【依頼原稿】「小売業のダイナミック・プライシング(仮)」『販促会議』(2019年12月号)

 普段はほとんどコンタクトがない雑誌。(販促会議)から原稿を依頼された。「店舗の課題を解決する『効率化』」を12月号で特集するらしい。書籍で「ダイナミック・プライシング」を取り上げた記事(USJ)が編集会議で注目されたらしい。「時間がないから」という理由で断らずに、一週間で原稿を仕上げた。

   

「小売業のダイナミック・プライシング(仮)」『販促会議』(2019年12月号)
 文・小川孔輔(法政大学経営大学院・教授)
 1 カリフォルニアのAmazon 4-Starにて:技術環境の変化
 先月(10月)の3日(現地時間)、2018年の導入から一年半が経過した無人コンビニ「Amazon Go」と、一年前の9月にニューヨークから出店が始まった実験店舗「Amazon 4-Star」を視察した。訪問した店舗は、サンフランシスコ郊外のバークレー市にある真新しい店だった。商品が実に整然と陳列されていて、店内も清潔に維持されていた。
 “4-Star”には、ECの評価で「★4点」以上を獲得したベストセラー商品だけが並んでいる。Amazon Goと同様に、天井をみるとたくさんの監視カメラが設置されているのがわかる。筆者は料理本とビジネス本を1冊ずつ購入したが、案内役の現地スタッフにカードで支払うことをお願いした。
 というのも、書籍や家電製品、おもちゃなどの商品棚には「デジタル値札」(電子棚札)がついていて、通常価格とプライム会員向け割引価格の両方が表示されていたからである。現地スタッフはプライム会員なので、わたしが購入した書籍は20%引きになる。プロモーション用の特別陳列の棚では、プレミアム会員向けに半額にディスカウントされている商品も見つけた。彼女の説明によると、これは最近になって登録メンバーが1億人を超えたプライム会員をさらに増やすための施策らしい。
 デジタル値札を用いている理由は明らかである。デジタル表示の値札を採用することで、時間によって価格を自由自在に変更できるからである。ECの価格と連動させることもできるし、店内の混雑状況やプロモーション活動に合わせて、売価を変更することもできる。データ分析の結果を、価格設定に反映させることも可能である。たとえば、店内の回遊性を高めるための実験(監視カメラはそのための装置)で、価格を自由自在にコントロールできる。
 デジタル値札の導入に象徴的にみられるように、近年になってダイナミック・プライシングを採用する小売業やサービス業が増えてきている。これは、デジタル技術の発展とデータ・サイエンスの分析手法の高度化(AIやビッグデータの解析)によるものである。とはいえ、時間によって価格を変えるマーケティング実務は、なにも今にはじまったことではない。
  
2 ダイナミック・プライシングの理論的基礎
 曜日や時間帯、季節によって価格を変える「ダイナミック・プライシング」(変動価格制)は、経済学の「差別価格の理論」が根拠になっている。顧客ターゲットごとに、あるいは利用時間帯別に提供する値段を変えたほうが、企業にとってより利益が大きくなるからである。
 たとえば、時間に余裕がある若者や年寄り向けに、映画館は観賞料金を半額程度に割り引いている。これは、値引きの対象となる消費者の価格弾力性(価格感度)が、時間的に余裕のないビジネスマンより大きいからである。若者や年寄りは、値段が安くなる曜日や時間帯に自分の利用時間を合わせることできる。ところが、ビジネスマンは時間を選べる自由度が小さいから、高い価格を支払わされることになる。
 ただし、相手によって価格を変えることができるのは、たとえば、学割などの証明書や見た目(男女の違い)で、相手の属性を特定できるからである。その最先端の事例が、アマゾンなどのEC(電子取引)である。ECが普及する前から、通信販売専門業者やカード会社のカタログ販売では、購入者の属性と購入履歴を用いてターゲットごとに推奨商品(カタログや折り込みチラシ)を変えていた。
 しかし、プロモーション価格までコントロールできるようになったのは、アマゾンや楽天などが登場してからである。ECでは個人が特定できるからである。極端なケースが、ひとりひとりに提示する価格を時間の経過とともに変えてしまう「マイクロ・プライシング」である。常識的に考えてもわかるだろう。変動費(原価)は同じなのだから、一人一人に別々の価格を付けたほうが最終的な利益は大きくなる。
 
3 消費者側のメリットとデメリット
 エアラインや旅行業界などのサービス業では、「イールド・コントロール」と呼ばれる価格変動技術がもっと進んでいる。サービスは在庫ができないので、座席や部屋を空にすると収益がゼロになってしまう。したがって、収益が最大になるよう、座席や客室の販売価格を小刻みに切り替えていく。ただし、それとは逆の事情で価格を上昇させる場合もある。
 収容能力に限界があるテーマパークでは、極端な混雑は顧客満足(CS)を低下させる原因になる。今年の冬から、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)が、季節ごと曜日別に異なる価格を設定するようになった。混雑度の緩和と収益力の向上を同時に達成するためである。TDR(東京ディズニーリゾート)も変動価格制の導入を検討しているといわれているが、ネックになっているのは、顧客のブランド・ロイヤリティへのマイナスの影響である。
 顧客の立場にたてば、変動する価格の提示は、適切な価格とサービス時間を自由に選べるメリットがある。しかし、頻繁に価格を上下させる企業の行動は、消費者からは“略奪的”に映るかもしれない。近年、インバウンド需要の高まりや賃金の上昇もあって宿泊料金が上昇しているが、企業によっては価格を変えないホテルもある。それは、長期的な顧客のロイヤリティに報いるためである。特定のブランドを長く利用してくれる顧客は、普段と変わらない「安心価格」に忠誠心を感じるだろう。それとは逆に、同じサービスに対して、その都度の支払価格(対価)が異なると、心理的な忠誠心は低下してしまう。
 
4 企業側の運営上のデメリット
 商品やサービスに対する探索コストが高くなることも変動価格制の負の側面である。頻繁に変わり続ける価格情報をネットでチェックしなければならないからである。かつてウォルマートが提唱し、日本でも大手チェーン小売業(ニトリやカインズ)が実務的に継承しているEDLP(EveryDay Low-Price)は、消費者のリピート購買と探索コストの削減に寄与している。
 ダイナミック・プライシングの導入については、小刻みな価格変更による収益向上のメリットに目が行きがちだが、店舗オペレーション面ではマイナスの影響もある。ウォルマートは顧客の店舗ロイヤルティを高める手法としてEDLPを導入したが、店舗業務を簡素化するというメリットもあった。オペレーションをシンプルにすることでコスト削減ができた分を、商品価格の低下に反映させる。「毎日が同じ低価格」は、消費者への負担還元によって、再来店頻度を上がる施策でもあった。
 頻繁な価格変更は、店舗運営や値付けの作業を煩雑にする。在庫管理や補充作業が増えて、人員の時間配置が複雑になる。また、頻繁に価格を変えることは、需要の変動を予測することを困難にする。コンビニが値引きをしないことに拘ってきたのは、定価販売が発注精度を高めることにプラスに作用してきたからである。定価販売には明らかなメリットもある。
 
5 ダイナミック・プライシングの未来
 最後に、将来を展望してみよう。日本の小売業では、ダイナミック・プライシングの導入事例が少ないと言われている。保守的な姿勢は、技術的な遅れから来ていると指摘する論者もいるが、筆者はこの指摘には疑問符が付くように思う。
 変動価格制の導入促進のためには、Amazonの実験店の事例で示したように、電子値札や需要予測の技術的な積み重ねが必要である。ところが、近年のコンビニにおける無人店舗の実証実験に見られるように、ハード面で日本が特段に後れをとっているわけではないことがわかる。課題は、ソフトの先端的なテクノロジーの採用に関する挑戦の姿勢にある。導入メリットが必ずしも明確でない実験に対して、多大な時間とコストをかけることを許さない企業風土を打ち破らないと、画期的なイノベーションは起こらない。
 二番目に指摘したいのは、変動価格制の応用分野についてである。世間が注目しているのは、家電量販店や旅行・エンターテインメントなどのサービス分野である。しかし、個人的に挑戦してほしい分野は、社会的な問題解決の領域である。経時的に商品劣化が進む生鮮品や総菜・日配品は、適切に価格を変動させることで廃棄損を削減できる。商品の半分が廃棄に回されている衣料品の分野も有望な応用分野のひとつである。RFIDタグの技術はすでに完成しており、タグの単価も5円に切り始めている。
 三番目に、値引きの手段についてコメントして本稿を終えたい。消費税が10%に増税されたと同時にキャッシュレス決済が普及し始めている。デジタル通貨を活用する電子決済は、実質的な値引きに相当するポイント還元と親和性が高い。変動価格制は、電子決済をポイント還元に連動させることで普及が加速すると思われる。オペレーションの簡素化にも結びつくからである。