昨日、千田編集長(チェーンストアエイジ)から電話があった。「明日(24日)、表参道付近の長谷寺で、渥美先生の葬儀がありますよ」。梅村さんからのメールでは、「近親者にて葬儀」とあったのだが。大学院の募集セミナーは、わたしがいなくてもどうにかなるだろう。告別式に参列することにした。
午前中は、息子の由(ロックフィールドの商品開発担当シェフ)が、自分がはじめて開発した「キッシュ」を高島屋でテスト販売。上京していたので、一緒に高島屋の売場に行った。キッシュを購入して、大学のある市ヶ谷まで送ってもらう。
午後12時30分、大学からタクシーで、早めに葬儀がある長谷寺に到着。すでに、カインズの土屋裕雅社長が控え室で待っていた。わたしが、「こんなに早く来てしまいましたよ」に対して、土屋さんは、「先生、そんなに早いというわけでも」。
わたしが「ランナーズ」の8月号に出ていた記事を見ていて、「いい記事でしたね」と一言。田沢湖マラソン(9月19日)には、土屋さんの家族3人が全員で田沢湖まで応援に来ることがその場で判明した。宿は別に予約することになったらしい。
渥美先生の告別式は、13時きっちりにはじまった。「近親者で」となっていたので、葬列には、親族を中心に200人ほど。いらしている方は、ほとんどが渥美さんとも縁が深いかたばかりだろう。
渥美さんの息子さんたち、6人が勢ぞろいしたのをはじめてみた。全員が男のお子さんばかりだ。周囲が女性の美人秘書たちに囲まれていた「JRCハーレム」とは別物だ。コントラストがまたすごい。
カインズの土屋さんも、「5人までは知ってましたが、6人全員(が一同に会しているのを見るの)ははじめてです」と感想を述べていた。なんとなくアンバランスなところが、また渥美先生らしい。
わたしは、末っ子の六雄さん(法政大学法学部卒)しか、いままでは知らなかった。その他の5人の息子さんは、NHKとか、日通とか、BALS(マーケティング企画会社)とか、お父さんの俊一さんとは、ちょっと毛色がちがう業界にみなさんいらっしゃる。
なんとなく、小売業に近い業界だと居心地が悪そうだからだろう。職業選択はおもしろい。
読経が終わって、お焼香になった。あとで長男さんの方の会葬御礼で知ったのだが、ペガサスには、「葬儀運営マニュアル」があるらしい。渥美さんらしい仕掛けだ。ご遺族は、その通りに動けばいいようになっていたのだろう。
指名の焼香者の最初は、イオンの岡田元也代表。続いて、名誉顧問の二木氏(ジャスコの合併相手)、7&iホールディングの村田社長(法政出身)、ライフコーポレーションの清水信次氏(前、日本スーパーマーケット協会会長)、ニトリの似鳥昭雄社長、平和堂社長(お名前を失念)、カインズの土屋社長(断然に若い)、幸楽苑の新井田傳社長(お年をめされたなあ)、あとは、、、忘れた。
続いて、わたしたち、リボンをつけた特別焼香者が5列でお焼香。。そして、一般のかたにつづいて、奥様の宮本さん(渥美田鶴子)、桜井さん、梅村さん、その他、ご親族の方たち。静かな告別式だった。祭壇のお花がきれいだった。
はじめて知ったのだが、渥美先生は、あの巨体でシュノーケルのダイビングが得意だったらしい。健康な頃は、ご家族と南の海(沖縄?)などで潜っていたらしい。ワタミの社長もスキューバダイビングが得意だった。
焼香が終わって、お別れの段になった。一般の葬儀では、輪のキクが中心の祭壇である。そうではなくて、洋花のひまわりやラン類、トルコキキョウやカーネーションなどが多かった。かおりを重視して作った祭壇らしい。
始まってちょうど一時間後に、宮本さんや桜井さんを乗せた霊柩車とマイクロバスが、目黒の葬儀場に向った。会葬者たちは、手を合わせて渥美さんの最後を見送った。
お別れ会が、別途に用意されているらしい。それにしても、しめやかな会葬だった。そして、暑い一日だった。
短いお付き合いだったな。享年83歳。わたしが渥美さんと親しく会話できたのは、わずかに最後の2年間だけだった。まるで息子のように、かわいがっていただいた。
葬儀場に到着するやいなや、桜井多恵子さんがわたしのところに寄ってきて、一言。「先生、短いお付き合いでしたね。(お互いが)商人の遺伝子でしたね」と。
桜井さんは、わたしと渥美さんのことを、そのように見ていられたのだ。渥美さんからも、わたしは「商人」に見えたのだろうか。わたしは、学者のつもりで渥美先生と接していたのだが。今度、桜井さんに聞いてみようと思う。
千田編集長には、「先生は、まるで家族のようにあつかわれてたみたい」と言われた。よほど、火葬場までご一緒しようと思ったが、それはやめにした。家族は家族で、思うところ、話すべきこともあるだろう。