恵那峡ハーフに走りに行ってしまいました(レースは4月20日)

4月19日(土)の夜9時に、神谷学部長から電話連絡がありました。経営学部の児玉主任のお父様(寛氏75歳)が亡くなられたので、明日(20日)の葬儀に出席するため、車で愛知県の岡崎市まで出かけるとのこと。神谷くん「朝早く出かけると約5時間かかりますね」。それで、わたしの反応は、「それならば、わたしを岐阜県恵那市のスケートセンター(恵那峡ハーフマラソンのスタート地点)まで連れていってもらえないだろうか?」


実は、北京以来の体調不良もあって、エントリーしたのはいいけれど、岐阜県の恵那まで行くのはちょっとしんどい。ほぼあきらめているところでしたが、途中で降ろしてもらえるのならば、この際は賭に出てみるか。神谷君からの突如の電話で、いつもの冒険心がむらむらと燃え上ってしまいました。
 朝4時15分に、わが家から15分のところ(五香六実)に住んでいる神谷学部長が、わたしの自宅(白井市)まで迎えに来てくれました。木下街道、船取線、京葉道路、首都高速、中央高速を乗り継いで4時間半。8時45分には、なんと!恵那峡のスケートセンター前に到着できました。奇跡です。
 夜中から明け方にかけて、二人が交替で神谷くんのトヨタ車を運転しました。結果、予定通り、わたしは10時、ハーフマラソンのスタートに間に合うことができました。病み上がりにつき、また、アップダウンの激しいコースでしたので、走破タイムは1時間56分。このところのハーフマラソンでは最悪のタイムでした。通常よりは15分悪い。しかし、汗をたくさんかいて、おいしい温泉に浸かれたのので、体も心もとても元気にはなりました。なお、このところの過労で、体重はとうとう理想の58キロに近づいています。今朝現在、59キロです。
 ところで、神谷学部長は、そのまま児玉主任の実家近くの葬儀場まで約1時間、車を走らせました。児玉さんに挨拶したあと、4時にはふたたびわたしをピックアップに、岐阜県の恵那まで舞い戻ってくれました。ありがとう。岡崎市内で、帰り道ではたいへんな渋滞にあったそうです。わたしも、スケートセンターのベンチで3時間、そのまま寝て待っていました。
 昨夜は疲れたので千葉までは帰らず、天竜峡の不動温泉にふたりで投宿しました。この温泉はお勧めです。やや値段が高めなこともありますが(一泊1万9千円:サービス料、税金含む)、お風呂が充実していてお部屋もきれいです。旧館だともっとお安いようです(一泊1万6千円)。囲炉裏でお餅と野菜と岩魚と山菜を焼いてくれます。おねさえさん(ケイコさん)との会話がおもしろいです。日本の秘湯を守る会に所属している温泉でした。スタンプ帳のハンコがまたひとつ増えました。
 神谷先生、往復1000キロの旅でしたね。帰りに寄った高遠城址公園の桜は、花吹雪のなかをドライブ。桜の散り際がみごとでしたね。年寄りとの運転、深夜に及ぶお酒のお付き合い、知らない引退老人(名古屋からの不動温泉に遊びに来ていたふたり)との高遠までの心温まるドライブ。とても楽しかった。ご苦労様でした。また、行きましょう!