せめてもの学生サービス: ゼミ生の読書感想文の添削

 今月は、二冊の本の読書感想文をゼミ生に課している。山根京子著『わさびの日本史』(文一総合出版)と森岡毅著『苦しかったときの話をしようか』(ダイヤモンド社)。ゼミ生は、どちらかを選択する。このやり方は、従来はなかった珍しい方式だ。そういえば、夏休みに感想文を一回だけ提出してもらっている。しばらくご無沙汰だった。

 

 昨年度までは、隔月で読書感想文を提出してもらっていた。人数分、26枚の添削は結構大変だ。それでも、何度も真っ赤に直されてコメントが付いた感想文を見て、若者たちは学習していく。ものすごく伸びていくのだ。

 一年もすれば、学生は立派な文章が書けるようになる。大方が「A+」(シール一枚)、3分の一くらいが「A++」(シール二枚)をもらえるようになる。

 文章の構成がよくなり、文体が見違えるように変わっていく。指導教員しては、そのプロセスを見るのがとても楽しい。

 

 ところが、今年の2月からは、ゼミの指導を取り巻く学校の環境が劇的に変わってしまった。標準的な授業プログラムが実施できない状況が生まれたからだった。テキストの輪読も、グループワークもオンラインになってしまった。とにかく学生とわたしの間に距離が生まれてしまった。

 この状況を打破するため、コロナがいったん収束しそうになったタイミングで、一部対面授業を取り入れてみた。6月ごろのことである。ところが、感染が拡大しているため、そのような丁寧な授業形態は、停滞をせざるを得なくなっていた。それでも、フィールドワークの中間発表会は、11月中旬に実施することができた。

 だが、読書感想文の方の提出は、延び延びになっていた。夏休みの段階で課題図書は決まっていたのだが、生徒たちと教室で会うことができなかったからである。先日、ようやく学生から24通の感想文を受け取ることができた。

  

 読書感想文の採点がいいのは、学生のふだんの生活ぶりを知ることができることだ。感想文の中に、学生自身のアルバイト経験や中高時代の部活のことが引用されていることが多い。その子の気持ちの揺れや性格を、感想文からうかがい知ることができる。

 大学の教師になって45年になる。読書感想文の提出を義務付けるようになってからは、学生たちとの距離が近くなった気がする。もちろん、ライティングのテクニックが向上したり、論理的に物事を説明できる能力が高まっているのを見るのもうれしい。わたしが教員を職業として選択したのは、まったく正解だったと心から思っている。そんなことがあるからだ。

 とはいえば、24~26人分(A4で二枚)の感想文を読んで、全員にコメントを返すことは大変な作業である。ほぼ3~4時間の作業になる。目が痛くなって肩がこるのだ。学生たちはきっと、「先生の添削の字、汚くって読めないわ」と言っているにちがいない。

  

 でも、わたしが隔月のペースで、長い時間をあなたたちの成長のために費やしていることを考えてほしい。ひたすら、学生への愛情と仕事への責任感がないとできない苦行である。いままでも、そしてこれからもだろうが、学生とのコミュニケーションでわたし自身が報われていた面もある。

 だから、こうしていまも机に向かっている。あなたたちの感想文に、モンブランの万年筆で修正の黒字を入れている。それは、わたしにとっては、心が落ち着く瞬間でもある。なぜなら、たくさんの生徒がいるので、教室ではなかなか一人一人と話ができないからだ。

 しかし、感想文を読んでいるときは、一人一人の顔を思い出すことができる。つまり、文章の行間を読むことで、学生と対で向き合うことができるのだ。よくできた子(学生)には、お褒めのコメントを書いてあげる。出来がいまいちの子(学生)には、激励と励ましと厳しい指摘を。愛の鞭だ。

 とりわけ、出来があまり良くなかった学生が楽しみなる。次回の感想文は、たいてい大幅に改善されるからだ。「若いっていいな」と思う。可能性があるからだ。久しぶりになるが、今回も添削が楽しみである。