チャーターした観光バスは、花博会場に行く前に、天安門広場に寄ってくれた。ただし、12人のツアー参加者はどなたも、バスを降りて天安門広場を歩こうとしなかった。ガイドさんは苦笑していた。朝7時から毛沢東の墓参をする中国人の長い行列を見たら、普通の日本人はバスの中から天安門を見るだけで満足してしまうだろう。
花博の会場は、我々が宿泊しているニューオータニがある北京中心部から、バスで2時間ほどのところにあるらしい。日曜日で道路が空いているらしいが、私たちの感覚からは結構、道路は混雑していた。
共産党の社会は都市計画が簡単だ。北京の中心部から市民を郊外に追い出す計画が進んでいる。交通渋滞を緩和して、世界有数の観光都市に北京を変貌させるためだ。羨ましい。
共産主義では、土地は庶民のものではない。共有だから、簡単に使用の権利を剥奪できる。財産権は、建前の上ではないことになっている。権力者は別だが、そういう点では韓国の社会は、超民主国家かもしれない。前大統領や財閥の長が簡単に首を切られる。
さて、午後の花博会場の視察について、感想を残しておく。北京郊外2時間のところで花博は開かれていた。市内の観光地と比べれば、観光客の数はまばらだ。会場が広大なので、その分、面積あたりで人間が少なく見えるだけだろう。
昨日の故宮博物園の入場者が、一日8万人。東京ディズニーリゾートが入場制限かけるギリギリの人数。TDRは年間の来園者が三千万人強だから、故宮の混雑は、ディズニー並みということになる。
花博の来場者は、推測だがその半分にも満たないだろう。日曜日でも三万人規模。
中国館と日本館と国際館を、約4時間を使って見学した。お昼の一時間と入場門から会場まで歩く時間を入れてあるから、実質は2時間半にも満たないくらい。
中国館の中は、各省別に展示ブースが組織されていた。福建省、山西省、広東省.雲南省など。本来展示すべき省の花はほとんどなく、ランとアンスリウムばかりが目立った。
園芸文化がまだ未成熟なのだろう。中国人の多くにとって、胡蝶蘭はまだしも、デンドロビウムやオンシジウムなど初めて見る花になるのだろう。 そう考えれば、1990年の大阪花博が日本の園芸ブームを牽引したように、中国でも、豊かになった国民は、植物に興味を惹かれるようになるかもしれない。
会場がきれいに整理されていたことも印象的だった。昔のように、歩道にゴミが散乱してはいない。掃除のおじさんがこまめに歩き回ってゴミを拾い集めている。
タバコの吸い殻も落ちていないが、残念なのは、つばを道に吐き飛ばす男子がまだいることだった。トイレの水が流れていなかったり、トイレットペーパーが散乱している。
しかし、豊かさを享受するための準備は整っている。家族連れは床に寝転がっていても、着ている洋服は色鮮やかで、ファッションもこざっぱりしていて、あきらかに一般市民の民度が上昇している。
園芸に関して言えば、まだこの国は入り口に立ったところだろう。日本館を覗くと、洗練されたディスプレイに植物も珍しいブルーのデルフィニウムとビンカ。
日本館の植物はなるべく中国産を利用することを重視した。ミヨシ種苗の松本庸さんが説明してくれたが、庭園の植物はほぼ中国で調達。デルフィニウムのシーワルツだけは、エクアドルから空輸してきた。
日本館のモチーフや外観のデザインは、日比谷花壇の上海を手がけた、樹所さんが担当。シックにも美しく仕上がっていた。中の展示もスッキリ。 まとまっていた。
国際館の展示は、ちとがっかりだった。フランス館もロシア館も、国際スーベニアショップ。国際お土産見本市。花博とは程遠い、お土産物屋さんに転じている。国産館に入っている、アフリカやアジアの国も自国にある特殊な植物を展示する気はさらさらなさそうだ。
想像だが、コートジボアールやソマリア、マケドニアは、中国が推進する一路一帯に協力して資金を受けている借りを、展示会に出展することで返しているように見える。
政治的な取引での返礼だから、自国の花を展示する気持ちの真摯さはどこにも見られない。お土産を販売することで賑わいを持たせることに注力している。
この花博は、したがって、3つの意味合いを持った催しだということがわかる。本来の花博ではない。
1.香港や上海のディズニーランドと同じで、短期のテーマパークを庶民に提供すること、
2.国威の発揚と中国の成長する姿を、自国民に確認してもらうこと。
3.諸外国については、中国との経済的政治的絆の踏み絵にすること。
だから、花をテーマにすることに重要な意味合いはあまりない。ただし、これだけ花を見ることで、一般国民は花の良さに気がつくきっかけは与えるだろう。新しい何かが生まれるわけではない。
なお、日本館を見たが、これまでで最もシンプルにして落ち着いた展示だった。企画の良さ、はではでしさのない建物のデザインにほっとした。
これから、北京市内に戻って、北京料理を楽しむ。お昼の飲茶風のランチで、男子たちは、ビールをそれぞれ三缶ほど開けてしまった。