花産業の未来(もうひとつの妄想:2021年改訂版)

 10月23日の誕生日に古希を迎えた。大学を定年退職するタイミングで、自身を伝記作家に転身させると宣言した。環境が激変するが、その準備を着々と整えている。「環境によく適応した生物だけが生き残る」とダーウィンは言っていた。約30年間、花の横断的な団体を組織した。その花き産業は、この先はどのような方向に向かうのだろうか?

 

 来週11月24日から3日間、東京ビッグサイト(青海会場)で花の展示会(アグリイノベーション)が開催される。その会場で、今年も「花産業の未来」というセミナーを受け持つことになっている。パワーポイントの資料は、長谷川まりさんに頼んで、すでに出来上がっている。

 最後に、追加の資料を準備したいと思っている。今回のプレゼンは、大学教授として最後のセミナー講演になる。会長として最終予言(妄想)をしておきたいと思っている。

 先ほど、「江戸時代に回帰する?:花開くか、令和の園芸文化」『JFMAニュース』(2021年11月号)というコラムを巻頭言で書いた。内容は、「フラワービジネス講座」の最終回(11月15日)で、大田花きの宍戸純さんと対談をした内容である。結論を一言で表現すると、「花産業(園芸文化)は、200年前の江戸時代に回帰するだろう」であった。

 そのように予見する理由を、巻頭言に書いてみた。このブログでは、宍戸くんとの対談の前に、彼の講演をオンラインで聞いていた時に書いたメモをもとに、花の産業の未来を大胆に予見してみたい。

 

 宍戸くんは、5つの分野に分けて、花産業の将来を論じていた。オリジナルのパワポ資料とは違っているが、我流でわたしもメモを作成した。それに従うと、①社会の変化、②生産の変化、③育種の変化、④市場の役割の変化、⑤花の消費の変化となる。順番に、自身のメモを解説してみたい。

 

1 社会の変化

 花が社会の中で果たす役割は、花の国日本協議会が提唱したように、「ビタミンF」(ビタミンのように気持ちを華やかにする)のように機能するだろう。わたし個人は、昨夜の大学院のリモート教室で話したように、植物(プランツ)は人間の心に、「サプリメント」(心を弛緩させる)のように作用するようになるだろうと予言している。

 そこには、花(フラワー=ビタミン)は、人の心を刺激するように作用することで、「人間を精神的に健康な状態(Well-being)」にもっていく。植物(プランツ=サプリメント)は、Nursery(苗床、農場)で育つのだが、人間に作用する場合は、二通りの道筋を通って、人間の精神に影響を及ぼす。

 ①触覚(タッチ=触る)を通しての心身の蘇生効果(身体と気持ちを元気にする)、

 ②視覚(森や草原を見る)と嗅覚(フィトンチッド=匂いを嗅ぐ)をもった弛緩効果(心と体をリラックスさせる)。 

 前者(①)は、植物を育てるときに発現する効果で、後者(②)は、植物に囲まれたときに発現する作用である。

 これらは、従来からある園芸療法(ホーティセラピー)を拡張して考えるべきことを示唆している。植物や花がもたらす最終効果は、人間を心身ともに健康な状態(Well-being)にもっていくことだから、その道筋に二通りがあることを理解すべきだろう。

 花や植物にまつわる産業社会の変化も、その方向に向かって進むことになるだろう。拡張概念が必要になる。

 

2 生産の変化

 20世紀の花産業は、産業社会がマスマーケティング(大量生産、大量輸送、大量販売、大量消費、マスコミ)に向かったように、これらを総括する言葉で表現すると、「輸送園芸」で代置することができた。生産と輸送について言えば、単品大量生産した花を遠くまで低コストで運ぶことが効率がよかった。

 適地適作がいま崩れようとしている。エネルギーコストと第3世界での賃金上昇で、輸送園芸が中心の花生産と輸送・販売が不可能になりつつある。もちろん、輸送園芸が消えてなくなることはないだろうが、いまのように「飛行機で花を運ぶ時代は終わる」と考える。したがって、輸入品の中心は、①希少品で高値になるものと、②短くて軽いものに限定されることになるだろう。そして、量産品(キク、バラ、カーネーション、葉物など)は、海上輸送が中心になる。

 

 国内生産に視点を移すと、グローバルに起こっているのと同じことが国内でも起こると考える。ただし、日本のように全国に花の産地がある場合は、リレー栽培で遠隔輸送するパターンが消えることはないが、それでも、花の場合も地産地消が推進されることにある。すでに野菜の栽培では、例えば、キャベツやニンジンなどの重量野菜で、この現象が起こっている。

 また、都市型園芸の特殊系である「垂直農法」(Vertical Farming)が主流になる可能性もある。すでにハーブや葉物野菜は、都市部の倉庫型温室で栽培されている。SDG’sの流れが引き金になっている。①輸送コストの削減、②農薬の不使用、③肥料・水・エネルギーの投入量の削減、④自動化による人件費の低減。こうした効果の実現には、デジタル技術と大量データベースを活用したAI(人工知能)が用いられている。したがって、国内でも、花や植物が都市部の人工的制御環境の下で生産されることになるかもしれない。

 

3 育種の変化

 消費が多様化することを前提にすると、画一的な品種育成には限界が来ると考えられる。運びやすい品種、生産性が高い品種に絞ってきた19世紀から20世紀にかけての育種の流れは、主流ではなくなるかもしれない。単品大量生産と輸送園芸を前提としなければ、多様な花や植物が栽培されるチャンスが生まれる。経済的に成り立ちさえすれば、多品種少量生産も可能になるだろう。

 単品大量生産は、海外と日本のテイストが同じことを前提にしている。スケールメリットがあるので、無理やり安い花を受け入れて消費している現実がある。日本人のテイストにあった多様な花や植物が、ローカルなテイストに合わせて生産されたならば、どのように市場は変わっていくだろうか?自動車の生産は、技術的には「一個流し(個別生産)」になっている。

 個人生産・育種家が再度注目を浴びる時代が来るのではないだろうか?元祖・育種の技術は、そもそも芸術活動のようなものである。絵画や音楽はパトロン(貴族や金持ち)によって支えられてきた。園芸作品も同様に、新しいパトロン(IT企業家、成金、クラウドファンディング)が登場するかもしれない。

 

4 市場の役割の変化    

 この点に関しては、結論を簡単に言える。今の形態の市場は、消えてしまうだろう。アマゾンが本屋を駆逐しようとしているように、物理的な意味での卸市場(オークション)は、早晩消滅するだろう。すでに欧州は、オランダを中心とした一つの市場に統合された。日本もその後を追うことになるだろう。

 日本で花の荷受会社(オークション)が機能してきたのは、小規模の生産者(それを束ねるJA)と小規模な花店がいたからである。その昔、「書籍と切り花」『生販統合マーケティングシステム』(白桃書房)という論文を書いたことがある。片方の本屋は、アマゾンに駆逐されようとしているが、花屋は健全に残るかもしれない。理由は、花を購入するという場所に基本ニーズがあるからである。

 とすると、卸売市場(集荷、価格付け、物流、ファイナンス)は物理的に存在しなくなっても、マーケティングカンパニーとしては生き残ることができる。花店や量販店の花売り場に対して、メーカー的な機能を持つ存在に代わるということである。

 

5 花の消費と販売

 冒頭に述べたように、花き類(花や植物と樹木)の持つ効用は、二つの機能を通して心身とも健全な状態を作ることである。ギフト需要や装飾(デコレーション)は、ビタミンFの作用をもたらすビジネスにつながる。この部分は残るけれども、主軸は、ウエルビーングの実現に移っていくのではないだろうか?

 そして、季節の移り変わりを感じる行事(お月見など)や旬の概念が見直される。すでに始まっているものとしては、新しいもの日の企画である。さらには、江戸時代の園芸文化(国民丸ごと育種家)が復興することになるだろう。

  

 花を販売する中心は、量販店に移ってきている。しかし、いまのままだと専門店(単独店、チェーン店)は残ることができそうだ。

 ユニクロが花を扱い始めている。それに加えて、スーパーやホームセンターではなく、ニトリや無印などが生活雑貨系のチェーンやコンビニが花を扱いはじめることが考えられる。そうなると、鮮度保持に対する考え方が変わっていくことになる。

 サブスクのサービスは、どうなるだろう。これまでは、花の新規顧客を増やして、市場を広げることに貢献してきた。新しいネット花屋さんだと考えると、この先も花のサブスク市場は10倍に膨らむ可能性がある。ただし、いまのままでは供給がそこまで追いつくことができない。わたしが、都市型垂直農法で花を栽培する可能性に触れるのは、そのためである。

 苗を植え付けてから収穫まで、花の場合は100日である。野菜も同様である。したがって、短径で軽量の花であれば、栽培の可能性がある。新しいニーズに応えるために、サブスクリプションサービスの花供給は、都市型農業の施設栽培が常識になる時代が到来することを予言しておきたい。無印やローソンにそうして花が入る日が到来するかもしれない。

 花や植物のサイズ(大きさ)のニーズに変化が起こっていること、主要な草花が自然の環境の中から飛び出て、人工的な環境(工場生産)で栽培される日が来るかもしれないからである。