こんな暑さは記憶にないなあ。喪失感と暑い夏は、もしかして、終戦の年、昭和20年は、

 連日の猛暑である。記憶に無いくらいの暑さである。今朝方、この付近(千葉県北西部)ではスコールがあったようだが、こんこんと眠っていたので記憶にない。ごみ出しをしたときに、道路がぬれていた。一緒にごみ袋を抱えてきた近所のおばあさんに確認をした。大雨だったらしい。


「皇居を走るランナーが減っている」という記事を新聞で見かけた。2日前に短い距離を走ってみたが、体に悪いと思ったので、3Kでやめておいた。心臓にもよろしくない。熱中症にかかるリスクもある。黙って座っていても、酷熱で死んでしまう老人もいるくらいだから。
 
 マラソンで途中棄権したレースを思い出している。ずいぶん昔のことになるが、北海道で二回。そういえば、網走ハーフ(10K地点で走行中止)と千歳国際マラソン(30K地点リタイア)である。どちらも6月と8月だった。気温は30度を越していた。
 わたしは東北人のなので、暑さにはほんとに弱い。むかしから、高校野球で秋田や山形のチームは、なかなか甲子園で上に勝ち進めなかった。暑さのせいだと言われていた。いまは、そうでもなくなった。地球温暖化のせいだと思っている。冬があまり寒くなくなったから。
 マラソンで途中棄権したのは、2002年の千歳国際が最後だった。30キロ地点の坂で、あきらめてしまった。あの時無理をして走っていたら、体を壊していただろう。2000年の網走ハーフは、もう一度走り始めてゴールしてしまった。公式記録には残っていないが。

 もしかすると、終戦の年、昭和20年の夏は、こんなふうに暑かったのかもしれない。酷暑の夏と喪失感はどこかでつながっている。暑さの夏は、実の父親を思い出す。頭にタオルを巻いて、アイスクリームを食べている親父の姿だ。
 この7月は、友人や知人を失った。渥美先生、石橋さん。だから、自分が生まれてもいなかった昭和20年を思い出しているのかもしれない。まだ、ジージーと蝉は鳴いていない。