29歳でタバコをやめた。そのときは、3才になったばかりの長女に、「ちちー、(タバコが)くさい!」と言われた。その一言が決め手だった。その日から、一度もタバコを吸うことはなかった。本人はやめたくとも、禁煙ができないでいる大人はいまでも多い。自分はラッキーだった。
もともとタバコが体に合っていなかったからなのだろう。まったく苦しむことなく、一日でスパッとタバコをやめることができた。だから、生涯に10回くらい「禁煙の誓い」を破っている人の気持ちがわからない。
実は、禁煙と同時にコーヒーのヘビーユーザーに転じた。タバコを止めることができたのは、刺激物の代替品(コーヒー)を見つけたからだと思っている。禁煙できない人には、わたしの場合のコーヒーに対応する「何かを代わりになる刺激物を探してみたら?」とアドバイスしている。
それでも、ほとんどの人は、タバコから逃れることができないでいるようだ。男性より女性の方に、喫煙のわなから逃げだせないでいる人がたくさんいるように思う。「ビタミンCが破壊されるから、お肌に悪いのに」と言っても、「余計なお世話よ」と切り返されそうだ。
ところが、お酒に関しては、勝手が違った。いまだに断酒ができないでいる。禁煙とは明らかに状況が違っている。
若いころは仕事人間だったから、夜も真面目に仕事をしていた。だから、付き合いで酒を飲むことはあっても、自宅でお酒を飲むことはめずらしかった。だから、週に2~3回ほども飲めば、アルコールは十分に足りていた。そのはずだった。
父親が「アル中(気味)」だったという事実も、わたしをお酒からと遠ざけていた一因ではあった。わたしの父は、ほぼ毎晩飲んでいた。働き盛りの40代に、父は午前中はほとんど毎日、二日酔いだったように記憶している。
朝方になって寝床から起きあがってくるときも、なんとなくぼーっとしていることが多かった。銀行や取引先の接待で日々、夜の宴会が続いていたからだろう。今になってみると、父親に同情することも多い。
そんな幼児体験があるので、自分だけは、アル中にならないように気を付けていた。しかし、父親と同じ傾向が50代前半から出てきた。父もそうだったのだろう。付き合い酒が増えてきて、飲酒が常態になってしまった。49歳で経営学部長に就任してからは、その傾向が強くなった。学部長の仕事と並行して宴席が増え、酒席が毎日のように続いた。
役職が終わっても、結局は元に戻らなかった。そのうちに、だんだんと体がアルコールに慣れていったようだ。この症状を世間では「アルコール中毒」と呼ぶようだ。
一昨日、豊橋に取材に行った。「(株)物語コーポレーション」(外食、東証一部上場)の創業者で、取締役特別顧問の小林佳雄さんのインタビューするためである。店舗視察とインタビューが終わってから、小林さんが若いころに板前をしていた高級居酒屋の「げん屋」で酒席になった。
そのときのことである。小林さんが、「年齢を経てから酒が強くなった」と話された。わたしも、「わたしもそうなのです」と答えてから、再度「それで、小林さんは何歳くらいからですか?」と尋ねてみた。ちょうど50歳くらいから、「アルコール強者」になったとのこと。なんと、わたしと同じではないか。
小林さんが50歳になったころ(2000年)から、「焼き肉きんぐ」で有名な物語コーポレーションは、急成長を始めている。つまり、社長として個人的にも急に忙しくなった時なのだった。もろもろの理由から酒席が増えて、きっとわたし同様に、「アルコール適性」が顕在化したのだろう。
愉快なお酒である。いまはそれほどお飲みにならないように見えるが、若いころ(40~60歳)は沈没することもあったのだろうと推測できる。そんな飲みっぷりではあった。
ところで、ブログのタイトルは、「酔っ払い授業」となっている。つまり、50代でアル中の症状が出てから、わたしが酔っ払った状態で授業をやっていたかどうかである。答えは、「原則として、酔っ払ったまま、授業をやったことはない」である。息子は、JR東海の新幹線の運転手である。彼も、会社の規則なのだろうが、乗務の前日はアルコールを絶対に口にしない。
ところが、すでに時効になるから言ってしまう。わたしの同僚の大先輩(元教授)は、大教室の授業をやる前に研究室でアルコール(ウイスキー)をひっかけていた。そして、ほろ酔いの加減で教室に出撃して行った。お酒が好きで、実際にもわたしなどより酒が強かった。だから、景気づけに飲んでいっただろうと、いまでは思っている。
しかし、この先生は偉かった。あるときに、運転免許を返上してしまったからである。つまりアルコールが好きなので、飲酒運転で捕まりたくなきと思ったにちがいない。いまになってみると、その潔さに感服である。
結局のところ、人間の価値を決めるのは「潔さ」だと思う。禁煙も禁酒も、そして運転免許の返上も、すべて潔さの証である。潔さと継続力(=しつこさ)が、遠い目標を達成できるかどうかの分かれ目になるのだろう。
話がすこしだけ飛んでしまう。小林さんがいまの地位(事業の成功)を築くことができたのは、50才を過ぎてからの大躍進のように見える。しかし、その根は、若いころのアメリカ放浪体験と、中高生のときの志の高さ(商売の勉強)にある。実際に、子供のころに「商業界」の雑誌を読んでいた!
小林さんの場合は、準備期間が長かっただけなのだろう。50才を超えて、商売の花が開いたのは、潔さと継続する力があったからである。そして、己を律する原則や規則を守ることに対して、人一倍厳格に悩んだからだろう。わたしは、最後のところが欠けている。だから、悪しきアルコールの習慣から逃れられないでいる。