駆け込み寺の門をたたく

 ありとあらゆる人から、アドバイスを求められるようになった。「緊急事態宣言」で携帯に電話してくる相手は、学部の卒業生だったり、元院生だったりする。最近になって増えているのは、企業経営者やミドルマネジャーに昇格した元院生からの相談である。中には、仕事で知己を得た友人からの相談もある。仕事への助言から、最後は人や会社を紹介することになる。40年間で構築してきた人脈が役に立っているが、それは昔お世話になった先達への社会的な返礼でもある。

 

 駆け込み寺の門をたたくとき、一番に多い相談事は、転職といまの仕事に関する助言である。本業が大学の先生だから、相談がしやすいのだろう。それは、わたしたち大学教員の社会的な使命のひとつでもある。彼らとは利害関係で結びついているわけではない。秘密を漏らす心配もない。信頼はされてはいるようだ。

 相談相手が置かれている状況は、つぎの2種類である。熟考した上ですでに答えを持っていて、わたしのところには単に確認をしにやってくる場合。このケースは対応が簡単である。「それでいいんですよ。〇〇君」が答えになる。世の中のことでは、本当は正解などないのだが、とりあえずはこっこり笑って安心して帰っていく。

 うまくいっても、たとえ首尾が上々といういうわけでなくとも、結果的にはそれほど惨めなことにはならない。つまるところ、自

分で決めたことことだからだ。失敗しても割り切りが早くできる。そもそも、私のところに来るのは、何か不安になった子供が母親のところにきて、体にタッチして離れていくのと同じだ。

 こどもの学生たちに対して、わたしは母親の役目を担っているわけだ。

  

 困るのは、その逆の場合である。まったく見通しを持たずに、「徒手空拳」で相談にやってくる場合である。

 このときは、まずは彼や彼女が置かれている状況を整理することから始める。自分が置かれている立場が整理整頓できれば、行動にとりかかるまでそれほど時間はかからない。ほとんどの場合、あるレベル以上のIQとEQを彼らは持ち合わせている。当面の問題は、彼ら/彼女らが心理的に混乱の真っただ中にいるだけなのである。

 特別に状況が切迫していて、ご自分の事態に絶望している場合でも、まずは精神的な安定を取り戻すことが先である。簡単に言えば、「自己肯定的な認知状況」(自分の正しさ、選択の正当性)を確信させることである。それだけを考えて、アドバイスを始める。後者の場合で絶対にやってはならないのは、相談相手に否定的な言葉を返すことである。

 このとき、わたしの立場はといえば、「二番目のあなた」になりきることである。彼女たちは、問題の切迫に伴う孤立感に悩んでいるのである。あなたが二人になれば、問題の半分(=孤独感)は解消したも同然である。いつもわたしが傍にいてあげるわけだから、それが確信できれば孤立感から解放される準備ができていることになる。その先に、さらに一歩を踏み出すことはそれほど難しいことではない。

 

 「自己肯定感」(self-efficacy)を持てずに苦しんでいるのは、必ずしに市井のひとたちだけとは限らない。世間的に成功したと思われている経営者やその道のプロでも、同じ陥穽に落ち込んでいることが少なくないからだ。日々、そうした経営者や専門家も自らの孤独と対峙している。わたしはその様子をじっと見ている。

 数年前に、のちに休刊になった『新潮45』(新潮社の月刊誌)に、「「社長の履歴」大研究」という記事論文を書かせていただいた。その中で紹介したのが、「経営者のエコシステム」という概念だった。たとえば、稲盛和夫氏(京セラの創業者)の「盛和塾」や渥美俊一氏(日本リテイリングセンター・チーフコンサルタント)の「ペガサスクラブ」である。

 どちらも、創業経営者の「とまり木」の役割を果たしている。悩める経営者に対して、成功への技術的な道筋と安心感を提供してきた。しかし、二つの団体は、いま社会的な役割を終えようとしている。渥美氏はすでになく、Jalを再生させた稲盛氏ではあるが齢90歳を超えている。

 

 少し話が散らかってしまった。わたしも、いまのように助言を与える立場ではなく、アドバイスをいただく立場にいたこともある。わたしのメンターたちの何人かは、すでにこの世にはいない。埼玉短期大学の故秋谷重男先生、大阪大学教授の故大澤豊先生。ご存命の方のひとりは、法政大学教養部(のちに経営学部、数学者)の日向茂先生。

 日向先生には、学部長時代に人事で大失態を演じた時に、落ち込んでいるわたしにエールをいただいた。「小川君、世の中、いろいろあるからね。艱難辛苦、汝を玉となす」ですよ。つぎもあるんだから、これを糧にここは耐えなさいね。この一言がなければ、単なる敗戦投手で終わっていた。

 総じて言えるのは、わたしの致命的な欠点は棚上げてくださり、仕事の仕方や能力を肯定的にとらえてくださった。当面の失敗や高慢な態度を、決して頭ごなしに叱ることがなかった。大澤先生などは、わたしのために、おそらくは知らないところで尻ぬぐいをたくさんしてくださっていたのだと思う。好き勝手にさせてもらえたので、わたしのいまがある。

 わたしの運営する駆け込み寺は、だから、三人の先生への社会的な恩返しでもある。