東京能高同窓会のために、コラムを一ヶ月お休みさせていただきました。今朝の掲載です。早速、秋田の友人から「懐かしいです」とメールが来ていました。お互いに、あと何年生きられるかわかりません。昨日、わたしは71歳の誕生日を迎えました。秋田の同期も、70歳か71歳です。
「54年ぶりの再会」『北羽新報』2022年10月号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
半世紀ぶりに、能代高校の同期生10人と再会することができました。場所は、アルカディア市ヶ谷。法政大学市ヶ谷キャンパスの近くにあるホテル併設の宴会場です。元の職場の法政大学は、謝恩会や各種会合で頻繁にアルカディアを利用しています。
そんなわけで、能代高校の東京同窓会が、昔から市ヶ谷のアルカディアで実施されていることを知っていました。職場が至近距離だったこともあり、先輩や同級生から同窓会への出席依頼が何度かありました。ただし、わたしの時代の男性たちは皆さんがそうだと思いますが、忙しさにかまけて一度も出席しないままになっていました。
ところが、東京同窓会の三浦洋会長と同級生の小林哲さん(40期3年E組)から声が掛かり、早速に講演を依頼されました。当日の講演テーマは、いま取り組んでいる「食の未来~食ビジネスを取り巻く機会と脅威~」とさせていただきました。
東京同窓会長の三浦さんによると、40期生は、例年だと1~2人程度の出席だそうです。わたしがスピーカーだったこともあり、今回は、東京在住の同期生が10人も集まってくれました。ありがたいことです。
ところで、数年前に、能代二中の同期会が地元能代で開かれました。こちらの同窓会にも、わたしは52年ぶりで参加しました。直後に、「優しいルール破り:52年ぶりの同期会で」というコラムを本紙に書いています。その一部を抜粋して、ここに引用させていただきます。
「(前略)本日のコラムは、先月お約束した通り、去る8月11日に開催された「第20期能代第二中学校」の同期会について書くことにします。同期会は、野球部でキャプテンを務めていた山本実君の司会ではじまりました。
会場のプラザ都には、65人が参集しました。予想通りでした。加藤(祐悦)や楊(国英)のように、能代高校に進学した友人以外は、顔と名前が一致する同級生がほとんどいません。とりわけ女子が全滅でした。それでも、近所に住んでいたとか、親戚で知り合いがいるとか、何かしかのつながりはあるものです。皆さんとの会話に困ることはありませんでした(後略)」(2018年8月24日号)。
さて、高等学校の同窓会ですが、中学校よりは在学時が最近ですから、顔と名前が一致すると思っていました。しかし、実際には、二中の同窓会と同じで、当日出席してくださった女性はおふたりとも識別ができませんでした。4年後の今度も、顔と名前が一致したのは、野球部で山本君とバッテリーを組んでいたキャプテンだった小松文明君のみでした。
それはそうだと思います。あれから54年が経過しています。わたしも髪の毛が白くなって、167センチあった身長が2.2センチも縮んでしまっています。メガネの形も変わっています。
それでも、同窓会が終わったあと、アルカディアの2階テラスに同期8人が残ってくれました。ビールと紅茶で乾杯して、小林君が持参してくれた高校時代のアルバムを囲んで、当時を懐かしく思い出していました。実物は無理でしたが、アルバムの顔は、誰が誰だか完璧に識別できました。それはそうでしょうね。54年前のわたしたちは、高校生のままお互いの記憶の中では永遠に歳をとらないからです。