は厳然と存在している。定年後のいま、実際にはなかなかありえない環境に身を置いていることの幸わせに感謝している。卒業生のみなさんへ、あなたたちが困難な問題にぶち当たったとき、あるいは今の仕事が苦しいと感じたときに、小川の携帯を自由に鳴らしてよろしいです。そして、神田小川町のオフィスわんのに足を運んで、ドアをノックしてほしいと思う。

 来月からは、コロナ前に研究室のブースで実施していた「アフターゼミ」を復活させるつもりでいる。卒業後に取り組んでいるビジネスネタ(リサーチネタ)を持ち込んでもOKである。アフターゼミの後では、隣りの快適空間(BARブリッツ)で、ワインや日本酒やカクテルなど、アルコール飲料が用意されている。

 千客万来、招福わんこ(ふつう福を呼ぶのは猫ちゃんなのだ)が、神田小川町の路地を入ったところにある「オフィスわん」にはいます。