旅の途中に、朝顔の苗をお土産でいただきました。先月末、元学生たちと埼玉県寄居町の鮎の宿「京亭」に宿泊した帰りです。明治時代に入谷の朝顔市で流行した「団十郎」という朝顔の品種でした。とてもデリケートな朝顔で、自宅に持ち帰ってもなかなか咲かなかったのでした。
「明治の柿茶色がいま蘇る:団十郎朝顔のこと」『北羽新報』2021年8月27日号
(連載:その61)
7月末に、仲良しの元ゼミ生3人と、一泊二日で北関東へ小さな旅を敢行しました。埼玉県寄居町にある鮎の宿「京亭」に宿泊して、鮎会席を楽しむためです。京亭は、『鬼平犯科帳』の作家・池波正太郎の定宿として知られています。
一日2組しか泊り客を取らない人気の宿です。しかし、旅を企画してくれた木村君が寄居町に住んでいる縁で、宿泊の半年前にかろうじて宿の予約ができました。当日は、若者に人気のパワースポット、秩父の宝登山神社を訪ねました。長瀞から寄居駅までは、懐かしのSLに乗車できました。夕方からは、立派な広間で鮎料理のフルコースを堪能しました。
一泊して東京に戻るわたしたちに、木村君が朝顔の苗を手渡してくれました。お土産のつもりだったのでしょう。今年から地元で始まった「寄居町の朝顔市」で、前日に購入した朝顔、団十郎の苗でした。「先生、めずらしい朝顔があります。もって帰ります?」と木村君が聞いてきていました。なるほど、団十郎朝顔のことだったのかと納得しました。
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団十郎(朝顔)は、耳慣れない品種名だと思います。この朝顔は、子供たちが夏休みの宿題で観察する青や紫、水色の朝顔とはすこしちがうのです。丸咲きの朝顔で柿茶色なのです。
団十郎は、明治初期に入谷の植木職人・成田屋留次郎が、屋号の「成田屋」として販売していた品種です。当代人気の歌舞伎役者・九代目市川團十郎の三升の紋が柿色だったことから、いつしか「成田屋」が「団十郎」と呼ばれるようになりました(ウイキペディアより)。
ちなみに、東京オリンピックの開会式で、市川海老蔵が歌舞伎十八番の「暫」を演じていました。海老蔵が舞台で纏っていた装束が、濃い柿色だったことにお気づきでしょうか? 一世を風靡した団十郎ですが、九代目団十郎の死(明治36)とともに廃れていきます。
そこから100年の月日が流れていきます。団十郎の復活は、2010年代になります。生き延びた種子を増殖して、平成22年に入谷朝顔市で試験販売したのが復活の最初だったようです。その後、少しずつ人気が出ていきますが、いまでも家庭で育てる品種として、団十郎朝顔が大々的に普及している様子はありません。
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さて、朝顔の苗を自宅に持ち帰ったのが7月25日でした。ところが、なかなか花が咲きません。今年の夏は長雨が続きました。そうかと思えば、35℃を超す暑い日が連続しました。一方、わが家の玄関では、ふつうの朝顔(青系)はどんどん花を咲かせていました。
そうなのです。団十郎は、繊細で育てるのがむずかしいのです。この一週間は、水まきやら蔓の手入れやら、それまでよりも丁寧に団十郎の世話をしてあげました。するとどうでしょう。今朝方(8月22日)に突如、一輪だけ大きな柿茶色の花を咲かせました。
うれしかったので、友人たちに団十郎の画像を送信しました。いつもより素早くたくさんの返事をいただきました。彼らは、シックな色や丸い大きな花弁について、思い思いの印象を送り返してくれています。
「シックで繊細な団十郎は、大人が育てる朝顔です」「青系の朝顔にはない、楚々とした上品さがありますね」など。令和の時代に、明治の庶民たちの間で起こった、柿茶色の朝顔ブームが密かに再燃しそうです。