はじまりは、1本の電話から: ヤオコーの塩原淳男君と久しぶりに会食

 食品スーパーのヤオコーからコープみらいに転職している木村芳夫君から電話をもらった。4日前のことだ。「塩原先輩と池袋で飲みます!先生、参加されますか?」。木村君も塩原君も、経営学部小川ゼミの出身者である。なぜか約35年前(塩原君)と20年前(木村君)にヤオコーに就職していた。塩原君はゼミの2期生、木村君は8期生である。

 

 たった一本の電話が、人間の運命やしごとの在り方を変えてしまうことがある。

 2001年のある日、塩原君から法政大学ボアソナードタワー18階の研究室にもらった1本の電話がそれだ。この一本の電話が、『しまむらとヤオコー』(小学館、2011年)の刊行につながっていく。そして、日本の花き業界で「切り花の鮮度保証販売」の運動がはじまるきっかけを与えてくれた。川野幸夫会長(当時は社長)との出会いを演出してくれたのは、元ゼミ生の塩原君だった。

 塩原君からの電話は、青果部門の担当マネージャーだった彼が、川野会長から「花部門を強化する任務」を言い渡されたからだった。ヤオコーの中に、当時は生鮮4部門(肉・魚・青果・惣菜)につづく5番目の「花部」はなかった。海外視察で花部門のすばらしさを知った川野会長が、ヤオコーの花販売を伸ばすべく、塩原君を花きの担当者に指名したのだろう。

 まったくの偶然で、いまだに理由はよくわからない。わたしがJFMA(日本フローラルマーケティング協会)を立ち上げたことを知った塩原君が、仕事の助けを求めてわたしとコンタクトをとってきたらしかった。それほど研究室に頻繁にいるわけでもないのに、その日は、なぜかわたしが直接電話に出たのだった。

 むかしも今も、研究室の電話番号は変わっていない。03-3264-9732(いまは、経営大学院の番号に変わっている)。

 

 事情を知ったわたしは、それなら、まずは川野会長に面談させてほしいと塩原君にお願いした。拙著『しまむらとヤオコー』にもそのことを書いたが、1976年にヤオコー児玉店(ヤオコー7号店)を、「大型店影響度調査」(IY藤岡店)で訪店していたからだった。あのころのことを、川野会長にじかにたずねてみたかったのである。

 川越にある本社で会長に面談したわたしは、実に正直者だった(苦笑)。「当時の様子を見ていて、ヤオコーはIYにつぶされてしまうと思いました」(小川)。そのように川野会長に話したところ、会長はにこにこ笑っていろんな話をしてくださった。

 人口の少ない日高地方や埼玉の過疎な場所に出店をしていったことなど。若い社員が集まらないので、塩原君の場合などは、八百屋をやっていた塩原君の実家に押し掛けて、ヤオコーに入社してもらったことなど。

 その後は会長を起点に、おもしろいほどさまざまな出会いが起こった。小川町出身のしまむらの創業者たち(島村恒俊さん、藤原秀次郎さん、野中正人さん、伊藤孝子さんなど)。ヤオコーの中心メンバーだった、従弟の犬竹一浩さんや労組の平崎進一さんなどとも出会うことができた。さらに、そこから派生していった人的なネットワーク(日高屋の神田正会長、有機農業の金子美登さんなど)は、いまでもわたしの大切な財産になっている。

 

 数年後に、『チェーンストア・エイジ』(ダイヤモンドフリードマン社、現『ダイヤモンド・チェーンストア』)で、「小川町経営風土記」の連載がはじまる。並行して、塩原君の後任で花部門は木村芳夫君が引き継ぐことになった。川野会長と出会った翌年(2002年)に、秩父のスーパー「ベルク」(イオン系)から転職してきたのが木村君だった。

 昨夜、池袋で会食したときに知ったことだが、ベルクからヤオコーに木村君を引き抜いたのが塩原くんだった。ところが、自分たちは二人とも「小川ゼミの卒業生」であることを知らなかったらしい。ヤオコーとベルク、それぞれの青果バイヤーとしてふたりは知り合ったのだった。2期生と8期生だから、互いを知らなかったのは当然かもしれない。

 運命とはそのようなものだろう。しかし、その木村君が、ヤオコーの全店舗で「日持ち保証販売」(5日以内に枯れたら、切り花を全品交換)をはじめることになる。2009年からは、農水省が補助金の対象プロジェクトにしてくれた。いまは、「リレーフレッシュネス」の実践的な運動として定着している。認証ももらえる仕組みになっている。

 

 世の中はわからないものだ。あれから、約20年の時間が経過している。一本の電話は、いまとなっては「神様のお告げ」であったことがわかる。その深い意味は、後付けでないとわからないものだが。

 昨夜の居酒屋では、昔語りに終始したわけではない。わたしとは異なり、50歳代のふたりにはまだ先がある。その先の相談ごとなども話していた。塩原君も木村君もふたりとは、たまたま大学のゼミ生という形で偶然に出会った。その後に、ふたりから先生だったわたしが多くの出会いをいただいている。

 詳しくは書かなかったが、塩原君にはビジネススクールの大学院生(花畑裕香さん)が、「ヤオコーすだちプロモーション」でお世話になっている。そのことは、本ブログでも紹介している。花畑さんの運命の一部に、やはり塩原くんが関与しているのだった。だから、この先も人とのつながりを大切にしてほしいと思う。

 その先の人的関係に、わたしもすくなからず関与していくことになるだろう。昨夜はふたりとわずか2時間の会話だったが、いまはそんな予感がする。