「江戸時代に回帰する?:花開くか、令和の園芸文化」『JFMAニュース』(2021年11月20日号)

 フラワービジネス講座の最終回(11月16日)で、大田花きの宍戸純さんと対談をしました。
テーマは、いつもの「花産業の未来」です。対談の最後に、わたしとしてはめずらしく、花業界の将来について持論を展開することになりました。

 

 結論を一言で表現すると、「花産業(園芸文化)は、200年前の江戸時代に回帰するだろう」です。そのように予見する理由を、以下では説明してみたいと思います。すこし長くなりますが、『北羽新報』(秋田県能代市)に掲載したコラム(2021年8月27日号)を引用してみます。タイトルは、「明治の柿茶色がいま蘇る:団十郎朝顔のこと(61回)」でした。

 7月末に、仲良しの元ゼミ生3人と、一泊二日で北関東へ小さな旅を敢行しました。埼玉県寄居町にある鮎の宿「京亭」に宿泊して、鮎会席を楽しむためです。京亭は、『鬼平犯科帳』の作家・池波正太郎の定宿として知られています。

(中略)

 一泊して東京に戻るわたしたちに、木村君(コープデリ、青果部長)が朝顔の苗を手渡してくれました。お土産のつもりだったのでしょう。今年から地元で始まった「寄居町の朝顔市」で、前日に購入した朝顔、団十郎の苗でした。「先生、めずらしい朝顔があります。もって帰ります?」と木村君が聞いてきていました。なるほど、団十郎朝顔のことだったのかと納得しました。

 団十郎(朝顔)は、耳慣れない品種名だと思います。この朝顔は、子供たちが夏休みの宿題で観察する青や紫、水色の朝顔とはすこしちがうのです。丸咲きの朝顔で柿茶色なのです。

* * *

 苗を持ち帰って玄関のポーチに植えました。ところが、なかなか花が咲いてくれません。一方で、ふつうの朝顔(青系)はどんどん花を咲かせていました。そうなのです。明治期に一世を風靡した団十郎は、繊細で育てるのがむずかしいのです。そのため、昭和初期に下谷の朝顔市から姿を消してしまいました。
 木村君が手渡してくれた苗は、その復刻版でした。

 ところで、丁寧に世話をしてあげると、一カ月後の8月25日に、突如ですが一輪の大きな柿茶色の花を咲かせました。そこから約2ヶ月間、10月末まで団十郎は花を咲かせ続けました。晩生の品種らしいのです。毎日観察していると、不思議なことに気がつきました。団十郎は、蔓が上に伸びていくと花の色が変わっていくのです。まるで紫陽花のようです。

 最初は濃い柿茶色だったのが、薄めのピンクがかった紅茶色に変わっていきました。花の大きさと形も、大輪でまん丸だったのが、サイズが小さくなって輪の形が崩れていきます。団十郎さんは雨や朝露に弱いらしく、晴れた日にしか大輪の花がまん丸に開かないのです。「変わり朝顔」を経験したことで、わたしは植物を育てる新しい楽しみ方を見つけました。

 在宅時間が増えたことで、人々の興味が花や植物に向かっています。わたしの発見と似たような体験を、若い人たちが植物を通して経験しているのではないでしょか?花の色や葉の変化を楽しんだ江戸の園芸文化が、令和の時代に復活しそうな気配を感じます。花文化復興の鍵を握っているのは、Z世代の若者のように思います。