(その58)「おもちゃ屋は過去を振り返らない」『北羽新報』2021年5月29日号

 本日、地元新聞にコラムが掲載されます。テーマは、数日前にインスタグラムにアップした「プラレール」の話です。クラシック子供玩具、プラレールやトミカの本社「タカラトミー」は、隣駅の京成立石の北口にあります。近くが葛飾区役所です。自転車でいつもホ社の前を通っています。

 

「おもちゃ屋は過去を振り返らない」
『北羽新報』2021年5月29日号(連載:58回)

 

 東京都葛飾区には、ユニークな会社が本社を構えています。男の子ならば子供のころ、鉄道玩具の「プラレール」やミニチュアカーの「トミカ」で遊んだことがあるはずです。プラレール(1961年発売)とトミカ(1970年)をヒットさせたのが「(株)トミー」(現「(株)タカラトミー」)の創業者、富山栄市郎氏でした。
 タカラトミーの本社は、いまでも葛飾区役所がある京成立石駅の北口にあります。23年前(1998年5月13日)に、合併前のトミーの旧本社を雑誌のインタビューで訪ねたことがあります。月刊誌『ブレーン』の連載記事は、翌年(1999年1月)、『当世ブランド物語』(誠文堂新光社)のタイトルで刊行されました。
 わたしは昔の仕事を振り返ることは稀なのですが、20年ぶりで、「鉄道玩具のロングセラーブランド、トミーの“プラレール”」という章を読み返してみてとてもおもしろく感じました。記述が少しも古びていないのです。今回はその触りの部分を紹介してみたいと思います。

  

 流行の移り変わりが激しいおもちゃ業界には、「おもちゃ屋は過去を振り返らない」という格言があります。どんどん売れ筋が変わっていくのが玩具業界の常だからです。しかし、プラレールだけは例外です。ロングセラーブランドとして、いまでも長く売れ続けています。プラレールに格言があてはまらない理由は、発売から60年を経過しても、レールの規格と連結の仕組みがまったく変わっていないことによるものです。
 次男(36歳)が25年前に遊んでいたレールを連結すれば、わが孫や従兄たち(6歳)が新規に購入した京浜急行線や阪急電車の新型車両を走らせることができます。それは、プラレールの直線レールのサイズ(216mm)と形状がいまも同じだからです。
 新旧のレールも難なくつなぎ合わせることができます。しかし、よくよく観察してみると、新しいレールは昔のものと材質がちがいます。ポリエチレンからポリプロピレンに変わって、変形による曲がりが小さくなっていたのでした。また、新しいレールの走行面には細かな筋が入って、車輪が滑らないように改善がなされました。日本の製造業の面目躍如です。

 

 次男がプラレールで遊ぶ「電車派」だったのに対して、長男(39歳)はトミカが好きな「クルマ派」でした。生まれてすぐに長男は米国留学に同行してカリフォルニアに2年間住んでいました。自動車社会の米国では、移動手段が自動車になります。クルマ派になったのは、自動車が身近な存在だったからだと思われます。
 知り合いのおばさんが、そのころトミーのおもちゃ工場に勤めていました。3歳で米国から帰国したばかりの長男のところに、縁日でお店が開けるくらい大量の「まっすぐに走らないトミカ」を届けてくれました。最終チェックでパスしなかった不良品だったのでしょう。厳格な品質検査ではじかれたトミカでも、子供は充分に楽しく遊んでいました。
 ところが、ある日突然、お釈迦になったトミカの配給が途絶えてしまいます。トミーの広報部からいただいた資料によると、「1986年にトミー本社のあった二つの工場が閉鎖された」とありました。トミーが国内生産をやめて、アジアに工場を移転した時期と重なります。それは、長男のおもちゃ箱のストックが増えなくなった時期でもありました。