以前に本HPで書いたように、1977年(昭和52年)の初秋に、ある偶然の出来事(IY藤岡店の商圏調査)がきっかけで、わたしはヤオコー(7号店、児玉店)の存在を知ることになった。
その後、「㈱ヤオコー」が積極的に首都圏で店舗展開をはじめる1990年ころまでに、これも偶然がいくつか重なって、法政大学小川ゼミの卒業生がふたり(塩原君と木村君)、同社に就社をする機会を得た。
以来、同社とお付き合いをいただいているが、そのことを踏まえて、ヤオコーの企業としての特徴をコメントしてくださいと、「チェーンストアエイジ編集部」から依頼された。わたしが考えるのに、同社の強みは、以下の4点にまとめることができる。(『チェーンストア・エイジ』2008年2月15日号)
1 程よい巡航速度の経営
埼玉県比企郡小川町(人口約3万4千人)からは、戦後日本を代表するふたつの小売業チェーンが生まれている。東証一部上場企業のヤオコー(現在、本社川越)とファッションセンターしまむら(同、大宮)である。いずれも、子会社として複数の小売業態(ヤオコー:YCC、フレッシュヤオコー、アポック;しまむら:アベイル、バースデイ、シャンブル、ディバロ、思夢楽)とたくさんの店舗を抱えているが、企業規模の割に両社とも一般にはやや地味な会社だと受けとられている。それは、取り扱っている商品ラインが生鮮・デリカを中心とした食料品と実用衣料だからである。もうひとつ別の理由を挙げるとすれば、それはどちらの企業も基本的に堅実経営だからである。
多くの小売業が急成長の時期と減速の期間を交互に繰り返しているのに対して、両社はこの20年間、ごく例外的な一時期を除くと、年間の売上高成長率が10%~12%でほぼ一定である。それ以上でも、それ以下でもない。ヤオコーについて言えば、1992年以降に出店した店で閉店した事例は皆無である。「10%巡航速度の経営」は、店舗開発の面でも人材の採用面でも、無理をしない心地よいスピードでの成長を可能にしている。「かつて年間で20%近くの成長をしかけたことがありましたが(2000年9店舗)、結果はおもわしくなかったですね。程よい成長率は10%前後でしょうか」(川野幸夫会長)
2 経営者が従業員を見守る姿勢
ヤオコーの実質的な創業経営者は、現社長・会長兄弟の実母である川野トモ名誉会長(2007月9月逝去)である。その遺伝子(母性)は、ふたりの兄弟経営者(幸夫会長、清己社長)に引き継がれている。「前職の競合スーパーとは対照的に、ヤオコーでは上司が部下に命令するのではなく、基本的にしごとを任せてくれますね。実際の成果達成に対する評価はきびしいですが、その分、余計なプレッシャーはかかりません」(同業他社から移籍してきたチーフバイヤー)
さまざまな商業誌や新聞のインタビューで、川野会長は自らの経営の特徴を「個店経営」と表現している。その背後にある経営思想は、「部下(バイヤーや店長)には細かいことは指示しない。その代わりに、仕事を任せるから自分の頭で考えて工夫せよ」である。
別の言葉でいえば、社員に全面的に権限を委譲し、任せて見守る経営である。そうしたトップの考え方やマネジメントの姿勢は、個別の店舗では、店長や部門長がパートの主婦らに仕事を任せて、自由にMDや日々の作業を組み立てさせる社風を生み出している。実は、埼玉県の地方都市でもっとも有能な人材は女性パート労働者であった。そのことと、ヤオコーの社風とがジャストフィットしたわけである。そうした事情は、しまむらでも同じであったと推測できる。
3 徹底した消費者志向
日本経済新聞の元記者で、神奈川県に住んでいる友人がいる。埼玉や茨城や千葉に遊びや仕事で出かけたときには必ず、ヤオコーに立ち寄ると言う。ヤオコーの店が一店舗もない神奈川の人間が、なぜヤオコーに行くのかをたずねてみた。答えは、「売場がおもしろい。食材がおいしい。食に関する情報があふれている。だから、買い物をしていても退屈しない」であった。彼は地方都市での単身赴任の時期が長かったので、買い物上手、料理が上手である。食品の値段も良く知っている。そうした主婦的な男性から見ると、「(ヤオコーの売場は、苦痛な買い物体験を売場のプレゼンテーションで軽減させてくれる工夫がよくなされている)(A氏)のである。
売場演出のアイデアの源は、女子のパート社員たち(社内用語では「パートナーさん」)である。開発商品や陳列は、彼女たちが消費者視点から発想したものである。きびしい主婦の目で鍛えられた着想であるから、ヤオコーの売場は、明るく、歩きやすく、立ち止まりやすく、女性にやさしく作られている。シズル感のあるデリカや生鮮品、あたかも優秀な業種店が集合したような賑わいのある市場(marketplace)が演出できるわけである。
MDや作業工程を改善するために、ヤオコーの女子従業員はしばしば、職場で自主的なミーティングを持っている。彼女たちの発議により、研修旅行や産地見学なども実施されている。単純なパート労働は、何の工夫も提案もなければ苦痛な時間労働になるが、ヤオコーではそれ自身が楽しいしごとと感じられている。
4 約束された成長シナリオ
経済動向や社会環境の変化で、当初思い描いた小売経営の基本戦略は大いに揺れ動くものである。20年前に描いた戦略計画の通りに、路線図や運行経路をまったく変更することなしに、企業というバスを走らせ続けることは実は至難の業である。
1987年に刊行された『ヤオコー30年のあゆみ』を見てみた。20年前に川野幸夫専務(現会長)が描いた成長シナリオは、どのように変容したのかをチェックするためである。しかし、幸夫専務の脚本どおりに、ほぼそのままの形で20年後のヤオコーの食品スーパーマーケット事業は、予定調和の軌道を描いて成長してきていた。株式公開、人事採用計画、店舗の基本コンセプト、商品開発の目論見など。基本的な事業コンセプトに関しては、当時のプランといまの現実にズレもブレもまったく見られない。予言が実現に変わる様を見た社員は、必然的に自らのリーダーに全幅の信頼を寄せることになる。ファミリー企業であることの弱み(起こりうる社員に対するモチベーション低下)は、成長の果実によって、創業家経営者に対する信頼に変わっていった。ヤオコーの究極の強みは、同族のリーダーたち(川野幸夫会長、川野清巳社長、犬竹一浩アポック社長)の「約束実現力」にあったと思われる。