タネ(種子)を育くむのは誰の役割か?

 久野秀二教授(京都大学大学院)が書いた「主要農作物種子法廃止の経緯と問題点」というディスカッションペーパー(No.J-17-001)を読んでいる。種子法が廃止された直後、2017年4月に執筆された論文である。これを読んで、公的種子事業の役割を改めて考えさせられた。

 

 日本農業の国際競争力の強化(アベノミクス=新自由主義・市場主義)を目的に、いつのまにか主要農作物種子法が廃止された。その経緯をひとりの研究者として、客観的かつ冷静に分析した労作である。前半部分では、廃止に至る事実経過と歴史的考察を、後半部分では、海外の事例(小麦と大豆・綿花の相違)を丁寧に説明してくれている。

 内容については、久野教授の緻密な論文をお読みいただくとよいだろう。ここでわたしが主張したいのは、久野論文が主要農作物(代表的な主食となる穀物:コメ、小麦、大豆など)の育種における、海外の公的機関(米国の州立」農業試験場や土地交付大学)の役割を評価している点である。

 実は、日本の都道府県がコメの育種と増殖に果たして役割は、米国や欧州でも同様だったという事実である。このことはあまり知られていないのではないだろうか。

 

 論文を読んで腑に落ちたのは、つぎのようなまとめの記述である(7.海外でも議論されている公的種子事業の意義と民営事業化への懸念)。

 高名な農学研究者(J.H.Orf教授)の言葉を引用して、「公的種子事業は民間の種子ビジネスよりも広範な遺伝子多様性を提供しており、GM品種を含む民間育成品種も公的種子事業に由来する優良品種や育成素材を利用している」と述べている。つまり、遺伝子の多様性保持を考えるならば、公的種子事業は維持されるべきである。

 公的な育種事業には、人材教育的な側面もある。食料安全保障や持続可能性も重要な考慮事項である。組織選択は、利益と成長だけを基準に考えるべきではない。だから、民間にすべてを委託するのは、決して賢い選択ではないと考える。

 公的種子事業は、大学など高等教育の役割のようなものだと思う。もしも大学が短期的な視野で教育や研究を組織するならば、学生・院生が卒業後してからの長期の成果はあまり貢献できないだろう。かれらの人生における収穫までの期間は、20年~30年先のことである。初期の段階で、目先のことに時間を投じることは、むしろマイナスにしかならない。

 同様なことは、種子事業でも起こるだろう。民間企業の視点(効率と競争優位性)からだけでは、種子の多様性を保持できない。そのためのプラットフォームは、むしろ公的なセクターに委ねるべきだろう。久野氏の論点と指摘に全面的に賛成である。

 

 <参考>

 種子の独占については、P.H Howard (2017) ‘Concenration and Power in the Food System: Who Control What We Eat?’ Bloomsburyで、欧米の大手化学メーカー(ビッグ6、ビッグ3?)の動きについて詳しく述べられている。とくに第7章。