第二回CSフォーラム(SPRING主催)は、事例が劇団四季である。司会を担当するので、先週は大井町の夏劇場で「美女と野獣」を観劇した。昨日は、松崎哲久氏が10年前に書いた、劇団四季と浅利慶太についての評伝、を読んだ。まじめに予習に取り組んでいる。
本書は、ほぼ10年前に書かれたものである。時を経て一部のデータは古くなっているが、いまでも劇団四季の社史(45年分)として、資料的な価値が高い本である。浅利慶太氏(以下、敬称略)が、劇団員出身の小澤泉社長(当時)に経営を譲り渡し、一度は舞台演出(総監督)に専念したときに執筆されている。
よくある話で、5年後(2008年)に、浅利は劇団四季の経営者として復帰する。著者の松崎哲久氏は、2003年の時点で、浪人の身であった。本書の執筆時には、劇団四季のミュージカル「異国の丘」の脚本を、浅利とふたりで書いている。ただし、そのことには、本書のなかでは一言も触れられていない。
やや探偵物語めいた詮索になるが、第5章「上演作品」には、四季オリジナルミュージカルのリストが掲載されている。一覧表の中に、「異国の丘」がある。表11(157頁)の説明では、「公演数2、上演回数169、上演・近演(01-02)、台本・作曲(浅利他・三木たかし)となっている。
浅利他の「他」が、ほかならぬ松崎氏ご本である。作家(脚本家)としてのペンネームは、湯川裕光。したがって、本書は、株式会社の「劇団四季」と、経営者としての「浅利慶太」を客観的に描いたように見せてはいるが、実態としては、インサイダー(共著者)が執筆した著作である。
内容を紹介する。資料としては、非常におもしろい。全体は、7つの章から構成されている。
第1章「ロングランかレパートリーか」
第2章「俳優」
第3章「全国展開と劇場」
第4章「経営&四季の会」
第5章「上演作品」
第6章「半世紀の歴史」
第7章「劇団の未来」
全体的に文章は乾いている。プロの作家が書いたとは思えない、ドライでやや深みに欠ける文体である。わたしには少し驚きであった。
第1章~第4章まで、劇団四季の興業的な特色が端的に示されている。
もっとも興味深いのは、最初のふたつの章である。四季の特徴を、松崎氏の説明にしたがって、さらに経営的にマーケティング視点から再解釈してみる。小川の主観である。
左翼思想を背景にした新劇(文学座、俳優座など)は、「生産者志向」(良い作品=社会性のある芸術)のニッチ市場戦略であった。それに対して、劇団四季だけが、第2次世界大戦後に、「消費者志向」でマスマーケティング戦略を採用していた。これは、顧客第一主義(リサーチの多用)とセットになっている。
商品(=作品)が売れないのでは、劇団員を食べさせることもできない。芸術と経営は、両立してはじめて意味を持つ。したがって、演劇を徹底的に経営的に成り立たさせるための条件を作り出すことに、浅利は腐心してきた。事業規模の拡大と収益性の確保である。
そのための手段として、製品ラインを拡張して、演目のレパートリーを広げる。英仏の翻訳劇(ジロドゥ作の「オンディーヌ」、アヌイ作の「ひばり」、シェイクスピアの「ハムレット」)を演じていた劇団は、主要上演作品を、しだいに翻訳ミュージカル(「キャッツ」「オペラ座の怪人」「ライオンキング」「美女と野獣」「コーラスライン」など)に移していく。
同時に6~9の班を編成して、興業の全国展開を推進する。宝塚少女歌劇団(花組、月組、雪組など)の興業路線を踏襲していく。四季の独自性は、市場拡大(チェーン展開)を、方小都市(人口1万人以上)での連続公演と、大中都市の常設劇場(仮設も含む)でのロングラン公演と組み合わせて実現したことである。
人口1万人の田舎町(観客数300~500人)で固定ファンづくりをしながら、商圏100~300万人規模の地方中核都市(仙台や静岡)では、長期公演(2~3か月のロングラン)を推進していく。東京や大阪の大都市常設劇場(当時は6箇所)の上演シェア(30%程度)は、意外なほど高くはない(詳しいデータは本書に紹介されている)。
そのための要件は、3つあった。
第一には、「市場浸透率」を3%以上にすること。つまり、300万人規模の商圏人口で(たとえば、東北地方のセンター仙台)ならば、3%の浸透率で9万人をミュージカルの鑑賞に来場させる。千席ある地方文化会館ならば、これで90日分(3か月)の興業が成り立つわけである(第1、3章)。
二番目には、顧客ベースを確保する手段として、四季の会(=友の会)を組織したこと。80年代までの地方公演は、15万人の「友の会」によって支えられていた。当時も、おそらくはいまも、四季全体のチケット売り上げの33%が、ヘビーリピーター(固定客)によるものである(第4章)。
3番目は、マルチキャスト制度である。複数演目で全国各地でロングラン公演をするとなると、商品(演目)と素材(役者や技術・営業スタッフ)を標準化する必要が生まれる。商品の標準化は、演出の手法としては、作品を機能的に作り込むことにつながる(サービスの組み立てラインの発想)。
そして、複数の役者が主役をこなせる「マルチキャスト制度」を必然とする。役者の役割を、取り換え可能な舞台の一要素としたである。したがって、有名俳優で集客する「スターシステム」は不要である。
個別性(人気スター)を極力排除しながら、競争原理的には、主役を張れる可能性を、機会としては劇団員のすべてに多く残しておく。あとは、演技者としての技術的な向上を、兼職禁止規定(専業化)によって確保しつつ、教育訓練とカウンセリングによって補完する(第2章)。
ちなみに、チケットは、労音のように安く販売していない。安い商品は、商品(舞台)の質を落とすか、あるいは同時に、従業員(役者)の生活や待遇を犠牲にしてしまう。浅利が絶対に避けたいと思っていたことだった。
この4つの章を読んだだけで、四季が実に特異な条件のもとで成功している劇団であることがわかる。これは、四季の組織を、ミクロな仕組みから見たものである。もうすこし、マクロの環境要素から、四季の成功を整理してみる(第6章参照)。
「経営理念」=地方に良質な演劇を広める、という高邁な思想は、浅利の人脈(政財界)を抜きにしては実現不可能だっただろう。
たとえば、ロングラン公演を行うベースとなる劇場として、地方の文化会館を自由に使えるようになったのは、宮城県知事の浅野史朗氏(当時)などとの人的な交流があったからである。日生劇場の公演(後援)や、のちの電通(海劇場)やJR(仮設劇場)とのつながりは、浅利の人脈に依っていると思われる。
「時代と寝る」という言葉がある。西欧文明に限らず、東洋においても、芸術・文化は、時の政治権力者や政商の庇護がなければ、成り立ちえないという側面がある。もちろんは、後ろ盾(パトロン)は、必要条件であって(なければ困るが)、十分条件ではない(それだけでは成功の条件にはならない)。
本書では極力、政治的な文脈から切り離して、劇団四季の成功を論じようとしている。しかしながら、経営者・浅利慶太の政治力と財界やメディアとの深いつながりを抜きにして、四季の現在は論じられないだろう。
したがって、大衆受けするミュージカルを継続的に提供できるとしても、ベンチャー企業にありがちな組織の未来は不透明である。ベンチャー企業から創業者が去ったあと、後継者が事業と組織の活力を維持できている企業は稀である。だからこそ、浅利は経営の表舞台に戻ってきたのであろう。
最後に、同時代に生きた、昭和の怪物たち(藤田田、中内功、渥美俊一)と浅利(劇団四季創設者)の共通点を指摘しておきたい。
藤田(日本マクドナルド創業者)も中内(ダイエー創業者)も渥美(ペガサスクラブ創設者)も、戦後の焼け跡から立ち上がった経済人である。彼らの模範は、米国式の経営と欧米の生活文化であった。貧しい日本を、米国に近づけるために努力をしてきた。
基本戦略は、米国(欧州)で成功している経営方式(文化)の素早いコピーであった。そして、場合によっては、日本の土壌で基本モデルをさらに洗練させた。経営技術と生活文化の標準的で効率的な移転がポイントだった。
それに加えて、4人に共通している世界観・価値観があった。消費者と従業員に対する見方である。消費者は、「マス」であった。良い商品・サービスや文化的な前提は、ひとつである。米国人(欧州人=英独仏伊)が楽しんでいる「今」の生活である。
人々=従業員は貧しかった。流通・サービス・文化産業の生産性を上げ、経営効率を高めて収益性を確保する。その恩恵によって、従業員に豊かさを配分する。それこそが善行であった。彼らには、その点に関しては迷いがなかったと思う。
幸いなことに、当時は、成長の機会もふんだんにあった。しかし、もはやいまの日本に倣うべきモデルはない。オリジナル作品を創作して世界に通用する名作に育てなければ、四季にとっての長期的な成長と国際社会からの評価は高まらない。問題は、コンテンツ(浅利の言う「本」)なのだろう。
ただし、浅利の後継者が、実績のある海外ミュージカルを上手にコピー(=導入)を続けることができれば、当面、劇団四季の運営は安泰だろう。経営システムの完成度は高いのだから。リストにもあるように、四季は輸入ミュージカルの上演で稼いでいる。
現状では、顧客ベースは強固である。JCSIの調査から明らかなように、顧客満足度も他の組織を圧倒している。その点に関しては、浅利後の数年は、経営的に不安はないだろう。
「浅利無きあとの四季は、まるでジョブズ無きあとのアップルのようなものだな」と思ってしまった。
<書評の後記>
蛇足をひとつ。本書を読み終わった後、著者のことが気になったので、ネットで検索をかけてみた。なんと、松崎哲久氏は、大学の同期(70年入学)で、少なくとも駒場キャンパスでは、一緒に学食で飯を食っていた可能性がある。しかも、現在、松崎氏は、”大好きな”民主党選出の国会議員(衆議院議員)である。さらに、わたしが昨年出版した「しまむらとヤオコー」の発祥の町、小川町の選挙区から議員に選出されていた。なんとも偶然である。ただし、ネット上の書き込みを見る限り、議員としての評判は芳しくないようにも見える。事実かどうかはわからないが、そんな風に感じた次第である。間違っていたら、お許しをいただきたい。政治の世界では、反対勢力からの妨害や妬みなどもあるだろうから。