35年分の蔵書が、自宅と市ヶ谷の研究室に在庫されている。約3千冊。来年3月の退職に向けて研究室を退去することになる。蔵書も引っ越しをさせる必要がある。さて、行き先を探さなければならない。中国の大学に送る手もあるのだが、できれば日本人に活用してほしいと思っている。
「蔵書の嫁入り」『北羽新報』2021年11月27日号
(連載:その64) 文・小川孔輔(法政大学大学院・教授)
大学教員になって46年になります。小説や趣味の本は、1982年に海外留学(米国カリフォルニア大学バークレー校)をするときに、知り合いの中古本屋さんに引き取ってもらい処分しました。学生時代から院生になるまで読んだ本は500冊ほどあったと思います。ほとんどが小説でした。思いっきりの良い性格なので、惜しげもなくすべての本を捨てました。
それでも、二年間の留学から日本に戻ってくると、ふたたび蔵書を増え始めます。現在、大学の研究室と自宅(千葉と東京の2箇所)の書棚に置いてある本は、全部で2500冊~3000冊になっているはずです。正確に冊数を数えたことはないので、あくまでも推測です。
帰国して36年ですから、年平均で80冊前後を購入してきたことになります。ちなみに、買った本を全て隅から隅まで読んでいるわけではありません。ただし、芥川龍之介ほど(毎分1頁)ではありませんが、一時間で100頁~120頁の速度でフォトリーディングができます。アルバムの写真をぺらぺらめくっていくように、内容が理解できる読書術です。
長年の訓練のたまものです。中学・高校時代から、小説など年間100冊を読破していました。一晩か二晩で、300~400頁の「世界・日本文学全集」の一巻を読み終える訓練ができていました。学者になれた一つの要因は、速読術だったのかもしれません。
とはいえ、大学の教員になってからは、フィールドワークが主体の研究スタイルです。現場での調査や観察、インタビューが得意で仕事術を鍛えてきました。そのため、大学院に進学してからは、他分野の研究者ほどたくさんの本を読む方ではありませんでした。
どちらかといえば、雑誌や資料を読むことの方が多かったのです。それでも、50年間近く研究者をやっていると、これくらいの本が溜まってしまいます。洋書が600~700冊、残りは和書で2000冊くらいでしょうか。
さて、来年3月に70歳で大学を退職することになります。わたしの弟子が後任に決まっていますので、研究室は明け渡すことになります。困るのは、行き場のない蔵書です。自宅の書庫はすでに満杯です。
大学に置いてある推定1000冊の本を、それでなくとも狭い自宅に移動することは避けたいと思っています。この際、千葉県の旧宅に置いてある洋書(500冊)を含めて、蔵書2500冊を引き取ってくれる嫁入り先を探しています。
専門分野は、広義には経営学と経済学です。とりわけ、マーケティングと小売サービス業や流通が専門です。和書も洋書も、ほとんどがマーケティングと流通分野に集中しています。これくらい蔵書がたまると、むしろ電子化が進んでいる前の本が貴重になります。
古いものに価値が出るのです。しかし、最大の問題は、首都圏の大学図書館には、もはや紙の専門書をストックできるスペースがないのです。わたしの先輩や同僚で先に退職された先生たちは、泣く泣く蔵書を処分されたようです。
興味のない人には、専門書は貴重な洋書でも単なる「ごみ」になっていまします。わたしが死んだあとは、家族には迷惑をかけたくはないと思っています。読者のみなさんへ、嫁入り先をご紹介ください。